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2004年末随想  地球にとってヒトの存在とは何なのか?


地球にとってヒトの存在とは何なのか?(1)
 21世紀はより希望に満ちた世紀になるはずであったが、あの忌まわしい9/11の同時多発テロ事件以降、世界は大きく様変わりした。イラク問題を中心に武力衝突、国際的テロは相変わらず本年まで続いた。イラク問題は寧ろますます混迷しつつあり、複雑化しているように見える。

 今年は、春から目を覆いたくなるような惨劇が続いた。「イラク情勢」や「パレスチナ問題」、「核やテロの脅威」など、複雑な世界情勢の中で、児童など300人以上が死亡したとされる「北オセチア共和国の学校人質事件」など、相変わらず人間社会は揺れに揺れ続けた。わが国でも「北朝鮮問題」しかりであるが、「小学生がカッターナイフで同級生を殺害」するなどの衝撃的事件も頻発した。全て人間社会の為せる業・・・と言うのは簡単であるが、先行きは実に不透明なものになっている。
 更に加えて、今年は予想を超える「集中豪雨」、立て続けに来襲する「大型台風」などなど異常気象が続く中で、大きな地殻変動まで重なった。「新潟中越地方の大地震」、更に昨夜からはインドネシア、スマトラ地方のマグニチュード9ほどの「超大規模地震、津波」の惨状を伝えている。

 地球に今、一体何が起こっているのか?、人間社会はどうなっていくのか?、今後どうなるのか? 現実は実に波乱含み、先が読めない。これから先は何が生じても不思議ではない・・と、私なんざ何か諦観めいたものを感じ始めているこの頃であるが、それではいけない、何とかしなければならない、とも思う。

 1961年4月12日、ボストーク1号で有人宇宙飛行をした当時27歳のガガーリン少佐は、人類で初めて宇宙空間から地球を見たが、そのときの感動、美しさを「地球は青かった」という言葉で表した。その時代、米ソは熾烈な勢力争いをしていたわけだが、16歳だった私はその言葉に地球の大きな包容力を感じたものである。そして、今後は地球上の人間の営みも、社会もこれで良い方向に向かうんだと、何となくそう思って感動した。今だって、丸い地球の遠景を写真で見ればつくづく当時の感動を思い出し、その包容力の大きさに心が安らぐ。

 しかし、あれから40数年、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。
 何千億年という長い長い時間、歴史を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れてから僅か300万年程度の歴史しかない人間という、寄生虫が如くの新生物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられて来ている。

 かけがえのないこの地球はこのままでは、厳しい病気になってしまうだろう。人間に例えれば呼吸不全、尿毒症、・・、そして多臓器不全状態に陥っていく。

 そんな事を、最近、徒然と考えている。

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地球にとってヒトの存在とは何なのか?(2) 
 ここ数年は特に全世界規模で異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。わが国はそれほどではなかったが、今年は本当に異常気象が続いた。集中豪雨あり、熱暑あり、大型台風もかつて無いほど襲来した。更に新潟中越地震、今回のインドネシア・スリランカ地方の大地震と津波、最終的には何処まで数値が上がるが解らないが、本日の段階で6-7万人以上が死亡したとされている。多大な被害である。
 ただ、被害と言う発想はヒトから見たエゴ的発想ではないだろうか。地球にとっては当たり前の現象の一つなのだから。

 地震とか、地殻変動とかの大きな地球の営みは人間の存在とは直接的には関連しないだろう。が、この様な地殻変動は、地球自体が極めて重量の高い水と陸地からなり、日本海溝に代表される数千m級の断崖絶壁様の深い海の構造を持ち、一方では8-9千m級の切り立った鋭い山脈を持つ不安定な構造、さらに地層深くの高エネルギーのマグマの存在など、まだまだ地球自体は若く不安定な構造を持つ惑星である事を考えれば当然の営みである。
 長い年月をかけてこれらの存在の歪みは不均衡にエネルギーを蓄積し、地層をめくり上げ、あるいは沈下させる。この様な構造を持つ以上、時折、地球は貯まったエネルギーを放出しなければやっていけないし、小さく頻回に放出しなければ、何時かは日本海溝側に日本の陸地が跡形もなくそっくりと飲み込まれるような、日本が沈没するような事態が生じうるかも知れない。

 母なる地球の、この自然の営みに関してヒトは全く無力である。だから、もっと謙虚にならなければならない、と思う。この様な活動が近々生じうかも知れないと言う発想、準備が必要である。その意味では、限界近くまで機能している最先端の巨大システム、例えば新幹線の構造、安全確保機能などは大地震の際にはほぼ無力で危険であろうと思う。ラッシュ時間帯に東海道新幹線では常に近接して数本が走っている。大惨事が予想されるが、人災と言うことになろう。阪神淡路大震災では新幹線は運転直前であったし、新潟中越地震では奇跡が生じたとしか言いようのない幸運さであった。原発は大丈夫なのか?と思ってしまう。

