在養護学校における「医療的ケア」をどう考えるか
最近、児童の心身障害の発生状況が軽度障害か、重度障害かに二極化しつつあるという。一方、従来なら施設に入所してケアを受けていた重度の障害児も可能な限り在宅で過ごさせるようになってきた。その結果、肢体不自由養護学校に就学する児童生徒の障害の状態が年々重度化・多様化してきており、医療的な要素を含むケアへの対応が教育現場で大きな課題になっている。
秋田県教育委員会では、障害児に対する経管栄養や痰の吸引などの医療的なケアを医療行為の一部とみなし、教師には関与させないとの立場を取っており、学校での障害児のケアは保護者によって行われていた。保護者、特に母親は登下校時の送迎を含め、学校と自宅を一日数往復もしなければならない状況で、その負担は著しく大きかった。県教育委員会では平成12年度に「医療的ケアに関する連携検討委員会」を発足させ、養護学校における医療的なケアのあり方について検討を進めてきた。その検討結果を受け、このたび看護婦2名を県立養護学校に試行的に配置し、医療的なケアを開始した。また、この事業を円滑に推進するために「医療的ケア実践委員会」が設置され、県医師会から小生が委員として参加している。
障害者の生活環境は、保護者の生活も含めて、少しでも障害のない人たちに近づけていくべきである。そのためには医療、福祉、教育の各分野が強力にタイアップし、障害者の不自由な環境や制約を出来るだけ排除する方向に行動して行く必要がある。それには各地域の医師会の理解や支援も必要である.
この県の施行は、開始してまだ幾ばくもたっていないが、父兄の負担の軽減と言う面では大きな成果が得られている。しかし、この事業をより普遍化するには、解決すべき点が少なくない。
他県の状況と問題点の整理
秋田県の試みは方法的には新しいが、決して先進的ではない。全国的には10数年も前から実にいろいろな方法で養護学校における医療的なケアが行われて来た。実際に誰がケアを担っているか、2000年度の状況を自治体別に分類すると、○教諭(一般教諭+養護教諭)が2市、○教諭と保護者が4県、○教諭と学校看護婦と保護者が1都と4市、○教諭と保護者と個人契約看護婦が1県、○学校看護婦と保護者が1市、○保護者と個人契約看護婦が1県1市、であった。その他の地区では保護者、と言うことになろう。
この様に多種の方式が取られている背景には、各自治体や教育界の論理もあり単純ではないが、主因は医療的なケアに関する医療法上の解釈の違いに依っている。
各団体では出来るだけ法に抵触しないように、また、責任の所在を明らかにするために周到な準備の上で実践している。秋田県の場合でも同様で、保護者の申請書、主治医の指示書、毎日のケアの後の看護婦の記録、校長への報告書など、交わされる書類は9種類もある。私は如何に周到に準備を重ね、書類上でガードしてもこの事業を進めて行くには医療法に抵触するのは避けられないと考えている。ならば、法を変えるか、運用上で認めてもらうしかない。
医療的ケアとは何か
問題を論じるときに、教育界や保護者、及び多くの支援者が半ば当たり前のように用いている医療的ケアと言う言葉についての検討は重要である。その理由は、この養護学校の問題のみならず、最近、在宅療養でもホームヘルパーに一部の医療的ケアをさせるべきとの主張が見られてくるなど、法を都合良く解釈した論旨の展開が見受けられるからで、この点は厳しく検証しなければならない。
根本の医療行為であるが、明快な定義はない。厚生省の通達では「医行為とは医師の医学的判断、及び技術を持ってするのでなければ人体に危害を及ぼし、または及ぼすおそれのある行為をさす」としているだけである。
医行為は、更に、「医師が常に自ら行わなければならないほど高度に危険な行為」を絶対的医行為とし「それ以外の行為」を相対的医行為とに分けられている。相対的医行為は看護婦等の医師以外の医療従事者に行わせることが出来るが、その判断は医療従事者の能力を勘案した医師の判断による、としている。
即ち、法は相対的医療行為の内容を具体的に定めず、医療従事者の医学上の知識・技能に基づいて判断される、としており、更に個々の行為が医療行為に当たるか否かは社会通念に照らして判断しなければならない、としている。これでは立場によって拡大解釈が生じるのは当然である。
次に医療的ケアと言う言葉であるが、生活の援助のために本人もしくは家族や介護者が、医師や看護婦の指導の基で行うことをまかされた生活介護行為ーー具体的には痰の吸引、経管栄養、摘便、坐薬の挿入等ーーを指し、これらは医療行為と区別して一般では医療的ケアとよばれている。医療的ケアという言葉が初めて用いられたのは、平成元年1月の、全国肢体不自由養護学校校長会での問題提起、「養護学校における医療行為あるいは医療的ケア」のタイトル名を嚆矢とする。この単語が意味する内容はすべての養護学校にとって重要な課題であったことから、この用語が関係者の中で急速に定着していったのであろう。更に、平成8年には日本小児神経学会において「医療的介護行為を従来の医療行為と区別して医療的ケアと呼ぶ」、と合意された。
即ち、同じ行為でも、医師が治療目的に行えば狭義の医療行為であり、看護婦が医師の指示のもとに行えば相対的医療行為となり、家族が行えば医療行為ではなく医療的ケアと言うことになる。しかし、この医療的ケアと言う言葉も考え方も医療関係者の中で決してコンセンサスを得ているとは言えない。これも混乱を来している所以の一つである。私は医療行為に含まれると考える。
秋田県の試みはどう評価されるのか
問題点の一部を論じたが、私は秋田県のこの試みを決して否定的にとらえてはいない。あえて問題にしたのは、この試みを一県の、一つの養護学校における試行に終わらせてはならず、全国的に広げていくべきとの考えからである.
県では養護学校で行われる医療的なケアを医療行為の一部とみなし、看護婦を配置して解決をはかろうとしている。私もより妥当な解決法と思うが、それでも2.3の問題点が浮かんでくる。端的には、養護学校は医療の場ではなく、医療行為が医師の目の届かない場所、突発的事象に際して直ちに対応が出来ない処で行われることの2点である。
医療行為の行われる場所は、往診等による場合を除き、医療法上の病院、診療所、老健施設に限られている。また、看護婦等医事法制上の資格を有する者は、医師の指示・指導監督の下に、医行為をなすことができるが、重要なことは、医師が傍らにいることを要しない医行為の場合であっても、同一室内または建物に居て事故発生時に応急の処置をとりうる状態にある、あるいは適切な指示をすることが通常可能な状態にあることが原則としていることである.
この点に関しては在宅療養の考え方を導入し訪問看護婦を配置看護婦に置き換えて解決を図っている。一見納得が得られそうにも見えるが、本質的に両者は異なっていることは明らかである。
今後はどうあるべきか
県のこの施行はきわめて慎重に準備された結果で、障害児の安全確保についても十分配慮されており、上記のごとくの問題は残しているものの全国的にみてもすぐれた方法と考える。1年間の試行というが、是非次年度以降も継続してほしいものである。また、その範囲にとどまらず、県内外にも広げていくべきである。そのためには試行の成果、問題点を客観的評価に耐えられる形で集約し、関係者が各方面に働きかけ環境整備を図ることであろう。
私は日医の医療関係者対策検討委員会の委員でもある.養護学校における医療的なケアのあり方についてもこの委員会に提起し、日医を通じ厚労省、文部科学省に具申したいと考えている.