(2)救急患者は時間的余裕が異なる。それを読みとること
 禅問答の中で余命の長さを聞かれたとき「余命とは一呼吸の間・・」と答えるのだ、という。私は、これに対して「余命は僅か一秒」と答える。何故か??私の心臓が今の拍動の次の拍動を必ずしてくれる、と言う確証がないからである。私は数年前から週のうちの何日かは不整脈に悩む。数日間持続することもある。やはり寝不足が第一の原因である。ならば寝ればいいと言うのは簡単だが、寝るなんて勿体ないのだ。

 私はそれでも良いと思っているから、私の事なんてどうでも良い。
 救急患者はそれぞれが余裕の時間を持って来院する、あるいは搬送されてくる。余裕が無く間に合わなかった場合は心肺停止状態で到着する。この場合、どこまで何をすべきか、が本当はすごく大事だし、私自身にも方針はあるが、一般論的に安易に文章化出来る分野ではない。

 救急車が到着したらまず一瞥して事の重大性を予測する。最初のトリアージには言葉なんか要らないのだが、最近は救急隊が詳しく状況を説明してくれる。時には邪魔・・なんだが絶対にそうは言ってはいけない。必ず役に立つことも含まれるから。

 最も余裕がないのが心循環系のトラブル、これは秒分単位で考える必要がある。呼吸器系も時には早い。特に喘息発作は数10分単位で考えるべき例も含まれるから要注意。意識障害はバイタルさえしっかりしていれば、本人がドタバタと苦しんでいないだけにむしろ若干の余裕はある。意識障害は自然が与えてくれた麻酔状態と言いうる場合もあるからわれわれの方から利用すべき場合もある。

 後は救急のABCの原則に則る。他の臓器の疾患の場合は、一概に言えない部分は必ずあるが、例え急性腹症でもこれらに比べれば若干の余裕がある。
 
 次に必要なのは、状態の変化のスピードの観察と判断。これも判断すべき最重要な因子の一つ。ネガティブな方向に急速に進んでいないときには本人の回復への反応がかなり作動しているとみて良い。それも読みとり、利用しよう。一般に、患者の回復機構・機転の素晴らしさはわれわれの知識や能力を遙かに超えている。われわれはその能力の上に乗っかって仕事をしているに過ぎない。その判断の上に立ち、この機能を手伝うような対応をマイルドに開始しよう。最小限、この機能を抑えるような対応だけはしてはいけない。

 自分の判断の範囲を超えている?と判断したら堂々と専門医を呼ぼう。これは研修医の権利でもあり義務でもある。それをなじるようなオーベンに出会ったら、頭に来ても心に傷を負っても当座はひたすら耐えよう。当面は患者のために動くこと。その後で「自分は絶対にああはならんぞ」と堅く心に誓おう。結局は、その意味では、君にとって「良い指導者」なのだ。私が最も恐れるのはこの様な駄目オーベンが君たち若い医師にとって「悪い指導者」になること。どんな意味か分かる?





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