エアライン、航空機
私は飛行機に乗るのは嫌いである。知らず知らずのうちに緊張しているのだろう。座席の狭さにも閉口する。満席の時など他人との距離が近すぎて特に苦痛である。それでも物理的な利便性があるので頻回に利用している。
私は航空機が好きである。各エアラインの塗装を施された、全く無駄のない機能美が素晴らしい。離着陸など、特に着陸時の雄姿を見るのが好きで、何時までも見ていたいほどである。
エアラインの使命は第一に安全である。巨大システムの維持管理、危機管理についても、立場上、興味が尽きない。サービスの提供についても参考になる点が多い。航空機事故についての関心は人一倍高いと思っている。本や文献をいろいろ集めている。
こんなことから航空機、エアラインについていろいろ考えてしまう。徒然の中にも随分たまったのでまとめてみた。
エアライン 航空機2003年
エアライン 航空機2004年
エアライン 航空機2005年
2002年 |
何かおかしいぞ(4)ANA cashback
全日空がある路線のある機種に搭乗した乗客全員に1万円のキャッシュバックをするというが、バカげた話だ。JAL
JAS合併論議も盛んだが、新規業者参入や運賃自由化になってから集客のため派手な値引き合戦が繰り広げられている。航空機の第一のセールスポイントは安全性だ。もし、全日空が自ら誇れるような安全対策をとっているなら、それを公開して集客すべきだ。
自由化とは?自由な発想を実践できると言うこと。安易な値引き合戦は企業を疲弊させるだけ。
医療改革も同じ。安易な低医療費政策の押しつけは医療機関、従業員を疲弊させ、結果として医療の質も低下させることになる。バカな話だ。
(3/17)
飛行機事故。大型機と小型機の明暗
最近航空機事故が頻発している。
●4/15韓国・釜山市近郊の金海国際空港近くに中国国際航空機墜落。
●5/4ナイジェリア機が住宅地に墜落。
●5/7
カイロ近くでエジプト航空機737が着陸に失敗大破。
●5/8 中国北方航空機が墜落・・・。
多数の死者が出ている。痛ましいことだ。
一方、
●3/28 角館町の玉川の中州に、秋田市の男性(64)1人が乗った複葉型エンジン付き超小型飛行機が不時着。けがはなく、衝撃で機体の一部破損。
●5/6
山形空港で、秋田市の会社員(57)操縦の小型軽飛行機が、滑走路に胴体着陸。けがはなかった。プロペラなど一部破損。
大型機の墜落原因は後に解明されるだろうが、最近の事故報道にはある種の落ち着きが見られ、事実だけ報道し、墜落原因等に関する未確認の情報を大々的に報道することは少なくなった。医療事故関連にもこの姿勢が欲しいものだ。
(5/8)
飛行機事故。大型機と小型機の明暗(2)
5/6日山形空港で小型飛行機が滑走路に胴体着陸したと言うが、原因は車輪の出し忘れという。怪我もなかったので笑える話なのだが、笑えない。
私はパソコン上での操縦しかやったことはないが、それでも着陸の時には数々の操作が必要で結構忙しく、車輪の出し忘れによるクラッシュも何回もやった。実際の飛行機で、例え小型であっても車輪格納機能を持つ飛行機が最終着陸体勢で車輪が出ていないことを警告する装置が無いなんて信じられないことだ。
同じようなことは医療面でもある。人工呼吸器の警報装置は煩いほど鳴るが、電源が抜けたときの警報は私の知る限りでは十分なのは無いようだ。数ヶ月前にどこかの病院で人工呼吸器のスイッチ入れ忘れて患者が死亡した。最も大事な根幹部分に警告がないのは人間を買いかぶっているなのだろうか。
人間はミスを犯すことは避けられないのだ、と言う前提で物事を考えよう。
(5/9)
MD-11機長起訴
97年に志摩半島上空でMD-11型機が大きくゆれ乗務員1名死亡、計13人が受傷した事故で不適切な操作があったとして機長が起訴された。
民間機長の起訴は71年雫石上空での自衛隊、ANA機の空中衝突以来。MD-11型機は主翼に2つ、垂直尾翼の中央部に1つのエンジンを持つ新鋭機であるが今までに3回の仰向け墜落事故を起こすなど、他の機体に見られない空力特性があるらしい。重心が後方かつ上部にあるためかな?我が国ではJALも保有しており羽田-秋田便として時々飛来する。私も何度か利用した。
事故調査委員会の報告が起訴に使われた事、機長個人の責任が問われたことも問題。
最近、医療事故を防ぐためにヒヤリ・ハット事例報告が院内で集められ、背景の調査などが行われるが、これが刑事事件としての証拠に用いられるか否かが論争になっている。もしそうなら報告を躊躇するのは当然である。
医療事故も航空機事故も一つの事故から「学ぶべきを学び」、同じような事故が二度と起きないよう再発防止に結びつけなければならない。過失が生じるためには複雑な背景、前後関係がある。その解明が目的で、故意の事故以外に個人の問題に矮小化してはならない。我が国では常に「誰がやったのか」が問題とされ「何故そうなったのか」は生かされない。だから同じような事故が繰り返される。
(5/19)
エア・ドウ経営破綻 航空運賃の低廉化に貢献、しかし、・・・(1)
エア・ドウ(北海道国際航空)の経営が破綻した。国土交通省が1988から進めた航空業界の自由化を受けてスカイマークエアラインズに遅れること3ヶ月、札幌-羽田線に大手よりも40%も低い運賃を掲げて参入した、ボーイング767、1機のみを保有(リース機で、昨年2機にしたばかりであった)する小会社である。
就航初期こそ注目を集めたが、大手のANA、JAL、JASがほぼ同額にまで運賃を下げて対抗したためにたちまち経営難に陥ってしまった。経営再建のために通常とは逆に禁煙席を無くしたり、北海道も税金も投入するなど、いろいろな努力がなされてきただけに残念な結果である。
これらの航空会社は我が国においては実に35年振りの新規参入であり、硬直していた航空業界に与えたインパクトはきわめて大きく、その恩恵は私も受けていることになる。結果としてJALとJASの大型合併にまで発展したが、私はこの間業界の動きをずっと興味を持って追っていたが、小錦が赤ん坊をひねるが如くの生存競争茶番劇(?)に不快な気持ちを持っている
(6/26)
エア・ドウ経営破綻 航空運賃の低廉化に貢献、しかし、・・・(2)
スカイマークエアラインズ、エア・ドウ(北海道国際航空)の参入以降、運賃の値下げ競争は激化し、大企業3者の横並びの運賃体系が崩壊した。僅か2-3機の廉価航空機の存在が大手航空会社にはそれほど驚異であったのか、理解が出来ない。
当初はこの子会社を標的にした値下げであることが見え見えであったが、そのうちに3社間の値下げ競争に変移し激化していった。小企業いじめが大企業の足の引っ張り合いに発展した。結果的に大手3者共に経営基盤の弱体化を来しているという。JAL・JASが合併し、ANAはエア・ドウを取り込んだ。値下げによって弱体化した基盤を独占化によって強化しようとする方向性である。
先日、羽田-秋田便が1万円のキャッシュバックのくじ引きに当たり、190名の乗客は大喜びしたと言うが、こんな馬鹿らしい値下げサービスは止めて欲しい。TVのくだらないバラエティ番組的発想である。
今回の医療費改定で病院経営は火の車である。もともと利潤追求するものでないだけに余裕は常になかったが、問題は新しい付加価値を見越した投資、備蓄が出来なくなる事で日本の医療の安全性、発展性などが乏しくなることが危惧される。
航空会社も同じ。経営基盤の弱体化は見えないところの手抜きをもたらす。安全性が最大のサービスであるはずなのに。
(6/27)
本日の飛行機小話(1)JAL機内のトイレで煙反応が出た!!
10:00JAL
80%ほどの搭乗で定刻に出発。私は常に最後部を希望して座席を取る。空席があるときには比較的乗客の密度が低く快適であることと、あって欲しくないことだが、何かのパニック状態が生じたときにあの人の密度の中で慌てたくないからである。どうせダメでも少しばかり空間的には余裕が欲しい。私は飛行機と、運行システムを100%信頼はしていないから、それなりの覚悟で利用しているつもりである。
東京に近づくにつれ気流の関係で小刻みにかなり揺れた。山形上空付近で横にいた客室乗務員が何やら電話でパイロットからの指令を受けている様子。声を潜めての会話であったがどこかで煙の反応がでているらしいことは類推できた。航空機内の煙の反応は重大事のはずだが、特に彼女らには慌てた様子はない。
そのうちトイレから20歳前後の、結構スタイルの良い女性が出て来て10mほど前の座席に座ったが、乗務員はトイレを調べている様子。しばらくしてから「トイレでタバコを吸われた方がいらっしゃいます。危険防止のため・・・」と放送があった。
「馬鹿な女だ!!、方々にセンサーがあってトイレなどでタバコなど吸えばすぐに分かるのだ。・・・」と思ったが、感心したのは絶妙な放送のタイミングであった。逃げ場のない密室の中で個人が不用意に特定されないような配慮と考えられ、感心した。
小刻みな揺れで眠くなった。微睡みながらオッ今度の揺れは大きいぞ。と思ったらすでに羽田に着陸していた。
(9/13)
本日の飛行機小話(2)復路のANA機、座席のオーバーセールスによる遅れ!!!
