(この2年間の私の日医印象記)
2004年4月1日、4期8年の坪井体制は終焉を迎えた。植松会長の誕生に際しては予想も出来なかった駆け引きが行われ、坪井体制の後継者とみなされた青柳候補は辛酸をなめる結果となった。選挙直前まで本命と評価されていた青柳候補はその結果によってすっかり人間不信に陥り、今後は医師会活動から完全に離れるという。実に勿体ない話である。
2年前から徒然日記で時折日本医師会に対する印象を綴ってきた。坪井会長の最期の2年間に対する私の印象記である。読み返してみると新体制誕生までの流れが読みとれるような気がする。
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(2002/4/1)横浜市長選と日医会長選;
昨日の横浜市長選では4選をねらう現職を破り、新人の中田氏が当選した.政治も長期に渡ると歪みが現れてくる.市民は刷新を望んだのだ.小泉氏 にとって一層の打撃になるだろう.
一方、日医では会長選挙の前に行われた代議員議 長選挙では新人(と言っても両方爺さんだが・・)で争われたが、予想外に全投票 数330票ほどのうち僅か数票の差で本命と思われる候補が選ばれ、会場は驚きの声があがった.会長選も対立候補に1/3強の票が入り、当選はしたものの坪井会長にとっ て予想外の結果であったと思う.今回の小泉政権の構造改革の煽りで、医療現場をあずかる医師達が如何に危機感を持っているか、日医に何を期待しているのか、の現れ であろう.
新体制にとって良い刺激になって欲しい.
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(2002/4/8)老人クラブの集会か?
4/1は日本医師会代議委員会の初日。会長選挙も終わり13:30に全行程終了した。300人ほどの代議員が一気に医師会館から帰路につき、私もその中に混じって駅に急いだ。が、見回すと周りは高齢の方々ばっかりで異様な雰囲気。私なんて相対的に超若年であった。近所の住民も「今日は日本医師会で高齢者大会でもあったのか??」と訝ったことであろう。医療制度等を現場の事情を無視して変えて来る厚労省とかの実働組は40歳代が中心である.これに対し、一般に医師会活動に参加できる医師はより高齢である.秋田県医師会、各郡市医師会の執行部はより若い世代からなっていると言う特徴があるが、日本医師会を始め、各県の医師会も変わらなければ、と思う
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(2002/10/22)日本医師会は大改造を要する(1)
本年4月の診療報酬改定は全国の医療機関にとって収入減となり大打撃となったが、本日の臨時代議員会は各地からの代議員による厳しい質問が相次ぎ、会長挨拶をはじめとして現執行部の答弁は守勢に回り苦境に立たされた。
私は日医には構造的欠陥があるように思われる。私の立場からみて病院問題に十分な見識がないことであり、このままでは勤務会員に対する求心力は萎えてしまうしそうなったら日医はおしまいだ.そのためには会員を一律に扱うのではなく病院会員、開業会員、そのほかの会員に分けて登録し、各々に活動させ、各々から執行部を形成することも一法であろう。
常任理事の構成には人材確保が第一だが今の構造ではダメだ.人材は見つからないだろう.一方法として理事の構成を考えることだ.今は理事は何しているのか??各地の医師会長を持ち回りで据えるようなことは止めよう.ここに各地から若い人材を送り込むこと、理事経験を十分させて人材を常任にすればいい.
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(2002/10/23)日本医師会は大改造を要する(2)
今回の代議員会の話題は80-90%は医療制度改革、診療報酬改定に集中した。各地の地域医療を担っている会員、代議員から不満の意見が飛び出した。日医の判断は基本的には会長の責任であるが理事会で承認を得て進められているはずであり、理事として連なっている各ブロック推薦の都道府県医師会長達は何をやっていたのであろうか。少なくとも常任理事以上に地域の会員の意見、反応を身近に感じているはずだ.理事会では彼らは何をしているのであろうか、黙って聞いているだけなのだろうか??
残りの話題の中で中心的であったのは広報活動のあり方である。前回の4月の会長挨拶の中で意義を大きく取り上げ、刷新を図るとの方向性を提示したが、半年を経た今まで大きな動きは無い。私は日医の広報は方針変更を要すると思う。
会内広報としての「日医ニュース」はあまりにも旧態依然で日医の印象そのもの。カラー化は勿論のこと、デザイン、見出し、記事の文体、フォント等、1000号以降は紙面を全面刷新してほしい。今のままでは読まない会員の方が多い。デザイン、レイアウトは専門家へ依頼してはどうか。勤務医問題を論じるより病院問題を論じるページが欲しい。
対外広報を考えたとき、国民の大多数は少なくとも健康であり、その人達は医療問題、医師会活動等に関心は薄い。その人達をターゲットにした高額の費用をかけたマスコミを利用した広報活動は無駄に近い。また、細かい出版物などによる広報活動は雲の上のイメージの日医のものなど読む人は居ない.より住民に近く、医療を通じて顔が見える、県医師会レベルの,郡市医師会のレベルの活動の方が効果的なことが多い.日医は企画を中心とし、全国都道府県医師会、郡市区医師会に共同歩調をとってもらいながら地道に広報を行い、時には一大キャンペーンを展開するのが良いだろう.
