つらく、悲しい癌の告知
秋田組合病院 内科 福田二代
私は文章をつくるのは得手ではないので、このコラムは気が重いのですが、日頃、外来では伝えられないことがたくさんあるので、有効に使いたいと気合いを入れて書いています。
癌の告知はかなり一般的になってきて、何も新しい話題というわけではありませんが、私自身は末期癌の患者さんに正確に、詳しく病状を伝えたのはたった一人にだけ、です。この方の場合、ご本人と家族の希望で病名と病状の進行程度、この後どれくらい生きられるのかの予想などについて、フィルムやカルテを見せながら全てを説明しました。半年、長くても一年は持たない、と言う、告げる私にとっても辛い内容でしたが、患者さんは微笑みさえ浮かべながら聞いてくれました。もしかすれば、自分は癌でないか、と疑っていても、患者さん方は自問自答を繰り返しながら何とか否定しようとするものです。主治医からはっきりと告げられるということは、この僅かな希望すらも奪われてしまうことです。死と向かい合いながらの、その後の毎日は本当に辛かったろうと思います。残り少ない日々に、機会を見ては外泊し、身体に鞭打って小学生たちに水泳を指導し続け、周りの人たちに感謝しつつ、心静かに最後の日を迎えられました。
告知した場合に一番いいことは、家族だけでなく主治医やお見舞いの人たちとも、なんの隠し事もせずに手を握りあって涙を流すことが出来ることです。その人の人格や人生観にもよるでしょうが、心と心で対話が出来ることです。誰も嘘や気休めを言わなくてもいいので、病室には清らかで厳かな空気が満ちあふれます。 癌の告知を受けなかった場合でも、大方の患者さんは余命を察し、自分の心の中で死と戦います。宗教的に、哲学的に深められる方もおりますが、本人も、残される者も本当の気持ちを打ち明けることもできないので、孤独で辛いものです。最悪のケースは死の1〜2週間前ころに自分の病状を告げられたり、悟ったりした方の場合です。裏切った主治医や家族を許すことが出来ず、自分の殻の中に閉じこもったまま、悲しく、寂しい死を迎えます。特に働き盛りの年代の方にこのような方が少なくありません。 私がその立場になったら、全てを知った上で、死を見つめつつ最後の日々を送りたい、と思っております。私がお世話した多くの患者さんの気持ちを察しながら・・・。