復路の18:40ANA
満席とのことで気持ちが若干落ち込む。連休前だし当然かも、と納得。
出発間際に「座席が不足したので最終便に乗り換え可能な方を募集します。協力金として1万円差し上げます」とアナウンスがあった。最終便は約1時間後だから時間に余裕を持っている方には悪い話では無かろう。私は予定通り搭乗し、キャビンも通常に閉じられたがなかなかスポットから移動せず、結局は予定から15分ほど遅れた。
理由は協力した方々の荷物の積み替えに時間が取られたからとのことである。そうとすればかなり迅速な処置なのだと感心した。一つ一つのコンテナには誰の荷物が収納されているかは記録されるが、奥のコンテナに入ったとすれば荷を出すにはかなりの出し入れ作業が必要なはずだから。
合理的に考えれば、このまま積み替えずに荷物だけ先についてもきちんと空港で預かっていればいいのではないだろうか、と思った。
何で座席が不足したのか?座席数の少ない機材に変更になった訳でもないので、過剰予約または重複予約であったのかもしれない。コンピューター時代になってかなり少なくなったが、私もJRの指定席で経験がある。
今度は山形上空付近から捷錣澆砲・覆衢匹貉呂瓠∇麾蠅・灰奪廚・蚓蹐譴襪曚匹任△辰燭・・,麓造縫好燹璽垢暴・超・舛肪緡Δ靴拭・・実匸w)鹿届淋昭届淋ト礎貼∀黶諱⊂実匸w)鹿届淋昭届淋ト礎貼☆ぢヒラギノ角ゴ
Pro W3">  9/14)
秋田空港で久しぶりに見たジャンボの勇姿
空港駐車場から歩きながら見えたのはJALのジャンボ。何で秋田空港に??JALはこの時間帯は大型機としてもせいぜい3発の1011までなのに珍しい、機材ぐりがつかなくて来たのかな、ジャンボは2年前のヨーロッパ便以来だな・・、と思っていたらビルから見たらジャンボの陰に767-200も駐機していた。ジャンボは秋田経法大付高が修学旅行でのチャーターの便とのこと。定期便の10分ほど前に力強く離陸していった。
ジャンボは数年前までは秋田にも頻回に飛来していたが、最近では滅多に見られなくなった。便数が増えたためで、最近は大型機よりも、搭乗率が稼げて燃料効率の良い767や777が中心になった。乗客にとっては便数が多いほど便利であり、搭乗率が確保できれば経営上でも利点が多いからで、これは全世界的傾向である。
ある大規模病院が今迎えている将来構想の基本的方向性選択の際の判断の参考にもなるかも知れない。
私はジャンボのスタイルが大好きである。背筋をピンの伸ばした勇姿が何ともいえない。羽田等ではあまり感じないが、秋田空港のように駐機が少なく自然に囲まれた地方空港の滑走路上にいる時の姿は実に美しい。特に、JALの白を基調としたデザインは特に良い。久しぶりにしばし見とれていた。
近々JALはJASと合併しJAL
systemsに変わり、機のデザインも変更になる。基調の白はかわらないがあの鶴のマークは消え、新しく太陽をイメージしたデザインとなる。寂しいが、新デザインもまた良い。鮮烈である。
(12/17)
2003年 |
、なんか変だ !
秋田県が税金で航空会社に2億5900万円支援
地元紙によると、秋田県を始め自治体が02年度に航空会社に22億円を支援したことが共同通信社の調査で分かった。運賃助成やPR活動なども含めると、自治体の支出は37空港で、総額約31億円となる。
支援は宮崎空港に次いで、秋田(2億5900万円)、福島の順に多い。
02年度の秋田県の支援費は、着陸料軽減6600万円、夜間駐機補助6950万円、家賃補助6081万円、その他6231万円。利用促進策の支援費は1億1100万円。02年度は秋田への団体旅行を企画した韓国旅行会社などに約2000万円を補助。昨年10月末にはPRのため約3000万円をかけて花火を打ち上げた、という。
確かに、秋田空港は最近とみに便利になってきている。その背景には上記のような支援があるため。
しかし、何か変だ。すっきりしないものを感じる。交通手段の維持は公的事業だから、と言う論旨なのだろう。宮崎空港は今年に限った特別の支出だという。だから、秋田県は恒常的支出をしており、負担額は全国一である。
ここで医療に目を転じてみると県は日赤や厚生連病院に多額の補助を行っているが、地道な医療活動、救急医療とかを行っている一般の私的医療機関には一切の補助を出していない。私的機関に税金を用いる事は出来ないと言う。
医療は公共ではないのだろうか。
航空各社と言っても秋田への乗り入れは3社しかない。一方、この会社は客の確保のために値下げ合戦が盛んである。本来なら各社が負担しなければならない経費を税金で補助してもらっていながら・・と不快になる。多くの県民はこの実態を知らないし、秋田空港を発着する各会社が順調だからサービスも良くなり、便数も増えていると思っている。しかし、高額の税金が投入された結果であることをどう考えるのだろうか。
便宜を図る必要性を否定するつもりはないが、会社でなく利用する乗客を対象に補助してはどうか
(2/27)
何と
!!
予約したJALに搭乗できず。もうけ主義のオーバーセールス
9:30頃空港に到着、10:00発のJALの自動チェックイン機はエラーが出て不可となりカウンターに並ぶ。3人ほど前の乗客のチケットに対して担当者はキーボードを一生懸命たたいているがさっぱり進まない。何かあわてた様子が読みとれる。
結論は「全席決まってしまってもう座席なし」ということ。私を含めてカウンターに並んだ7-8人搭乗できなかった。原因は座席のオーバーセールスによるもの。クレイマーに対してカウンターの女性は「今日は特別で・・、たまたま、予約されたほぼ全員がおいでになって・・・」などと必死に説明していた。
私は13:30からの会議なので若干の遅れで済むのですんなりと11:25ANAに切り替えた。大きな被害ではないにせよ予定変更を余儀なくされたのだから何らかのアクションはするつもりだがカウンターに対してやっても無駄、私は後に利用しようと思って証明書を発行してもらった。証明書には「JAL552便オーバーセールスにより搭乗便の変更にご協力いただきました」とあった。別に「ご協力」した積もりはないが結果的にはそうなったのだからやむないか。この件に関しては秋田に帰ってからゆっくり対応してみることとしよう。
座席数以上にチケットを販売するオーバーセールスは一般的には決して珍しいことではない。購入段階で座席が指定される場合にはないが、特に劇場等での自由席の販売ではよく行われているという。300-500人乗りの大型飛行機の場合、全席売れても実際にはかなりのキャンセルが出る。それを見越しての販売と言うことになるが、その目的は一人でも多くの乗客を獲得して搭乗率を維持し、収入を上げることにある。
航空運賃が自由化され会社間の競争時代になり、より安く搭乗できることは良いことだが、一方ではこの様な対策をとっていてその煽りを受けるようであっては問題である。
予約販売したということは乗客と航空会社間で一種の契約が成立した事であるが、搭乗を確約したことにならない。国際便の場合には予約した乗客は出発数時間前に搭乗することを航空会社に予告し約束しないと自動的にキャンセルされるし、ビジターのホテルの予約も場合も同様である。
国内便の場合には15分前までに搭乗手続きをするよう指示がある。今日の場合には25分前であったからJAL側に問題がある事は明らかである。
予約チケットを購入していても先着順に締め切られ、他の便に振り変えられるだけ、としたら飛行機による移動は随分不安定なものになってしまう。まあ、今日も良い経験を一つした。
(3/12)
JALの鶴マークが消えるのは寂しい
20:40と遅く着いたので都内に出ないでそのまま羽田空港で食事をとった。羽田空港といえど21:00過ぎまで開いているレストランは少ない。丁度JALのターミナルの上にあたり窓下には10数機のJAL機を見ることが出来た。
夜の空港の景観はイルミネーションが豊でとても良い。
そういえば、前回出張時にJALの搭乗時に置き去りにされた件はいくらクレームの電話をかけても混雑にて(本当か??)繋がらないのでまだ決着が付いていない。まあ、この件はまた後にしよう。
JALとJASが合併し新会社になったがそれを機会に両者の機のデザインが変更になった。太陽をイメージした力強いマークでとても新鮮である。JASのデザインはもともと良いとは思っていなかったが、JALの鶴のマークは長い間親しんで来たし、特に外国の空港では親しみが沸く。
私は世界最高の航空機のデザインだと思っていたので実に寂しい。確かに二社の合併だから片方のデザインをそのまま使用するのは困難であろうが、思いきった決断したものだと思う。
(3/29)
「マッハの怪鳥」コンコルド遂に引退