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(2003/3/30)日医代議員会 坪井会長の進退をめぐって激論
本日の日医定例代議員会は会長の進退に話題が及ぶと予想されていたためか、報道関係者がいつもよりも目立った。その中に昨年まで朝日新聞秋田支社で何度か取材を受けたことのある社会部の女性記者もいて2.3声を交わした。
代議員会では「サラリーマン本人の医療費3割負担導入」や「構造改革特区における医療への株式会社参入」を阻止できなかった坪井執行部の退陣を求める意見と、執行部を支持する意見が真っ向から対立し緊張した雰囲気で、大幅に進行が遅れた。
近畿、関東甲信越ブロックなどからは「会長の政治的手法は通用しない。潔く辞すべき」など引責辞任を求める声が出た。一方、九州ブロックなどからは「会長の辞任をここで求めるのは論外。戦略は甘かったが、会長が任期半ばで辞めれば日医は弱体化する。冷静に考えるべき」と坪井会長支持の声があがった。
坪井会長は「ご叱責は重く受け止める。上記懸案事項には最終的な結論が出たわけではない。今後も責任を果たしていきたい。もうしばらく情勢を見極めたうえで私に決断させてほしい」と述べ理解を求めた。
個人質問の最中、緊急動議の処理を巡って10分間の休憩が宣言され会場に緊張が走ったが、政府に対する決議文の上程でありホッと胸をなで下ろした。お陰でもう少しで飛行機に乗り遅れるところであった。
空港からの帰り、カーラジオのNHK19:00ニュースで日医代議員会の様子が比較的詳細に取り上げられた。
坪井会長の力量、努力は私は認めたい。が、小泉首相という対話の成り立たない首相に対して成果を挙げられなかったのであり、他の誰かがやれば通用したとは思えない。坪井会長の強い指導力だからここまでやってこれたのだと思う。
本日の代議員会の様子では次期の坪井体制はあり得ない状況と思われた。これから次期会長選挙に向けて種々の活動が始まるであろう。しかし次期会長に誰が選ばれようと医師会にとっては厳しい状況が今後も続くと予想される。
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(2003/9/27)坪井日本医師会長、慈恵医大青戸病院事件関連の私の質問に怒る
協議のその他の部で、私は今回の慈恵医大青戸病院の前立腺内視鏡手術に関して日医の見解を発表するよう要望し、考え方を質問した。
今回の3人の医師逮捕に関して報道から知る範囲では、医師としてモラルの欠如、患者の安全を守る仕組みの欠如の結果であり繰り返してはならない極めて遺憾な事件である。一部の医師、ある病院の中で起こったこととはいえ、その様に矮小化して考えるべきでなく、医療界全体で考えるべき問題である。
私は、日医は学術団体として、倫理綱領を持ち、会員の自浄作用の向上を謳っている医師の最大の団体であるが、この件について何らかの見解を発表したか、あるいは発表する予定はあるのか、について質問した。
坪井会長は、大変な事件として認識しているが、ことの真相が分からないので見解は出せないし、出す予定もないと述べた。
私は更に追加して、ことの真相の判明は常に相対的なものでいつでも不十分であり、その立場ではいつも不可能である。判明している情報の中で限られた範囲でも対応すべきである。日医は以前から医療界の事件、(たとえば富士見産婦人科事件、ハンセン病関連、薬害エイズ・・・)に関して結局何ら見解を発表して来なかったことは何故なのか、について問うたところ、坪井会長は突然機嫌を悪くし、怒りだした。決して何もしてこなかったわけではない。倫理委員会等を立ち上げて十分対応している、それらの動きについて勉強不足である・・・。今日は気分良く東京に帰れると思っていたが不快である、とのコメントであった。
迅速な見解の発表の必要性について問うていたのにポイントのずれた返事で、それ以降は担当の糸氏副会長が常識的見解を述べた。更に追加しようとしたが、議長は継続を認めず、協議会は終了した。
この程度のやり取りで激高するようでは、今後のことが思いやられる。3月は執行部改選時期であるが、次期坪井体制はあり得ないと言うことが実感されたやり取りであった。
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(2003/10/6)坪井日本医師会長、商業雑誌に今期限りと引退と表明。ナンと無責任な!!
