2002〜2006年に渡って新潟大学医学部関連病院院長会議に出席した。
この会議は時期的に毎年、新臨床研修制度をめぐって討論がなされた。毎年その印象を綴っていたが読み返してみると新潟大学医学部自身の変容がよく解る。今期はそれを一本にまとめてみた。
(2006.07.13)
2002年度
各病院とも経営はおしなべて大変と
新潟大学医学部関連病院院長会議+懇親会(ホテル・イタリア軒).院長の代理として出席。同級の3教授、オーケストラ、学生寮で一緒だった方々、第一内科で血液学専攻した方々など数人と懐かしく歓談、情報交換をする.
何れも新潟県内の院長として頑張っておられたが、経営はおしなべて大変な様子。イタリア軒泊、翌日は日医の「医療関係者等検討委員会」で東京へ。
2003年度
次年度からの「新臨床研修制度」に大学のエゴ見え隠れ
新潟大学医学部関連病院院長会議に出席した。 会議に間に合うには9:00am頃出発しなければならない。外来は出来ないし,時間も無駄,遅刻覚悟で昼過ぎのJRで出発。全体は空いているのに何故か横の座席に乗客あり。一人で座れる席を転々としたが新発田以降は混雑して元の席に戻った。
JRも飛行機でも指定番号にかかわらず私は臨機応変に席を移動する。横の座席が空いてるのとそうでないのではストレスが全然違うためである。列車の場合は停車の度に若干緊張するが,しょうがないと割り切る。
新潟大学医学部関連病院院長会議総会では大学と病院間での医師の応援時の報酬問題が取りあげられた。時間因子 + 距離因子 + 特殊技能因子(麻酔科,外科など)を勘案して決めることになるようであるが,総じて高い。何処の病院長も心安らかならざると思われたが,意見交換では殆ど意見なし。特に県立病院では規定以上の額になるために皆困っているようである。
新潟大学医学部教授との懇談会では主に臨床研修の必修化が取り上げられ,県内は大学中心の研修システムとなるが,その説明の中では大学のエゴが見え隠れする。新潟大学の人数は94名/年という。一方,聞く側の各病院にとってはマンパワーの確保の件からは不安な要素が大きい。この臨床研修必修化問題はイニシアティブを何処でも大学が握っているところから,本当に研修医の為になる制度なのか疑問である。更に地域医療への悪影響は確実に生じるみたいだ。
懇親会は同級の外科,眼科,産婦人科3教授のほか他,オーケストラ,六花寮,欧州旅行・・等での知己数人と歓談した。いまは安穏と経営されている病院はない様である。医師のマンパワーの供給源が大学に頼っている以上,問題の解決はここ数年更に厳しくなるだろうし,政府の医療費の締め付けの影響も諸に受けている。
裏日本の出張等で一番困るのは移動手段である。
JRは新潟15:30以降秋田までの便はなく。新潟→大宮→盛岡→秋田と新幹線の乗り継ぎ,新潟空港→羽田→秋田の方法もないわけではないが,本日の会議は終了時間の点から利用不可。結局,新津発1:27amの特急「日本海1号」しかない。5:25am秋田駅に着きそのまま出勤とした。秋田から出席の他の病院長は新潟泊で明朝のJRと言うが,出来るだけ外来に穴を空けたくないので、私は特急「日本海1号」を選んだ。新津にホテルをとり,通常の生活パターンに近い行程となったので身体的には全く日常と変わりない。
2004年度
「新臨床研修制度」発足 大学医学部は人集めに必死
本日は所用で出席できない院長に代わり、新潟大学医学部関連病院長会第30回定期総会、新潟大学医学部教授会との話し合い、懇親会に出席した。
第30回定期総会は型の如くに進行したが、余った時間を利用して初期研修問題、後期研修問題が語られ、秋田県の実情は如何にと発言を求められ、医師不足の件、医師会のプロジェクトについて話題提供した。