B747、777やA340と言った超大型機が活躍する時代であるが、超音速旅客機「コンコルド」は誰にとっても特別な印象を持つ航空機である。そのコンコルドが本年10月をもって商業運行から引退すると発表された。
寂しいかぎりである。
初飛行から34年のモデルで8機ほど製造され商業運行に就いているが、後継機はない。今となっては古さは否めないが、離着陸時には視界確保のために機首部分が下の方にスイングする特徴があり大型の鳥類の姿を彷彿とさせる一方、その勇姿には超音速旅客機の誇りが感じられる。商用機唯一のデルタウイングの独特の外観は、経済性の悪さや機体の古さを越え、航空ファンでなくともこころを引きつける機能美、魅力にあふれている。
コンコルドはマッハ2以上で飛行する。通常の旅客機がマッハ0.8程度で飛行している事からみて如何に早いか解る。そのために窓も掌程度しかなく、触ると熱いのだそうだ。離着陸時の騒音はかなりなもので、そのためにロンドン-パリ間でしか商業運行をしていない。サミット時とかには日本にも飛来している。実際に乗ってみるとそれほどの騒音でないらしい。恐らくマッハ超ではエンジン音はきこえなくなるはずである。
2002/7のコンコルド墜落のシーンが脳裏をよぎる。地上にいて巻き添えになった7人を合わせて計114人が死亡した。私は新聞の写真でしか見ていないが、あのエンジンから火を噴きながら飛びあがった映像は全世界に衝撃を与え、これでコンコルドも永遠に飛ぶことはないのではないかと思われたが、関係者の情熱に支えられて再発防止の改修がなされ復活していた。
しかし、騒音が激しいこと、航空需要低迷、期待の老朽化と修理費用の高騰、その他の事情もあり運航終止がささやかれていたが、遂に、エールフランス、英国航空共に引退を決定してしまった。
私はまだ実物を見てはいない。パリのドゴール空港では駐機中の機体を見る事が出来るのではないか?と期待していたが見ることは出来なかった。
飛行機はどれも美しい。贅肉が一切無いからである。その中でもコンコルドの機能美は白眉であった。寂しいかぎりである。
(4/19)
上空で虹を見た。 往復とも出発時間ギリギリ、最期に搭乗、反省した。
反省その1:本日東京までの往路、秋田空港内のキャッシュコーナーで振り込みなどをやった後で搭乗しようとしたが、機のドア直前まで進んだところで車の鍵を忘れたことに気づいた。
係員の案内でキャッシュコーナーに戻り、再搭乗した。最期の搭乗者となってしまったが、若干時間に余裕があったために出発時間を遅らせるなどの迷惑はかけないで済んだ。
反省その2:復路は日医総研セミナー「個人情報保護法」のディスカッションが面白く、空港までの時間を見計らってぎりぎりまで聴講し、急ぎ帰路に就いたが、途中、山手線神田駅近くで線路上にヒトが入り込んだと言う予想外のことが起こり、10分ほど東京駅で臨時停車、結果的に空港搭乗口には17:45頃到着、何度か私の名前が呼ばれていた。
ボーディングブリッジからの搭乗ではなく、バスで機に向かうのだが、私ともう一人の方のためにバスが一台待機してくれていた。結局もう一人の方は来なかったために私一人を乗せて機に向かった。飛行機には前のバスが満員状態で着いたばかりだったらしく、余裕を持って最後尾に並べたから、出発時間を遅らせないで済んだ。いつもギリギリで搭乗するがもう少し考えなければと、ここでも反省した。
復路、関東地方は厚い雲に覆われ、上昇し終わった約8000m上空でもうっすらと雲がかかっていたがその割には揺れは少なかった。久しぶりに窓際に座ったので時折本から目を離し次々と変わっていく雲の様子を楽しんだ。茨城上空あたりで雲の上に虹が見えた。とは言っても地上で見るのと異なり半円形ではなく、上半分は無く二本の柱だけの虹であった。こんな上空でも虹が出来ることを初めて知った。
山形上空では鳥海山の頂上付近が雲の上に顔を出しており、峰と峰との間にまだ厚く雪を残した景観は実に美しかった。
秋田空港は今でもジャンボクラスまで運行は可能であるが、県の事業として250m滑走路を延長すると言う。着陸時滑走路の端が近くに見えるが、特に冬場ではもっと余裕が必要であろう。離着陸時には何が起こるか解らないから、より安全な運行のために、私は賛成である。
(7/18)
東京からの帰路、久しぶりのMD-90。嵐で滑走路上で1時間半の足止め。
東京への往路の11:20ANAは搭乗率30-40%程度だったので快適であった。
出張の際、帰路は通常18時頃の秋田便を用いる。従来はANAが運行し260席のボーイング767-300型であったが、今月からJASになり使用機種も160席のMD-81またはMD-90となった。
今までも混雑していたのにこの変更はちょっと残念である。せめてAirBusA-300シリーズにならないだろうか、と思う。
本日は何故かMD-90に変更になった。MD-81は乗る機会も少なくない機種であるが、あまり快適とは言えず、MD-90の方がずっと快適である。しかし、通常は伊丹・名古屋・新千歳・福岡をベースに使用されているために秋田便では滅多に使われない。私も久しぶりの搭乗となった。
MD
-90は、かつてのマクドネルダグラス社が最後に設計した小型機。エンジンが後方に2つついておりT型の尾翼を持つ。主翼にエンジンがない為に揚力、安定性に優位点があるとされる。低騒音で知られるMD-80シリーズをベースにエンジンを変更、完全なグラスコクピットを導入した新世代機であるが、ボーイングによる吸収合併によって、サイズ的に737-300型機と競合する為に生産が打ち切られた。
総生産台数はわずか114機のみ。JASはこのMD-90を主力機として1996年から導入、黒澤明監督のデザインによる7種類のレインボー塗装をまとって現在16機が運航されている。同サイズのMD-81との見分けはエンジンの太さで、太いほうがMD-90である。
定刻にタキシングを始めたが、途上で俄に空が曇りだし、激しい雷雨が襲ってきた。アナウンスでは羽田上空に積乱雲が発生したという。先ほどまで快晴の東京、そういえば今日は異常に暑い日だった。地上の上昇気流と海上からの大気の温度差に加えて、上空の冷えた大気との関連で突如発生したものと思われるが、本当に一瞬の間の変化であった。この様な急激な変化は前も一度羽田で経験したが、岩手や秋田では経験がない。緑豊かな土地とコンクリート砂漠の差なのであろう。
滑走路上で待つこと1時間半、19:25離陸した。この間エンジンはアイドリングのまま。かなり燃料を無駄にしたね。満席で狭いMD-90、本は十分に読めたが濃厚な人口密度の中で2時間半はさすがに疲れた。
(9/3)
機長の「失敗学」 講談社 2003/4
杉江 弘
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E5%BC%98%2C%20%E6%9D%89%E6%B1%9F/249-1134980-9633140>
(著)価格:
¥1、600
東京出張時に羽田空港の行きつけの書店で購入した。
飛行機事故に関する書籍は柳田邦夫氏の「マッハの恐怖」に触れて強烈な印象を受けてから彼の著作のほぼ全てを始め、多くの書籍を読んできた。飛行機事故の記録から危機管理、巨大システムの管理など学ぶことが多い。
その点、羽田空港の書店には場所柄、飛行機に関する書籍が多く陳列されている。飛行機に乗るときには飛行機に関する本を読むのが楽しい。
約一ヶ月ほど前の出張時にたまたまこの本が目に付いた。表紙からは解らなかったが、あの20年ほど前の日本航空のジャンボ機の御巣鷹山墜落事故に関する本である。事故の後の数年間、多くの関連図書が発行され、私もかなりの数を読んだが、どれも大同小異であった。この本は視点が若干違っているとことに興味を覚え購入した。
著者の杉江 弘氏は1969年慶大学法卒。DC-8型機長を経てジャンボ機機長として現役のパイロット。飛行時間は約17000時間。首相フライトなど政府要請特別機の操縦も多いと言う。著書に「機長の告白・生還のマニュアルー(講談社)」等がある。これも面白い作品であったが、今回の著作で彼は、機体の損傷によって悲劇的とも思われる運命を辿ったこのジャンボ機のクルー達の操縦や対策にクールにメスを加える。
彼は十二分に検証を加える過程で彼らの過ちを指摘することは決して死者にむち打つ行為ではないと言い切る。この視点は医療に携わるわれわれにとっても極めて重要である。
(10/17)
杉江 弘著 機長の「失敗学」(2)----この本からの学び
彼は前書きの中で過去の大事故から学び、再び同様の事態に遭遇したら自分ではどう対処するか、その考えを持ち得ないまま日々多くの乗客を乗せて乗務していることは良心に反する。いかなる事態が生じても安全に帰還できる技術を身につけるのが真のプロだ、と言っている。これは極めて重大な事である。
文中では
○
事故の分析は死者の霊に鞭打つ行為か?
