研修医諸君へ(12)周りには自分より優れた医師がいる
 大きな病院に何故患者が集中するのか、何故大病院志向があるのかは、患者が個々の医師のレベルを知らなくとも病院の規模に比例するような、総合病院的な連携治療が受けられることを期待しているからである。ところが、各患者が総合病院的医療を受けているかというと必ずしもそうは言えない。各医師のレベルも考え方も実際にはピンからキリで、その医師次第で時には診療所レベルの発想でなされている医療もある。しかも、診療所レベルに到底及ばないような医療レベルで済まされていることも希ではない。

 総合病院の主治医は基本的には問題解決の統括責任者なのであって、全て自分でやりきる必要がない。まとめあげるのが自分と言うこと。例えて言えば、オーケストラの指揮者のようなもの。自分は音を出さなくてもいい。第一、音を出そうとしても各プレーヤーより優れた音を出せるわけがない。
 各主治医が病態判断、診断確定、治療方針決定の全てを一人でやり切ろうとしても出来るわけでない。ましてや、知識も経験も乏しい研修医の立場では当然である。否、これは研修医に限ったことではない。自分の狭い了見だけで患者の病態を考える、治療する・・・は総合病院では誰しもが、例えベテランでも絶対的にやってはならない医療である。

 多くの患者は求めているのは「総合病院的医療」である。患者・家族達は大きな病院に受診すれば少なくともそう思いこんでいる。連携が取れていないこともあるなど疑ってもいない。だから、受診や入院した時に、例え卒後間もなくの医師に受け持たれても、年寄医師に受け持たれても、本音は別であってもそんなに文句は言わない。
 我々医師の側で患者が何も言わないからと言って、それに決して甘んじてはならない。

 中堅医師のうち、心ある一部の医師は自分の限界も知っているから、一定の病態にある患者は積極的に対診を求めてくる。この様な医師は見ていて、つき合っていてとても安心である。自らの能力を知り、他の医師の意見を積極的に採り入れて患者の病態をまとめ上げる、あるいは治療をする、この姿は医師としても崇高でさえもある。この様な医師の場合、例外なくそのカルテはバランスよくまとめられている。

 私はどうなのか?我田引水的であるが、自分では平均よりは少し良い方の医師だと思っている。例え2-3年目の研修医であっても、私よりも優れた点は必ずあるし、私には気が付かなかった発想を展開してくれる。だから、私は比較的気楽に声をかけ意見を聞くし、対診依頼状をせっせと書く。
 私は自分一人の発想の範囲で医療をやるのは怖いとすら思っている。だから、私は耐え難い人間関係に疲れ果てながらも、現在まで総合病院の医師であり続けてきたのだとも言い得る。

 研修医諸君には是非院内連携の意義を知って貰いたい。決して悪しき先輩医師を見てそれが標準だと思わないで欲しい。




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