新潟大学医学部教授会との話し合いの中では文科省とかの交渉の結果やその過程が話され、普段聞き得なかった話題もあった。ただ、列席した臨床教授からは後期研修に際しては是非とも新潟大学に戻ってきて欲しい、との考えが濃厚に表現された。彼らの立場では当然そう言わなければならないだろうが、地域医療にとって如何に良い医師を育てるのかという視点では、私は必ずしも大学での研究、研修活動がベストとは思っていないが、教授達の多くはそう考えないらしい。とにかく一人でも多く帰ってきて欲しいと一点張り。その発想の陰には旧態依然とした医局制度、徒弟制度の中での医師育成の考え方からのエゴが見え隠れする。
これからの医師は個々人としてのあり方を考えるとき、研修修練に幅の狭い従来型の方法論など要らない。多様化して当然。勿論、博士号が欲しければ、あるいは大学の特長を生かして修練したければ、研究・教育に興味があるなら大学を志向するのも良し、純然たる臨床の中で腕も磨くのも良し。 今では博士号よりも、臨床的実力の表現としての専門医の称号の方がずっと価値がある時代になってきた。
2005年度
「新臨床研修制度」2年目 後期研修医集めに必死
7月19日は所用で出席できない院長に代わり、新潟大学医学部関連病院長会第31回定期総会、新潟大学医学部教授会との話し合い、および、懇親会に出席した。会場は老舗のホテルイタリア軒。
秋田県の医療機関は4病院が関連病院のリストに載っているが、今回の出席は中通総合病院のみであった。
第31回定期総会の主たる話題は事業報告・計画、決算・予算、役員改選であり、型の如くに進行したが、余った時間を利用して関連病院長間で初期研修問題にかかわっての地方病院の医師不足の問題や後期研修問題についての予測等が語られた。新潟県内ばかりでなく各地の関連病院から引き上げられたままで病院はマンパワー不足で四苦八苦である状況が話題として各地から報告された。大学の医学部の定員そのものを増やす要求すらも意見として出された。私どもの病院は幸いにも、と言うべきか解らないが、新潟大学の影響は受けていない。
18:00からの新潟大学医学部教授会との話し合いの中では病院長から大学自体のマンパワー不足、文科省とかの交渉の結果やその過程が話され、普段聞き得なかった話題もあった。列席した臨床教授、この中には3人の同級生も列席、は新臨床研修のこの2年間の大学での研修希望者が少なかったことに関してはもう諦めムードであったが、3年目、すなわち来年度からの後期研修に際しては、医師のライフサイクルの中に於ける大学での研修・研究の重要性などが強調された。新潟大学では「入局」という言葉すら使わない方針らしい。各科で後期研修のプログラムを用意したので、是非とも新潟大学に戻ってきて欲しい、自分の「医局に所属」して欲しいとの立場で、各診療科毎に後期研修の大枠とそれに関連しての関連病院への派遣計画も提示された。
それぞれ工夫されているようであったし、何かが変わりつつあると言う息吹は感じ取れた。
地域医療の立場から如何に良い臨床医師を育てるのかという視点で見た場合には、大学での研究、研修活動にも見るべき良い点もあるとは思うものの、やはりベストとは思えない。多様性がもっとあって良いとも思われるが、教授達の多くはそう考えないらしい。とにかく一人でも多く帰ってきて「医局に所属」して欲しいと一点張りであった。
2006年度
「新臨床研修制度」3年目 新潟大学は大きく様変わりしつつある
7月4日(火)第32回新潟大学関連病院長会議総会に出席した。 新潟はそう遠いわけではないが、移動に不便である。効率的に移動するために12:48の特急「いなほ」で出発、30分ほど遅刻して総会に参加した。帰路は20:34新潟発快速で新津に移動、新津発7月5日(水)1:27amの特急「日本海1号」に乗車、5:25am秋田駅着、そのまま出勤とした。
新潟大学医学部関連病院院長会議に私は2002年以来皆勤している。かつては当院も新潟大学学士会と一定の関連があり医師の人事交流もあったらしく、その名残でまだ関連病院の中に名を連ねている。私が赴任して今までの20数年、大学関連の人事として医師が派遣されたことは無いから、この会に名を連ねている実質的メリットは乏しい。ちなみに秋田県内で関連病院となっているのは当院、横手公立、秋田赤十字、秋田組合総合の4病院である。