○ エンジン非対称出力調整は何故使われなかったか
○
機長が操縦しなかったのは何故か
○ 何故日本語で交信しなかったのか
○ 何故クルーは酸素マスクを用いなかったのか
○
低酸素症に対する知識、訓練は不十分だった
○ 事故の教訓は何か
○ 失敗学が生かされる現場とは
○
事故調査の第一目的は再発防止なのだが
○ すべての油圧を失っても生還できる操縦法とは
○
何故、垂直尾翼を徹底的に捜索しなかったのか
○ 本当に垂直尾翼の破損から始まったのか
○
事故原因の真相は何か---と項目をあげて論旨を展開していく。
この項目一つ一つも興味深いものがある。
しかし最も興味をひかれ、評価すべきはこの本を貫いている、事故の分析は死者の霊に鞭打つ行為か?と言う命題である。
彼はそうではないとの視点に立つ。だから時には歯に衣着せぬ記述となる。そのことで事故の分析がかなり明晰になる。問題なのはこの様な考え方が航空界全体のものでなく一人のパイロットのものであると言うことであろう。
しかし、われわれ医療はもっともっとひどい状況にある。
従来は、例え医師の仕事ぶりに問題があって重大な結果が生じたとしても、その仕事ぶりが詳細には公開されることがなかったし、多くは闇にほおむり去られてきた。
慈恵医科大学青戸病院の事故の類似症例が各地から報道されてきた。だから、今でも結局そんなに大きくは変わっていない。航空機事故は例え軽量プレーンであっても事故は確実に記録され調査される。医療関係のトラブルは一部しか出てこない。
医療関連事故はあってはならないことだが、医療行為は必ず患者に大なり小なりリスクを与えるのだから一定頻度で生じることは防ぎ得ない。問題はそれを如何に検証して同じ事故を繰り返さないか、同じ事態に堕ちいったらどうすればいいのかを学ぶことである。そのためには第三者機関の設立が必須である。
警察の関与はその後で良いのだ・・・・・所の本を読みながら考えてしまった。
飛行機に、リスクマネージメントに興味のある方等にはお勧めの本である。
(10/18)
コンコルドの終焉
2003年10月に怪鳥「コンコルド」の飛行が中止になった。
直接の切っ掛けは2年前の墜落事故ではあったが、その前から機体の老朽化、採算割れとかで運行続行は取りざたされてきていたからやむを得ない処置と思われる。
2年前の墜落事故は、直接原因は最終事故原因調査団の結論では、先に離陸したコンチネンタル航空??から滑走路上に落下した金属片によってタイヤがバーストし、燃料タンクを破損、出火したこととされている。コンチネンタル航空側でも非を認め賠償金を支払っている。
実際には事故原因として別の見方があるのを知った。あるジャーナリストが執拗に原因究明を進めたものであるが、判明したことは事故機は整備の不備で本来であれば脚に装着すべき部品をつけないままで、車輪の回転の安定さが欠けていたこと、通常よりも約600Kgほどの積載重量過剰でタイヤへストレスがかかっていたこと、航空機関士が機長に無断で出火したエンジンを止めたことなどが明らかにされているという。部品が欠如していたことは事故機の残骸の検査でも判明しており、実際に整備場の棚の上に残っていたと言う。
回収されたフライトレコーダーによると、機長は通常の離陸速度に達する前に離陸操作を開始していることが判明している。重量過剰状態では考えがたいことであるが、その理由は、事故機は金属片を踏む前から滑走路上で左側に寄り始め、滑走路から逸脱する危険が迫っていたためにやむを得ず操縦桿を引いたのではないかと推論されている。機が左側によった原因が左車輪の回転の安定性を維持する部品が欠けていたことが第一の原因とされ、それによるタイヤのバーストがあったとしている。
事故原因とされる滑走路上の金属片を踏む前にこれらの過程が進んでいたと推定しており、滑走路上に落ちていた金属片を踏む遙か手前から燃料タンクから煙が出ていたとその見方を裏付ける目撃者も3人いるというし、この説を支持する元パイロットや専門家も少なくない、と紹介している。
しかしながら、この事故の原因の説は事故原因調査団には完全に無視された。客観的な証拠がないから・・と言うのが理由と言うが、国営エールフランスの権威を保つためのこじつけで結論がねじ曲げられた、とそのジャーナリストは結んでいる。
私など最終報告の抄録を見てフムフムと納得していた。他の見方をする資料、情報がないからやむを得ないが、何事につけても一つのものの見方にとらわれない発想と、それを解明していく熱意が重要だと感じ入った次第である。
(12/17)
2004年 |
恐怖感を感じた、新横浜駅通過の超特急「のぞみ」
航空機と大差なし
先月中旬病棟スタッフの結婚式で横浜に行った帰り、帰秋のこまちに乗るために新横浜から新幹線で東京駅に移動したが、ホームで待つ間に上下線各1本の「のぞみ」が通過した。
すさまじい轟音と共に1本の列車の通過はホントに一瞬の出来事である。恐らく250Kmほどは出ていると予想される速さ。私は恐怖感を感じてしまった。
最近長女から、3月の友人との九州旅行が空路なので恐い恐いと言うメールが入る。彼女は徹底して飛行機嫌いなようで、新幹線で行きたいらしい。私はその気持ちは良く解る。心理構造がよく似ているのであろう。
私は超高層ビル、大型建造物、飛行機、新幹線、高速道路、高機能の自動車・・・・などなど、人の英知によって作られ運用されている大型、高機能のシステムは潜在的に恐い。いやそれだけでなく、東京、大阪等の大都市自体にも言いようのない恐怖感を覚える。 潜在的に巨大なシステムは恐いが、別に私がその何かの事故やトラブルに巻き込まれて死ぬこと自体を恐れているのではない。ただ漫然と怖い、要するに不安症なのだ。
多分、各方面の専門家は安全設計、安全計数などからむしろ安心なのだろうが、私はそんなことを知らない。だから、出来るだけ近づかないのが原則だが、そんなことは言っていられないから割り切って利用するしかない。先日の大阪のホテルは20階だったが怖かったね。
20数年前に羽越線遊佐駅で私が乗った特急列車が脱線し駅のホームに激突したことがあったが、数10Km程度とそう速く走行しているわけでもなかったのに座席から放り出されるほどのすごい衝撃であった。その時のことを合わせて考えてみた場合、新幹線の場合には大変なことになると思う。想像すら出来ない。現実には滅多にないことなのだろうが、車輪にトラブルは生じないのだろうか、地震の場合にはどうなるのだ??と考えればきりがない。新幹線だってシートベルトが必要でないか??
私は新幹線の方が飛行機より安全とは感じられない。だから、娘には、車以外なら、何だって同じさ・・と返事しておく。車は、いつも言ってるように、私にとっては最も信用できない乗り物なのだよ。
(3/2)
大逆転!?コンチネンタル航空-奇跡の復活
日経BP社 ゴードン・ベスーン 価格:¥1,890 (税込)
私は航空関係の本が大好きである。
新型航空機の紹介、ヒトや巨大なシステムの運用、安全対策、サービス、危機管理、緊急事態への対応、事故の際の原因究明過程、事後処理など、どの点を見ても興味津々たるものがある。特に羽田空港内の書店にはこの関係の書籍が沢山陳列されている。出張時の飛行機のなかで航空機事故や墜落等の書籍を読んでいることも希ではない。
航空関連の各種の対応、経営などは医療機関にとっても医療関係者にとっても共通点が少なくなく参考になることも多い。
また、事故への緊急対応や事故の究明過程は診断困難な重症患者の分析、診断、治療の過程ともよく似ている、ということも私が好んで読む理由の一つでもある。
2ヶ月ほど前に横浜の娘の家を訪れた。婿殿は大変な読書家で引っ越しからそれほどたっていない新居の自室には広いジャンルの書籍が未整理のままうずたかく積まれていた。それを眺めているときに目に入ってきたのがこの本である。手に取ってみると、内容的には航空機の話ではなく左前になっていた航空会社の経営の建て直しの話である。米国のコンチネンタル航空と言えば超一流の航空会社として評価されているが、この本で実際には大変な会社であったことがよく理解出来た・・・と言うより驚いた、と言うのが感想で、この分厚い本をとりつかれたが如くに一気に読み切ってしまった。
この本は、コンチネンタル航空が、破産・倒産直前から見事に立ち直った戦略を記した本で、CEOの視点から記載されている。記述は第1部:
最低のエアラインからナンバー1企業へ。第2部: 成功へのフライト・プランの二部構成になっている。
著者の経営を立ち直すための事実のクールな分析過程、それを元に打ち出す数々の戦略について記載されているが、例えを交え記載されているなど、実に解りやすく、この種のジャンルの本の中ではとても読みやすい。戦略としては斬新なものはないものの共感できることも多く、考えさせられるものが多々あった。
著者は従業員との信頼関係がいかに大事であるか、を何度も何度も強調している。そして的確で分かりやすい戦略を打ち出し、一つ一つクリアする実績をしめしながら、働く意義や喜びを少しずつではあるが確実に与えていく。その過程が面白い。コンチネンタル航空と言う巨大企業の知られざる内情を知るためにもとても参考になった。
(4/5)
久々の東京出張 台風一過後で空路は快適 東京は暑かった
東京出張は4月1日前後の日本医師会代議員会以来である。
日医を始め県医師会も新執行部となり、まだ組織的活動は少ない。本日は病院関連の出張である。往路は11:20発ANA AirBus
A301で、搭乗率40%程度で最後尾の座席をとったが、この付近は特に人影がパラパラで快適。帰路は逆コース18:10JAL
MD-90で満席。これはもともと座席間隔が狭いが、特に今日は三列座席の窓側だったから極めて窮屈。やはり私にとってヒト同士間には一定の距離が必要なことを実感した。ただ、ANA AirBus
A301は快適だったが、最後部の座席はリクライニング機能が付いていない。往路は若干揺れたが復路は殆ど揺れず、快適であった。
それにしても東京は暑かった。如何に外が暑くても会議場などは冷房が効くので、あまり軽装だと寒くなるからスーツとかは離せない。これもまた面倒くさいがやむを得ない。何でこんな暑い日に寒い思いをしなきゃならんのか?
