救急カンファレンスについて
研修医のみなさん、研修に関連する各部所のみなさん、要するに全職員のみなさん方、2007年を健やかに迎えられたでしょうか。
卒後臨床研修必修化が発足した後、当院の雰囲気は大きく変わりました。フレッシュなスタッフを迎える喜びは何時であっても大きい、と改めて思っております。来年度は7人のフレッシュマンをどう迎えようか、当院の研修体制をどう発展させようか、いろいろ考えております。
先輩医師として研修医のみなさん方に伝えたいことは沢山ありますが、新年の一言として、「救急カンファレンス」について感想を述べてみることとします。
研修医のみなさん方と、特に患者の病態等に関して対話の機会を共有することは私自身にとっても勉強になるのでとても有用です。私とペアで患者を診る担当医が欲しいくらいです。が、私はあまりアテにされていないようです。だから、「救急カンファレンス」が立ち上がったとき、私みたいなのでも居ないよりはマシだろう、迷惑にならなければいいだろうと考え、参加していました。
最初の年は殆ど皆勤していましたが、2年目の研修医を迎えた4月だったでしょうか、あまりにも多数の方々が救急室に詰めていたのを見て、その後は遠慮していました。
昨秋、救急カンファへの出席者がめっきり少なくなっていると知り、10月末からまた出始めています。ハッキリ言って驚きましたね。上級医はたまに何人か来るだけ、研修医も1-2人、集まってもせいぜい3-4人だけ、が大部分です。当院の研修システムの目玉の一つであったはずの「救急カンファレンス」がこんな状態になっていたのにはショックを受けました。
その後は、業務上何としても出られない日を除き、土日祭日、年末年始を含めて殆ど休むことなく出ています。遅れないよう、部屋の目覚まし時計をセットしています。
私が救急カンファレンスに皆勤する理由は、第一に自分のためになるから、第二に医師や看護師とコミュニケーションが出来るから、第三に先輩医師・指導医としての責任から、であって、決して義務として出ているわけではありません。
医師になって35年ですが、毎日毎日の診療は今の私にとってかなりの負荷にもなっていますが、一方では、驚き、学び、感動、喜び、後悔、反省の場でもあります。自分の技能、器の中で簡単に処理して良い患者など、殆どいません。
「救急カンファレンス」では、自分以外の目、判断力、経験、専門領域の知見等のフィルターを通ればこの患者の病態をどう考えるのか、どう評価するのか、どう対応するのか、などをその場でリアルタイムに教えて貰えるので、こんな素晴らしい場はありません。要するに、私は白髪の初老医師になりましたが、医師になったときの初心、謙虚さもまだ残っています。だから、自分は未だに研修中なのです。
誤った指導にならない様気をつけながら、私も時にコメントを出します。これは自分にとって良いこともあります。一つは「人に教えることは自分の学びになる」からですし、二つめは「研修医を指導した、のではなく研修医と共に学んだ」、と言う共感、満足感が得られます。
研修医も上級医もこの場をどの様にとらえているか分かりませんが、私はこんな気持ちで出ています。
いや、私が一人の医師としてどうとらえようとどうでも良いのです。
院長の立場では、急性期病院として、研修病院としてこれで良いとは思いません。
研修とコミュニケーションの場として、急性期病院の医療の原点である救急医療の現場でのカンファレンスが、何でこんなに先細ってしまったのか、研修病院としてこれで良いのか、当初の熱気が何故失われていったのか、上級医も研修医も、全ての関係者は真剣に考えなければなりません。私の考えは必要があれば述べますが、それ以前にみんなで考えるべきだ、と思います。
今年一年よろしくお願いいたします。
(中通総合病院「研修通信」2007.1に掲載?