この会に私が皆勤する理由は、総会では新潟県内の県立病院を始め、各県における病院の医療事情、病院事情を知ることが出来るほかに、大学教授会との懇談会では文科省,厚労省と大学との間で交わされている最新の動きを聞くことが出来るからである。この面では秋田大学医学部と県医師会との懇談会で聞かれる内容とは段違いに濃密である。特に、臨床研修にかかわる話題は聴き応えがある。また、同級生が5人教授となっているので人事面で最後の手段として相談をかけられるかもしれないとの打算もないわけではない。
各回共に、やはり新臨床研修に関連した話題が中心となる。関連病院にとっても大学にとってもマンパワーの確保に大きな影響を受けるだけ当然でもある。
定期総会と教授会の話し合いの印象を各年毎にまとめると、以下の如くである。
●2002年度:各病院とも経営はおしなべて大変
●2003年度:次年度からの「新臨床研修制度」に大学のエゴ見え隠れ
●2004年度:「新臨床研修制度」発足 大学医学部は人集めに必死
●2005年度:「新臨床研修制度」2年目 後期研修医集めに必死
●2006年度:「新臨床研修制度」3年目 新潟大学は様変わりしつつある。
今年度は聴いていて過去4年と全く異なった印象を受けた。「新臨床研修制度」3年目で新潟大学は大きく様変わりしつつある様だ。
「新臨床研修制度」発足して3年目であるが、発足前から、この会議を通じて新潟大学医学部の対応姿勢を興味を持って見つめてきたが、今年の教授会との懇談会に参加して新潟大学は大きく様変わりしつつある、との印象を受けた。
今までは、大学の医療界における権威とか、大学での研究の価値とか、大学院とか、博士号取得・・・とか、大学にしかない特徴を前面に押し出して、研修医、後期研修医に対して、「だから、諸君は大学に残るべきだ、大学に戻ってくるべきだ。その方が身のため・・・」と言う視点を強調していた。その陰には旧態依然とした医局制度の体制維持のために、と言うエゴイズムも見え隠れ、研修医達に具体的に如何に良い研修を保証出来るかの視点はあまり明らかではなかった。研修医の立場から見れば魅力に乏しいカリキュラムと言うことは、端から見ていても想像に難くなかった。
しかし、今年はそれが全く影を潜めていた。新臨床研修制度によって思うように大学には卒業生が残らなかったこと、期待していたいわゆる3年目以降の後期臨床研修医も少なかったこと、研修医に対する動向調査、意識調査等を通じて従前の方法では限界がある、と言うことを身をもって体験したことがルーツになっているのであろう。
だから、今後は新潟大学医学部自体が自ら変身して光る存在でなければ人材は集まってこない、そのために大学は変わっていかねばならない、と言う姿勢で貫かれており、今までの違いに些か驚いた。
具体的アクションプランが示されたわけではないが、全国でも医師数が少ない新潟県の医療を改善して行くには、まず大学に有能な人材が集まってくることこそが第一である、との地域医療の充足まで考えた視点に私は今までにない、何か明るいものを感じ取ることが出来た。
これは秋田県にもそのまま当てはまる問題だ。
私は全国6番目の広大な面積の一方、人口10万人あたりの医師数が全国37番目という厳しい状況にある秋田県の医療事情を解決する唯一の方法は、秋田大学医学部を核とした医療連携ネットワーク、人材の交流しか無い、と考えているが、一方で、今の秋田大学にはパワーが乏しいようだ、何とか光って欲しい、結果として有能な人材が集まって来て欲しい、と思っている。
医学部教授会との懇談会ではその他、厚労省、文科省の考え方、新潟大学医学部とのやり取りなども話された。この中には医師養成数を増やす可能性など、注目すべきニュースもあった。