移動時間のほぼ全行程でBOSEのヘッドフォンQuiet
Comfort2にMDプレーヤーをつないでバッハの無伴奏ヴァイオリン曲を流していたが、このヘッドフォンを機内で使おうとしたが客室乗務員に注意された。エンジンの騒音軽減効果を期待していたので実に残念であった。また、如何に雑音を低減してくれるとはいえ、あまりにもダイナミックレンジの広い大編成の音楽はモノレールや山手線、地下鉄の中では十分に聞き取れず不適であることが解った。その点はヴァイオリンソナタや協奏曲、弦楽四重奏曲はまだ良いようである。1/2倍速で録音すると一枚のディスクが150-180分も使えるし、音質は遜色ないからMDはとても良い。カセット時代が別な意味で懐かしくなる。
(6/23)
JALガラガラ モノレール座れず
昨日の出張雑感
昨日の出張時の往路、JALは中型のAirBus
A-300-600型、多分定員は300人ほどであろうが、搭乗率20%ほど。ヒトとヒト間の距離、空間を大事にする私にとっては自分の席の周りもパラパラで、座る姿勢も足を投げ出すのも自由、東京付近まで終始揺れ続けたが超快適であった。
更に、羽田空港が混雑しているとのことで木更津上空?だと思うが、15分ほど着陸順番待ちの旋回していたために山の景色、自然の森林など十分に楽しめた。ゴルフ場がいかに自然破壊につながっているかもよく解った。羽田にはスムーズに着陸したが、窓からは着陸態勢に入っている航空機の機影、前照灯が数機分、旅客機がこんなに近くて良いのかと思うほどの距離、勿論法定以上の距離はあるのだろうが、で並んでいた。10年数年前、千歳空港で自衛隊の輸送機が10機ほど、1分も間隔を置かずに整然と着陸した見事な光景を見たことがあるが、その時のことを想い出した。
詳細は解らないが、今月からターミナルビルは第一、第二ビルに別れた。JALは旧ビルを用いているようである。第二ターミナルビルは規模も機能も素晴らしいと言うことだが往復ともJALであったために見る機会はなかった。しかし、ビル内の混雑はかなり緩和された様な気がする。旧ビル前の駐機場も大部分がJALのみで従来のようにANA機は殆ど見えない。降雪期には空路を用いないつもりなので第一ターミナルビルを見ることはしばらくおあずけである。
モノレールは路線が延び、JAL使用の際は始発でなくなった。今までは車両のないところで待つことは殆ど無かったが、待っていて実に変な感じがした。乗車できた車両は既に第一ターミナルビルからの乗客で一杯、浜松町まで立って移動。30年以上もモノレールを利用してきたが、立っての乗車は初めての経験である。
復路は小型のMD-90型機で満席。復路は殆ど揺れなかったが、こんなに混むと、何でこんなに前後左右の座席間距離が狭いのだ?積めるだけ積もうというヒトを荷物と同様に扱う発想でないか?例え1時間程度と言え拷問だよ・・・などと次々と文句を言いたくなる。もう少し何とかならないのだろうか、等と勝手なことを考えながら移動した。
それとも、与えられた便利さを、謙虚に、単純に喜ぶべきなのだろうか。
(12/14)
2005年 |
失効のチケット続出 自分のバカさ加減に呆れる
昨年10月、台風のために名古屋行きが中止になり、こまち秋田東京間の往復チケット二人分、は払い戻しでなく、使用時に座席指定を受ければ利用できるような状態にして置いた。その様な方法があるのは初めて知ったが、降雪期の東京出張は大抵JRにしているので十分利用できるとの目算で現金化するより便利だろうと考え、その様にした。
先週までの数回の東京往復は通常に乗車券を購入した。今週土日の出張時にはこのチケットを利用しよう、と昨日と机から出してみて仰天、有効期限2005/1/15迄、とのこと。またやってしまった!!!
とガックリ来た。矢張り、52000円分パーは痛い。バカだね。
昨年4月、ANAのマイレージバンクなるもの、これを失効させた。2月頃そろそろ有効期限が来ますと連絡を受けたが、ちょうど多忙な時期であったのでその内に手続きしようと机の引き出しに入れといたが、何かの機会に再度気付いたときにはもう締め切りを一月ほど過ぎていた。今は出張の時間帯からJALへの搭乗の方が圧倒的に多いが、前は殆どがANAであったし、ヨーロッパ往復もANAだったからかなりのポイントであった。約40000円分の恩典をパーにした。バカだね。
昨年8月にはN響秋田公演をパーにした。ホンの1時間ほど前まで行く予定だったのに業務処理に集中、失念した。数年前にはオペラ「椿姫」、チケット出してみたら一月以上も前に終わっていた・・・。等など、実はまだまだある。気恥ずかしくて書く気にならないものもある。
自分のバカさ加減、無知さ加減にもほとほと呆れる。最終的には「アハハ・・・」と空しく笑うしか解決法はない。スケジュール表への入力を忘れたのが第二の原因。ホントは忙し過ぎ、心にも、時間的にも余裕がないが第一の理由なのだ!!!!、と空に向かって愚痴りたい。
(2/7)
航空券持っていても搭乗出来るとは限らない 2度目の経験
3/19医療評価機構受審最終日、とある会議出席のために最終便にて上京した。
搭乗30分ほど前に秋田空港に着いたが最終便ともなるとさすがに空港は閑散としている。カウンターで搭乗チェックインの手続きをしたが、何故かいつものようにはスムーズに処理出来ない。若い窓口係員が脇のベテランと思われる職員に何やらヒソヒソと相談している。それでも上手く行かないらしい。奥から男性職員が呼ばれてキーボードをいろいろ操作している。
結論は「この往復分のチケットは、販売した旅行社によって数日前にキャンセルされているために無効です。新たに購入いただかねば搭乗出来ません・・・」とのこと。幸い空席はあるらしい。キャッシュコーナーはもう閉まっている。どうする?? ディバック、ポケットなどをいろいろさがしたら何とか4万円ほど見つかり新たに往復分購入し搭乗出来た。いつもは現金を殆ど持たないが、たまたま何カ所かに分けて持っていて良かった。
私が最後の搭乗者であったが何とか遅らせないで滑り込めた。
MD-90型、実際には搭乗率50%ほど、特に後部はガラガラで、揺れもなく空路は終始快適であった。
復路、15:15発JAL。搭乗ゲート24番前の座席で15分ほど微睡み、目覚めたら先ほどまでの乗客は周囲にもう誰も居ない。寝過ごした??搭乗ゲート24はまだ15:00なのに既に「17:00発三沢行き」と表示が変わっていた。もう秋田便は出発した??まさか!!!
慌てて係員に聞いてみたら「秋田便は機材が不調のために別な機となり、搭乗口は急遽41番に変わりました。遅れているので未だ間に合います。お急ぎ下さい」と言う。
結果的にこの便も私が最後の搭乗者となり、すぐに扉が閉められ15分ほど遅れて出発した。機種はA300-600型、搭乗率20%??後部はガラガラ。私のために飛んでくれているような錯覚に陥った。快適であった。
昨年はJALのチケットを所持していたが、オーバーセールのために既に空席がないとのことで搭乗出来なかったことがある。係員が平謝りしてくれたが、この時は満席であったので如何に食い下がっても埒が明かず次便のANAで上京したことがある。
今回の経験も併せて得た教訓は、●チケットを購入したからといって100%乗れるとは限らない、●空港にはなるべく早く着け、●搭乗前には寝るな!!!
と言う3点である。
(3/21)
空路は搭乗券を持っていても乗れないこともあるし、乗れたからと言って無事着くとは限らない
私は予約済みの搭乗券がありながら、(1)オーバーセールスのために満席で乗れなかった(2)知らないうちに手持ちの搭乗券が何者かによってキャンセルされていた(3)直前に搭乗口が変更になっていて、乗り損ねそうになった、ことなどを経験した。それから得た教訓は、とにかく空港には時間的余裕を持って出かけなければならないと言うこと。
ところが、先日の東京出張時は快晴の羽田から飛び立ったものの秋田空港が濃霧のために東京に戻りそうになった。翌日のスケジュールがびっしり詰まっており、何としようかと些か悩んだが、霧が若干薄れたとのことで2回目のアプローチで無事着陸出来、安堵した。
冬場は空路は運行が不安定のためと、駐車場で車を掘り出すのが難儀なために私は原則的には新幹線を利用している。今年は2月下旬から空路にしたが、帰路は毎回条件付の出発であった。2月下旬の大阪便は花巻、または仙台空港に、3月の東京便は2回とも羽田に戻る可能性があるとのアナウンスのもとでの出発であった。
今まで、条件付の搭乗は10数回になるが、実際には毎回ほぼ問題なく着陸出来ていた。乗客とのトラブル予防のための安全弁としての条件付き、と解釈しあまり気にしていない。今回も搭乗前に自宅に電話して状況を確認したところ小雨で風もないとのこと。
19:15秋田空港に順調にアプローチしていたかのように思えたが高度100mほどの所から激しいエンジン音と共に急上昇した。窓からの景色は別に問題ないように見えたので何故なんだと訝ったが、アナウンスによると空港周辺が濃霧で視認出来ないとのこと。暫く上空で待ち着陸の機会をうかがい、ダメなら東京に戻る予定と。
今から東京に戻ると21:00過ぎになる。寝台特急「あけぼの」は間に合うか、ダメならどうするか、宿泊は?明日の仕事は、帰秋はどうするか、等々いろいろ対策を考えたが、ここでは何とも出来ンからじっと待つしかない。
20分ほど上空で旋回待期後に再度着陸態勢に入った。いつ再上昇するかと耳を峙てていたが、順調に着陸出来て全てが解決した。
(4/1)
今度は羽田の管制官のミス 閉鎖滑走路に着陸誘導
羽田空港で4月29日夜、管制官が過って着陸態勢にある2機に対し閉鎖中の滑走路へ着陸を誘導、1機は着陸し、後続の1機は別の滑走路に着陸した。管制塔などで業務中の18人全員が滑走路閉鎖を失念し、機長が確認の問い合わせをしても気づかなかった、と言う。
国交省は、急遽羽田空港の管制機関の査察実施を決め、当夜就業中であった18人を業務から外した。工事による閉鎖は1ヶ月以上前に全管制官に対し通知されていたし、当日も、責任者が再度周知するはずになっていたが、忘れて実施していなかったらしい。
滑走路は閉鎖直後で工事作業は始まっておらず、実害はなかったが、この事故は絶対に過小評価すべきではない。国交省は航空法上の「重大インシデント」に相当するとしている。
JR福知山線での脱線事故は恐らくは運転士の単独の判断ミスで生じたと思われるが、例え誤った判断をしても実行出来ないバックアップシステム(ATC)が必要で、あの事故の区間には設置されていなかった。設置されていれば防止出来た事故のはずである。JR西日本は最高の収益を計上しているが安全確保を犠牲にした結果でないのか?とさえ思ってしまう。
一方、今回の羽田の「重大インシデント」専門家18人も現場に居ながら生じたことに大きな問題がある。基本は「当日すべき再確認・再徹底」を怠った事に発しているが、それ以上不思議なのは、18人も居て一人としてこの様な重大な事項を思い出さなかったことと、ここでもバックアップシステムを欠いていたことで、本当に信じられない事態である。
管制官が運行状況を確認しているディスプレイは切り替えによって滑走路上の機体、付近の機体を確認出来るはずであるが,肝腎の滑走路の閉鎖とかは、ディスプレイ上の滑走路の色調を変えるなど、何らかの方法で示されないものだろうか?又、実行すべき注意事項は時間と共に次々と変わっていくだろうが、例えば今回の件なら「あと15分でA滑走路工事のために閉鎖」などと経時的にテロップ等で流すような方法などとって無いのだろうか??私はその程度は当然あるものと思っていた。
「ヒトは過ちをおかすもの」である事は危機管理上常識である。しかし、その前提が役に立っていない。これを忘れて高機能だけを追求すると予想もしない事態に陥る事になる。 日常、JRの運行関係者も羽田の管制官も事故を生じさせないように良くやっていると思う。しかし、その安全は危険と紙一重の差しかないことが次々と示される。我が国の文化、ものの価値観は誤った方向に進んでいるのではないだろうか?