 ここまで発達したらもう機能は中庸で良い。機能追求よりも安全性の確保。追求でなかろうか。
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地球にとってヒトの存在とは何なのか?(3)
 かけがえのない地球、ここは完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中でのみ営まれて来た。例外中の例外は、火星、木星などに向けて近年打ち上げられた探査機のみで、総じて何トンあるか解らないが、地球という閉鎖系から外に出された、投棄された物質はこれくらいである。

 大きめの水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランスが成立し、金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌を与えればかなり長い間、特に手を加えずとも水はきれいなままで保持される。これが身近で経験できる自浄作用であり、閉鎖系のモデルである。水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、閉鎖系の自浄作用では維持できずに、外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。今、地球環境は今これに近い状況に陥りつつある。

 数100億年という長い歴史を経つつ、地球の環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、一部の生命体、植物類、とりわけシダ類がアンバランスなほど増殖した時期はあるが、自然淘汰を受け、各静物画が共生しながら、自浄作用のある一定の環境が成立させた。

 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのではなかろうか、と思う。地球にとってヒトの誕生は、健康人に寄生している寄生虫、いや寄生虫でもそれなりの役目を果たしているとの学説もあるくらいだから例えとして不的確かも知れない。ならば、地球にとってヒトの誕生はガン細胞のようなものかも知れないと、今、つくずく思う。
 ヒトは誕生してもしばらくは自然の掟の範囲の中で細々と生きていたのであろうが、食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に産業革命などに代表される文明の発達がこれに拍車をかけることになる。

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地球にとってヒトの存在とは何なのか?(4) 結論:地球はヒトの欲望の墓場と化す?
 かけがえのない地球。ここに約300年前にヒトなる不気味な生物が誕生したが、たまたま、天敵が居ない、あるいは少ないことや、多少だけ能力が優れていて自分で食料を生産することが出来るようになったこともあって、異常なほど増殖し、この地球上で我が物顔で存在している。その数は、もう地球の収容力はとっくに超えている。

 数多い生物の中でこれほど不気味で問題な生物はいない。何で不気味か、というと、一言で言うと旺盛な「欲望」を備えていることだ。これに尽きる。このヒトなる生物は自らの有能性を誇り、あたかも、最も優れた生物のような顔をしている。そして、欲望丸出しで、自らの欲望を満たすために、他の生物を不必要なほど殺めて不要なほど喰らい、自然を破壊し、自然すらも支配しようとしている。その欲望の前には、地球が完全閉鎖空間であると言う、最も重大なことは完全に忘れ去られているようである。

 あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で行われていることを考えたとき、特に、たった一握りの先進国、一部の途上国が求めているもの、そこで生活する住民の生活そのものは全て、例えば、「より健康で、長寿でありたい」という素朴な願いすら、実は地球環境にとっては害なのだ。

 地球上のあらゆる生物は食物連鎖の中で一定の貢献をしている。増殖し、繁茂または繁殖した後は静かに死を待つ。それが地球上の生物の姿であり、そうあることが義務でもある。全てがその掟の中で生きて行ければ良かったのだが、ヒトだけはその掟から外れてしまった。

 ヒトは、備わった「欲望」を満たすために不必要なだけ喰らい、贅を求める。他の生き物を犠牲にしていることを忘れている。生物体とすれば寿命はたかだか30数歳であろうが、文明なるものの恩恵のもと、その後も不必要に生きる。2倍も3倍も生きる。生きる限り食べ続けなければならない。もう食糧も不足であり、地球上の人口の1/3は飢えとの闘いを余儀なくされている。しかも、生きている限り排泄もし続ける。一人の成人が排泄する糞便は10年間で約一トン、尿はその5倍以上である。もう、地球の自浄能力のレベルは優に超えている。それ以上に文明が発達すればするほど各人は多大なエネルギーを消費する。
 
 将来的に必要なことは、地球レベルでの環境のコントロールである。今ならまだ間に合うだろうが、先進国に求められることは一言で言えば抑制である。しかし、各国が、各人が自由に欲望を満たすような政策、自由資本主義を取り、常に最大限の成果を求めそれを享受することを楽しむ、喜ぶような状況の中では、その事を考えることすら困難である。

 ヒトはここまで「欲望」があったからこそここまで来た。しかし、その「欲望」によって地球を破滅の道に導いていく。何の罪もない他の生物を道連れにして。

 年末に向けて、来年還暦を迎える立場で、自ら来年以降はどうあるべきかを考えつつ、徒然と考えてしまった。
 今年の徒然日記はこれで終わり。来年もいい年であることを祈念して。

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