今朝届いたメディファックスの第一面を見て目を疑った.坪井日医会長が今月発売のある商業誌の中に今期限りで引退を表明した、とある。全会員が恐らく来期の坪井体制はあり得ないとの認識は持っており、引退自体は自明の理と思われていたから、彼は気楽な立場で述べたのだろうが、極めて無責任な行為だと言わざるを得ない。就任当初の斬新さ、実行力、判断力はすっかり影を潜めてしまった。私は今、医療関係者対策委員会の報告書作成のために日夜呻吟しているが、やる気が失せてしまった。
第一に、彼は代議員会で選挙で選ばれ、信任されてきた。従って、代議員会の場が最も相応しい意志表明の場であり、その代議員会は年2回で、代議員会がまだ数ヶ月後とのことでもあればナンだが、来週日曜日に予定されているのだ。それが、商業誌の中で引退を表明するなんて愚挙だ。
第二に会長のポストは個人的な判断だけでは左右されては困るのだ。日医には国民の医療を守り、会員の立場を守る使命がある。強い姿勢で厚労省、政府に対峙しなければならない。任期を半年も残した今、診療報酬改訂への交渉その他の難題への取り組み姿勢、相手方の対応の姿勢に影響がでるのは避けられない。その責任をどうとるのか。責任放棄だ。
第三に、引退したいなら今すぐすべきである。既に彼への期待感は薄くなっていたが、引退を表明した会長などに何も期待は出来ない。この残りの任期、半年の持つ意義は決して小さくはない。早急に引退し、日医は副会長の下で業務処理を進め、定款に従って選挙にを行い新体制をくみ上げるべきである。
不用意に引退宣言等をしないこと、引退を決意し表明した時が最善の引退の時期なのだ、・・・これはそれなりの責任の立場にあるヒトにとって常識のはずでなかったのか!私はそう思ってきた。引退の時期までは残務処理にいそしむ・・等というのは無責任の上塗り以外の何物でもない。今すぐ止めて欲しい。日医は一定の混乱に陥るかもしれないが改革の良い機会にもなるはずだ。
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(2004/2/9)日医の会長選挙。ブロックごとの推薦などはやるべきでない
日本医師会の坪井会長は今期限りで勇退する。4月1日が選挙日である。今、次期会長候補として4人の立候補者、その支持者が運動を行っている。私は選挙権を有する代議員の一人であり、次期もその予定なので注意深く見守っている。
各都道府県医師会は地域ごとにブロックを作って活動しており、東北6県の医師会は東北医連としてまとまった活動もしている。前回の東北医連会長会議に於いて次期会長として現在の青柳副会長(北海道医師会)を推薦しようとしているらしく、今月14日の理事・代表者会議で決定するという。従来の会長選挙はこの様にブロック単位での推薦を背景に行われてきた経緯があるが、基本的にブロック単位で特定の候補者を支持したり、推薦するようなことは止めるべきである。推薦・支持の表明は選挙を、日本医師会の会長の性格、業務遂行を妙なものにしてしまう。
今、医療器は大変な危機を迎えている状況にある。日医会長は日本の医療行政に対する影響力の点から見ても大きな存在である。今度こそ純粋に人物、力量で全国1区として選ぶべきであるブロック単位での推薦合戦は、公約とかとは関係のない、単なる地域の票数の表現となり、候補者の力量と関係のない地域選挙となり、選挙とは言得るが、少なくとも理想の選挙とはほど遠いものになる。kの場合、各ブロックごとに有する代議員数がかなり異なるから、その候補者が何処出身であるかによって得票数が予測出来るし、当落が決まってしまう。大体、◎◎ブロックの絶大な支持を得て選挙を制した会長など、なったとしても業務の遂行でも他のブロックとの意見の摺り合わせなどに下らないエネルギーを必要とする。現坪井会長はその辛酸を十分になめたはずだ。
今回の選挙は東北医連は支持を表明すべきでない。医連としての支持を表明せずとも良識のある各代議員の意向はほぼ固まっていると思う。支持表明は大きな得票数に変化を与えないだろう。だからこそ、真の選挙をするために、日医会長のポストの意義を高めるためにも、支持表明などすべきでないのだ。更に、東北医連は全国に向かって、ブロックごとの推薦表明を止めるよう積極的に働きかけるべきである。
私は残念ながら2月14日の東北医連の会合には出席出来ないので、意見を直接表明することは出来ない。県医師会会長には私の考えを表明してあるが、さて何としようか、思案中である。
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(2004/3/31)日医会長選挙(2) 急展開 いよいよ明日に迫った
今回の日医会長選挙は今後の日本の医療、日医自身のためにも重要である。4候補が次期会長のポストをめぐって選挙運動を展開し、公明な選挙は日医の新しい行き方を予測させるものとして私は大きく期待してきた。しかし、桜井、宮崎の両候補は突然植松候補のキャビネットに入ることで立候補をしなかった。もう一人新たな立候補者が出たが、事実上、青柳、植松の一騎打ちと言うこととなった。