(5/3)
MD-90、秋田空港で再急上昇 かなりの衝撃が来るモンだ
本年2月、3月は予想に反した悪天候が続いた。通常雪の季節は東京、大阪の出張等はこまち、東海道新幹線を利用するのだが、今年は医療評価機構受審とかで時間的に苦しかったこともあり、やむなく空路を利用した。羽田、伊丹での搭乗時には何れも「秋田空港着陸不能の際には花巻空港あるいは羽田に繰り返す」との条件付の搭乗であった。そんな条件付の場合、時に自宅に電話して秋田の状況を確認するが、それほど荒れていないことが多いし、実際にそんな条件下で10数回の経験があるが、私はまだ一度も出発地に戻ったり他の空港への着陸等を経験していない。
3月27日(日)、日本医師会定例代議員会の帰路、18:05発JAL、機種はMD-90で満席、東京は晴天であったが秋田は雨模様で濃霧が発生する可能性があるとのことで、同様の条件付での出発であった。羽田は快晴であったが出発ラッシュで20分ほど滑走路脇で待機してから離陸、秋田までは特に問題なく徐々に高度を下げ、脚も出してフラップもほぼ全開、客室灯も減光され、あと数分で着陸かと思っていたが、絞り込まれていた後席のエンジンが突然急回転し、2-3秒後機体にガクンと衝撃が走り、急上昇した。まもなく脚もフラップも収納され、速度も高度も殆ど離陸時と同じである。
羽田に戻ることになるのか?ホテルを探すのも大変、明日の始発便は確保出来ないだろうし新幹線か??外来は・・??とかいろいろ考えたが、まもなく機長のアナウンスがあり「霧のために空港が視認出来ない。しばらく上空で待機し着陸の機会をうかがうが、ダメなら羽田に引き返す」という。外を見ると秋田市内のイルミネーションが鮮やかに見える。霧など全くない。空港周辺のみが霧なのだそうで、これは山岳地にある空港には時に見られる現象とのこと。約30分ほど上空を旋回、随分長く感じられたが、結果的に着陸出来、ほっと肩の荷が下りた。
着陸直前の再上昇は初めての経験であったが、こんなに激しく機体に衝撃を来すほど急上昇するとは思っていなかった。考えてみれば着陸時には下向きの加速度もかなりあるために緩徐な上昇では時間がかかりすぎて危険、と言うことになる。それだけ高度も低くなっていたのであろう。フムフム・・と納得、良い経験した。
結果的に予定より1時間ほど遅れて自宅に着いた。空路はより高速で利便性も高い。にもかかわらずJRより遅れを平静な気持ちで受け入れられる。これも何か不思議である。
(6/21)
JALは夜間の離着陸時になぜ室内灯を暗くするか
夜間飛行中の旅客機の操縦室内は直接見たことはないが、写真や映画のシーンで見る限り常に照明を落とし暗くしている。これは、夜間飛行中、何十ものバックライト付きの計器を見易くするためと、飛行場の誘導灯とかのイルミネーション、近くにいる飛行機の安全灯等を視認し易くするためと考えていた。これは夜間の車の運転の時にも大体同じで、多分そうだろうとほぼ理解、納得していた。
しかし、夜間の離着陸時に、JALでは10分間ほど機内の照明が落とされて暗くなる。この場合、読書灯を利用することになる。ANAは、最近夜間便はあまり利用する機会がないので正確に覚えていないが、照明を落とさないように思う。JALでは何のために室内を暗くするのか、と長く疑問であった。脚を出したりフラップを操作したりと、離着陸時には多くの電気も使うからそのセーブのため??まさか、そんなちゃちな電力供給能力では無かろう。
ある日、上京時にたまたまガラガラだったので、側の乗務員座席に座っていた乗務員にこの点を聞いてみた。それによると、もし、夜間の離着陸時に何らかのトラブルが生じた時のことを想定して居るためとのこと。要するに、乗客の目を暗さに順応させておけば、何かのトラブルで機内灯が全部消えて足元灯だけになった時とか、それすらも点かずに真っ暗になった場合でも、あるいは緊急脱出で外に出た際にも、明るい状態から突然暗くなった時に比べれば、それなりに足もとや周りの物がよく見えるから、直ぐにより安全な行動をとることが出来るだろうから、と言う。
操縦室を暗くしているのもその意味もあるのだそうだ。全く予想に反した答えを貰って、納得出来た。随分細かく配慮しているものだ、と改めて感心してしまった。
最近、JAL、ANAのトラブルが頻回に新聞に登場している。重大事故につながらないうちに、ミスの段階で、いろいろなことがあからさまになることを私は悪いことだとは思っていない。そのような目で私は記事を追っている。
(6/22)
今度はANAの話 着陸時の様子を機内の画面で見るのは楽しい
あの懐かしいYS-11を中心にかつての秋田-羽田間は殆どANAであった。雄和に秋田空港が開港してジェット化し、ボーイング727、737、747ジャンボ、777、ロッキードトライスター等となった。更にJASが参入し、ANAが夜間駐機するようになってからの10年近くは、10:00頃の往路、18:00頃の復路は何れもJASとなり、今はJALとなった。JAS/JALの機種は往路が大抵AirBusA300-600R、時に1011型機、復路はMD-81またはMD-90型機である。この復路はいつも満席で苦しい。
利用することは少なくなったが、ANAの秋田便の現行機種の多くは767-300型。ANAは機首に備え付けられたカメラで離陸時、着陸時の様子を機内の画面で見せてくれる。これがなかなか楽しい。特に夜間の秋田への着陸は近隣にビルなどがないために空港への誘導灯の光のみしか写らない。遥か遠方に赤い点が写ると私は、今、操縦室は緊張の最中なのだな、と思いつつ後輪が接地するまでじっと見詰めている。かつてマック上で楽しんだフライトシミュレーターの画像と共通点があり迫力があってなかなか面白い。
最近まで不思議だと思っていたのは、滑走路がスクリーンに真正面視されることは希だと言うこと。殆ど無いと言っていいことである。必ず左右どちらかに微妙にずれている。それが接地の2-3秒前にきちんと滑走路の中央線が画面の真ん中に来る。
羽田とは異なり、秋田では機が滑走路に大して斜めのルートからアプローチしている事は考えがたいことから何故なのかといつも考えていたが、甥をパイロットに持つ友人の手紙で一気に解決した。「甥の話によると秋田空港は横風で難しい空港の一つなのだそうだ」と書いてある。この文面を読んで何故画面上の滑走路が正面視でないのか、私の中で一気に疑問が解けた。
要するに、横風・斜め風を受けながらの着陸の場合、機体を滑走路に対して左右どちらかに向けて斜め前に飛行しており、着地の直前に真っ直ぐに立て直ししているからなのだ。その時の機体の動きがあの画像の意味するところなのだ、と。
パイロットは着地直前に機首を若干上げると共に、斜めに進行する機体を真っ直ぐに向け、なおかつ接地点を大きく越えないように注意しつつ、更に乗客のためにソフトランディングに気配りするなど、大変な作業をこなしているものだと改めて感心した。
横風モードを設定してフライトシミュレーターをまたやってみたくなった。私が操縦する機は海に落ちたり、滑走路を逸脱したり、オーバーランすること必定である。
(6/27)
台風11号の接近で果たして空路帰れるのか、やきもき
昨日の快晴から一変して、浅草ビューホテル24階から見える外界は厚い雲に被われており、少々の雨交じりの曇天である。木々の揺れはないからまだ風は無いらしい。大型の台風11号が静岡の南方約300Kmの付近を時速15-20Kmとゆっくり北上している。その影響であろう。本日の社会保険指導者講習会二日目は16:00頃まで続き、帰路は18:10発JALを予約してある。
朝から、もしこの便が欠航になったらどうしようか、翌日のスケジュールを考えると帰れないのはマズイ。途中で切り上げて15:00台の前のANA便で帰ろうか、それとも新幹線に乗り換えて夕方まで聴こうか、といろいろ考えながら過ごした。朝の時点での空路の欠航は羽田-八丈島間の4便だけ発表になっている。
遅くとも昼頃には決めねばなるまいと講演会場ではラジオのイヤフォンを耳にNHKの情報を聴きつつ講演を聴講していた。昼頃には関空、中部国際、九州を発着する便に欠航が出始めている。静岡の海岸付近は高波がすごいと言うがまだ暴風雨にはなっていないらしい。北上はまだのろい。
6時間後はどうなっているのか?この接近速度なら多分大丈夫だろう、と見込みを付け最後まで聴講することとした。途中で帰った方も多いのだろう、午後には会場もまばらになってきた。16:00講演終了時、小雨は降っていたが風は弱い。これなら飛べるだろう。ただ、秋田から戻る便が発着するときはもっと条件は悪化しているだろうから、機が戻れないとの理由で欠航もあり得るかなと思いつつ羽田に向かった。 いつも混雑する便なのにさすがに空席が多い。特に後部座席はパラパラ。前部から主翼付近には結構混雑。これは重心の関係で集中的に乗客を集めているのかな?と思う。
幸い欠航にはならずに済んだがさすがに気流は悪いのだろう、よく揺れた。こんなにでかいものがユサユサ、ガタガタ、主翼もバタバタしている。時々スーッと下降したかと思うとグイと持ち上げられる。ロッキー山脈上空ではもっとひどい状況も経験したから恐くはないが、飛行機って随分丈夫に出来ているモンだと今回も感心した。
秋田からの帰路は21:00頃羽田着だからもっと条件が悪かっただろうと思うが無事戻ったらしい。
(8/25)
前輪が横向き!! 斜めなら胴体着陸?いや、それ以上に危険な事態にも
9/23夜、記念医学大会懇親会で若干酔っていたので、帰宅後に濃い緑茶など楽しんでいたが、たまたま茶の間のTVに着陸態勢に入っている旅客機の陰影が映ってきた。いつものごとく音声は消してあるから何で映っているのか解らなかったが、私は特に着陸時の旅客機の姿に美くしさを感じるからじっと見つめていた。間もなく着陸したのだが、前輪から激しく火を噴いている。早速音声をあげて聴いてみたら故障で前輪が真横を向いた状態での緊急着陸だという。
機はAirBus320型機、JALでいつも利用するA300型機の後継機。滑走路を火を噴きながらも直進し無事停止した。前輪のシャフトも折れることなく、火も機体に燃え移ることなく大惨事には居たらず素晴らしい着陸だった。タイヤのないシャフトでの滑走、随分丈夫に造られているものだと感心した。映像上はっきりはしないが、後輪のままでしばらく滑走し、前輪の着地を出来るだけ遅らせたのではないかと思った。
聞くところによると同型機に同じような事故が過去に4回あるという。メカそのものは真横を向く構造にはなっていないと言うから原因究明はさほど困難ではないと思うが、何で解決出来ないのだろうか。今まであまり報道されてこなかったことを見ると人身事故には至っていないらしい。
これが前輪の向きが真横だったから良かった。もし、斜めで固定されていたとすれば着陸時に滑走路を飛び出すから大惨事は免れない。前輪を格納出来れば前輪無しでの胴体着陸となるが、これも大きな危険を伴う。もし車輪を格納出来なければどうなるか?考えるだけでも恐ろしい。同じことを4回も繰り返すなんて、機体だけでなくそのサポート関係の何処かに問題はないだろうか?
数ヶ月前に前輪が外れた国内便があった。これはボーイング機だった様に思うが、この時も人身事故には至らなかった。私は今年もあと10回ほど羽田を往復する予定になっている。乗客としては乗るか否かの選択しか出来ない。乗ってしまうとアトは全てに身を委ねるしかない。だからこそ、それだけに航空機の事故、周辺の諸問題などには無関心ではいられないのだ。
(9/26)
10分違いで羽田まで2便!!
往路復路の値段差7000円もちょっと割り切れない
10/1東京に出張したが、私が利用した14:10ANAの10分前にJALが羽田に向けて出発した。通常この時間帯に利用することが無く、こんな時間配分になっているのは今日まで知らなかったが、実に無駄である。驚いた。
お陰でANAは搭乗率40%前後で、特に私の好みの後部座席はガラガラで実に快適であった。時間表を見ると羽田から秋田に向かうこれらの便は5分違いで出発することになっている。東京-羽田便は一日8便しかないのに、実に不思議な無駄に見える時間表である。もう少しANA-JAL間で調整すればいいのに、と思うがライバル社同士だしダメか? 一方、羽田の発着枠の問題、機材繰りの問題などもあるから調整はしても事はそう単純ではないだろう。もともと利用者が少ない時間帯だけに、燃料消費。排ガスなどを考えればもうちょっと何とかならないかと思ってしまう。
秋田市の大病院間の救急体制の連携がもっとスムーズであれば、もっと機能的に対応できるし、患者さん方にとっても随分良いのではないだろうかと、先に飛び立ったJALを見ながら、つい考えてしまった。
ところで、往路のANAは特割り搭乗券で13200円で、機種は余裕のある広胴型の767-300型で、ガラガラで快適であったのに対し、復路のJALは普通運賃22800円で、狭胴型のMD-90型、しかも満席でやや不快。
飛行機は値段と快適さは必ずしも相関しない。座席等の状況は乗るまで分からないし、また揺れるか否かの状況は出発しなければ読めない。これが辛くもあり、また、愉しくもある。
(10/3)
CRJ(カナディアン リージョナル
ジェット)に初めて乗る
10/9-10/10は久々の私的旅行。昨年は台風22号の急接近のために中止・延期になった新潟大学の同級会出席がメインである。出席は春に決めていたが、時間的余裕が無く10月に入ってから慌てて動き始めた。
空路を極端に嫌がる家内が、何故か、今回は簡単に同意し、確保し難い秋田-名古屋便が運良く往復とも確保出来た。これで坐骨神経痛で悩む私もかなり気が楽になった。今年は家内の病気もあって我が家にとって特別の旅行になるだろう、と言うことで、関東在住の長女・長男も合流する計画となった。次男は私の不在中の患者の対応を引き受けるという形で参加した。
8:50秋田空港からCRJ-200型と言う小型ジェット機に初めて乗り名古屋小牧空港に向かう。CRJはカナダBONBARDIER社が開発した短距離向け双発ジェット旅客機。胴体尾部にターボファンエンジンを2基設け、初飛行は1991年、1992年から量産されている。50席という小振りなキャパシティによってボーイング737などでも採算が合わない地方路線でも採算に乗せられる高い経済性を基本に、最新の航空技術、操縦システム、安全配備など装備し、低騒音、高い安全性、居住性などが注目され、世界の航空会社で多くの実績を積み重ねている航空機という。日本では、100型と200型がIBEXエアラインズとJ-airで運航されている。
私にとって初めての搭乗で、今まで経験した中では最も少ない客席数の小型の機体。フランクフルトからワルシャワに移動した際の小型機は結局機種名を知ることは出来なかったが、それでもこれよりは大きかった。CRJに乗ってみて驚いたのは全席「革張りシート」であったこと。ただ、シート自体の厚みはややうすめ。客室はさすがに狭いが座席は通路を挟んで左右とも2座席。横幅は丁度新幹線こまち並。こまちと異なり筒型だからかなり狭い感じを与える。
シートの前後間隔は中・大型並が確保され短時間なら十分耐えられる。滑走、離陸はさすがに軽快、揺れも振動も小型機らしく小刻みである。
客室乗務員は一人と助手一人のみ、飲み物等のサービスは一切無し。着陸・離陸時の乗客の世話だけと、考えようによっては単純明快だが、客室前方に客側を向いて座っている乗務員は終始表情を崩すことなく緊張した面持ち。これじゃ顔が疲れるだろうな、と思いながら、機能的な移動の70分を比較的良い気分で過ごし、10:10小牧空港に到着した。
(10/10)
中部国際空港セントレア
翌日の予定が詰まっていたために、せっかく名古屋まで来ているというのに早めに秋田に戻らなければならない。予約しているANA便は中部国際空港から14:00発である。宿泊した名鉄犬山ホテルからは一時間程度は移動に必要なようである。初めてなのでさらに余裕をとって11:00に犬山を発った。全席指定の特急列車が出ていて極めて快適に移動出来た。
中部国際空港 <http://www.centrair.jp/index.html>
は、愛知県の伊勢湾海上に造られた第一種空港で、2005年2月17日に開港。愛称のセントレア(Centrair)は中部空港の英訳を一つの単語に組み合わせた造語だという。開業初日の2月17日には96,000人もの利用客や見学客が押し寄せ、商業施設が大変混雑し、飛行機利用者の中から不満の声も挙がった事は当時ニュースで大々的に報じられた。混雑の理由は空港以外の機能も充実していることが挙げられていた。
特急列車が空港に近づくと次々と目新しい設備が目に入ってくる。空港好きの私はどんなところだろうかと心騒ぐものがあった。1-3Fは空港施設なのだろう、新しいからきれいで雰囲気はいいし、ゆったりした空間に各設備が余裕を持って配列されている。セントレア4Fの商業施設スカイタウンはこれまた別世界で「ちょうちん横丁 <http://enjoy.centrair.jp/see/see-lantern/>
」と呼ばれるエリアは狭い通路に所狭しと商業施設が並ぶレトロ調の雰囲気。連休だからか大変混雑し、私は歩くのにも難渋した。パーラー、喫茶店、ラーメン屋、レストランは空席待ちの数10人ほどの行列が出来ている。私は人混みの中にいるのが辛いから買い物に集中している母娘らとは別行動とし、早々に滑走路が見渡せるデッキに移動、発着する航空機を眺めて堪能した。降りてくる航空機はいつ見ても美しい、と思う。