これで出身母体、支持組織から単純に見れば東北北海道九州医連が推薦する青柳候補は一気に劣勢に立たされたが、この様なプロセスを是としない良識ある代議員の票は期待できるだろう。ただし、全国から集まってくる代議員は老人クラブの会合かと見まがうほど高齢者が多い事が問題。高齢の方々には新しい発想は期待できないと言う問題点が壁となるだろう。明日はどうなるのか?青柳陣営の票読みは困難らしい。
代議員会の前には定例の東北医師連合会の打合会が開催される。夕方から打合会が開催されたが、その席に会長候補の2名、代議員会議長候補の方々が支持者、キャビネット候補者と共に訪れ、打ち合わせは何度も中断した。これも馬鹿らしい習慣である。明日の選挙の席で候補者に若干の時間を与え、その後に投票すればいいのだ。
明日は実に重要な日であり、楽しみな日でもある。しかし手続き上、選挙は数時間を要すると思われているだけに身体的には苦痛が強いられそうだ。
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(2004/4/1)日医会長選挙(3)ブロックごとの推薦などはやるべきでない
4月1日の本日、日医医師会、代議員議長、会長選挙日であった。選挙結果は代議員議長に立候補した石川岩手県医師会長、青柳会長候補共に敗退した。日本の医療を左右する大事な日本医師会長選挙が推薦ブロック間の代議員数にほぼ一致した結果になったのは現状の人物、政策優先でなくブロック推薦を前景に出した選挙方法に沿っている以上予想通りの結果であった。大阪+関東+近畿連合に対して、全代議員数の僅か1/3-1/4しか占めていない北海道+東北+九州が対抗しても始めから勝ち目はない。実際には基礎票よりも若干でも集票出来た青柳候補は善戦したと評価すべきであろう。
今回の選挙は事実上、植松vs坪井の選挙と言うべきであった。植松候補は明快に坪井前会長に対抗した政策を掲げて立候補、桜井候補は前キャビネットの中で重要な働きをしてきた常任理事であり、その面では植松候補とは一線を画するべき立場であった。宮崎候補は医系の参議院議員であり、日本医師会も選挙運動を展開してきた。前回の参議院選挙では落選したが、日本医師会参与として繰り上げ当選の時期を待った方である。従って、彼もどちらかと言えば親坪井の姿勢であった。この3人が結局は談合したということはそれだけ青柳候補が先んじていたと言うことである。談合が発表されないまでは票は分散し、青柳候補が一歩優位に立つものと予想していた。その危機感が植松陣営にこの様な動きを画策させたのであろう。各候補の主張を見た場合、3名の談合は信じがたいものがあるがそれが現実になされたのだから驚いた。恐らく、その陰には単に両候補が副会長として入ると言うことの域を超えた、何らかの取引があったことを推論させる。ハッキリ言えば次期または次次期は桜井氏・・・と言うことであろう。
今回の選挙は、主義主張をめぐる選挙と言うより候補者の出身母体をもとにした地域勢力間の選挙と言うことが出来る。各候補はキャビネットを構築して出馬したが、地域選挙であるために非推薦母体からの人選は行われていない。これはこの方法である限り当然であり、バカなことである。結局、植松キャビネットには理事としてはブロック代表として各地域から1名ずつ入っているものの、実働部隊としての役員には東北・北海道・九州から一人も入っていない。
日医の会長選挙はこの様にブロック単位での推薦を背景に行われてきた経緯があるが、私は基本的にブロック単位で特定の候補者を支持したり、推薦するようなことは止めるべきであると考えている。推薦・支持の表明は選挙を、日本医師会の会長の性格、業務遂行を妙なものにしてしまう。勿論選挙であるから推薦者、支持者は居て良いが、これは全て個人の資格でやるべきである。大体、ブロックの絶大な支持を得て選挙を制した会長など、業務の遂行でも他のブロックとの意見の摺り合わせなどに下らないエネルギーを必要とする。
先に示した事と重複するが、東北医連は医連としての支持を表明すべきでなかった。表明せずとも良識のある各代議員の意向はほぼ固まっていただろうと思う。支持表明の有無は大きな得票数に変化を与えないだろう。だからこそ、真の選挙をするために、日医会長のポストの意義を高めるためにも、表明などすべきでなかったのだ。その新しい行き方こそ日本医師会が新しい時代を迎えた事を示す事になったはずである。各地の若い代議員達なら解ってくれるだろうと思う。
東北医連は全国に向かってブロックごとの推薦表明を止めるよう積極的に働きかけるべきである。
植松新会長の働きと手腕に期待したい。植松キャビネットに日医の医療関係者等対策委員会で一緒に仕事をした青木重孝氏が入った。この委員会からは常に常任理事が選ばれてきた。活躍を期待したい。