デッキも人で一杯である。恐らく航空機を利用する客の何十倍かの客がこのセントレアに遊びにきているのであろう。とにかく人で溢れており、羽田や成田とは全く別の雰囲気がある。
どうしても対比してしまうのは関西空港の雰囲気。関空も中部国際も似たような人工の海上施設ではあるが、関空は何時行っても・・とは言ってもまだ数回しか利用していないが、大きな施設の割に利用客は少なく閑散としていて単に通過する場所という感じだが、中部国際空港は商業街としての機能で満ちている、活気のある場所であった。それにしても都会の方々のエネルギーはすごい、と感じてしまった。
帰路のANAはボーイング737-300型機で70分、静かなたたずまいの秋田空港に着いたが、やはり私にとっては、秋田の雰囲気の方が向いている。
(10/28)
札幌での学会の帰路、機内で膀胱尿管逆流現象を体験
毎年秋には日本臨床血液学会総会が開催される。多分、昭和53年だったと思うが、札幌で開催されいつもの如く参加した。学会そのものには一般演題を出して発表したことは覚えているがあまりはっきりした記憶ではない。その時は、何らかの所用があって3日目の最終日は学会に参加しないで午前の便で帰路についたように記憶している。
往路は夜間飛行であったが揺れも少なく順調に飛行し快適に札幌に着いたが、帰路は天候が不良でYS-11機は大揺れに揺れた。コーヒー等を飲んでから登場したことと、揺れによる過緊張もあったのだろうが、津軽海峡上で尿意が生じてきた。しかし、揺れのために終始ベルト着用で洗面所の使用は禁止されていた。時間と共に尿意はますますひどくなって来たが、この状態ではどうすることも出来ない。手の指先まで含めて全身が膀胱人間になったような気分でひたすら耐えていた。
YS-11は双発のターボプロップでジェットエンジンではあるが推進力はプロペラで得るタイプ。そのために5-6000mの高度で、時速470Kmほど、最近のジェット機よりずっと低い高度で約半分の速度で飛ぶ。この高度は気流の影響を受けやすい高度だという。ガタガタと小刻みに、時には大きく揺れながらゆっくりと飛行を続け、弘前上空あたりから徐々に高度を下げ始めたが、機は遅々として進まない。何でこんなに鈍いのだと私はYS-11を呪ってしまった。
ところがまもなくしてそれまで強烈であった尿意がスーッと楽になり、同時に強烈な腰痛が襲ってきた。これは膀胱尿管逆流現象の症状である。しばらくすると今度はかなりの全身倦怠感が生じてきた。
(10/30)
久々ANAで往復 来年は航空運賃は値上げ、診療報酬は値下げに!!
私が出席する日本医師会の会議等は通常東京駒込の日医会館で行われる。 空路の場合、ちょっと時間的にせわしないが秋田発10:00前後と羽田発18:00前後の便が時間の無駄が無く便利である。かつてはこの時間帯は双方とも全日空ANAであったが、数年前から秋田羽田間は日本エアシステムJASが参入して増便され、便利になったが、この時間帯はJASの運行になり、機種は往路が767型からA300型機に、復路がMD-81またはMD-90となった。今は合併によってJALグループとなった。
復路がANAであったときは280席の676-300型だったから比較的ゆったりと帰れたが、MD-81、MD-90は166席だから殆ど空席が無く、狭く窮屈である。急に出張になったときには座席をとれないこともしばしばである。
本日は往復ともANA。久々である。往路は福島上空を過ぎた頃から急に雲が多くなり激しく揺れ始めた。先ほどまで見えた主翼すら見えない。羽田に向かって高度を下げて行くほどに雲が濃くなり、揺れが激しくなった。雲の切れ目に出るとほっとするが、すぐ先方に巨大な雲があり、機はそれに向かって突っ込んでいく。その途端激しく揺れる。最後尾に座っていたから特にひどいのだろうが、機体がガタピシと歪む音が頻回に聞こえてくるのは不安というわけではないが、決して良い気分ではない。
風が強く、滑走路直前で機が大きく傾き、大きく上下し、斜めのまま着地し、数秒間不安定な状態にあった。本当に機体は丈夫に出来ているものだと思うし、パイロットも大変だね、といつも感心する。乗客は100%お任せするしかないからあとは信用するだけ、気楽なものだ。
復路は一転揺れ一つ無い安定した飛行。今朝のニュースによれば、ANAの今期の収入は社にとっての最高額だったと言うが、燃料の高騰で利益はむしろ減で、来年は国内便の各路線で1000円程度値上げを見当しているとのこと。
来年は診療報酬が何%か下がる可能性が高い。病院の運営・経営は更に厳しさが増すと予想される。ガタピシどころでない大揺れになると予想される。医療機関にとって診療以外からの収入は望めないから打撃は大きい。運賃の値上げ等に転嫁出来る企業がうらやましい。これは本音。
(10/31)
MD-90主翼先端から前方に向けてレーザービームが?
本日の出張は帰路18:00羽田発、JAL
MD-90 型機でいつもの如く満席
。秋田空港でチェックインを済ましたために久々後方の窓際に座った。東京からしばらくは快晴で星や三日月が綺麗であったが、山形上空を過ぎた頃から急に雲が多くなり小刻みの揺れがあった。雲に入るたびに主翼先端から前後方を照らしている光が雲に反射して外が明るくなる。雲の状況に応じて一瞬一瞬光が変化するのでとても綺麗である。
一方、私は初めて見たのであるが、雲に入るたびに主翼先端から前方に向け細いビームが数本発射されているのが見えた。完全に平行ではなく各方向に若干角度が付いている。これもとても美しい。これは何だろうかと考えつつしばらく見ていたが、これは前方に向けて視認性を高めるためのレーザービームなのだろう。時速900Kmほどで飛ぶ旅客機には当然高性能のレーダーが付いているが、相手機に視認されることも安全確保上重要であることは当然で、より遠方まで光が届くような装備なのだろうと思う。私の推論で正しいか否かは全く解らないが、年間数10回も乗っていて今日初めて気づいた光であるが、いろいろな装備があるものだと感心しているうちに秋田空港に静かに着陸した。
駐車場に歩く間、寒気が身にしみた。路上の温度計は4度Cであった。
(11/9)
初の国際学会に参加 カナダに向かう(1)
昭和55年夏、カナダで開催される国際血液学会に約2週間の行程で参加した。詳細を記録した資料が手元に見つからず、多くは忘れてしまったために思いつくことしか記述出来ない。
秋田大学第3内科からは確か教授以下5名ほどの参加で、私どもが契約した旅行社には全国から25名ほどの血液学関連の研究者が参加していた。私はそのメンバーの中では最も若輩であった様に思う。
国際学会への参加と言えども今回は演題を提出したわけでなく、どんなものかな?一度くらいは参加して見ようか、と言う程度の気楽なものであった。当然全額自費での参加である。ツアーの宿泊はツインの部屋が基本であったが、私は四六時中誰かと一緒というのには耐えられなかったので私だけシングルの部屋を注文した。そのために約15万円の追加の出費が必要であったが、それ以上に何故に?と仲間達に怪訝な顔をされた。
成田空港に正午に集合と言うことで、私だけ別行動で、前日の寝台特急あけぼので上京、新宿エアターミナルよりバスで成田に向かった。私にとって初の海外旅行で、不安半分、興味半分と言うところであった。
今なら直通でも行けるとは思うが、当時は米国大陸、ヨーロッパ大陸便はすべてアンカレッジで給油していた。成田-モントリオール間は全日空のジャンボ機。エコノミー席だから主翼のやや後ほどの座席が割り当てられた。
出発の時間になってもさっぱりその気配がない。何分か経ってから操縦席の機長より「エンジントラブルのために修理に1時間ほど必要です。詳細は後ほど・・・」とのことで機内でじっと待った。
アンカレッジまでの約8時間もの間、緊急着陸出来る場所がない洋上を飛ぶのに果たして大丈夫かいな、と心配したが、飛び上がってから故障するよりは良かろう。もうここまで来るとまな板の鯉同然、任せるしかない。やがて機長から「修理が終了したので間もなく出発します」とのアナウンス。故障の詳細等の説明はなかったが、明るく確信に満ちたような声での放送であり、その雰囲気でホッと救われた気がした。
滑走を始めたが、国内便のジャンボならもう飛び上がる程度の速度になってもなかなか機首が上がらない。やはり国際線の場合には燃料が満タンのために国内便より遙かに重く、離陸速度ももっと必要なのだろう。やがて機種が上がりゆるゆると上昇していく。やはり、国内便とはちょっと雰囲気がちがっていた。
(12/4)
ANC(アンカレッジ空港)に降りてみて異境の広大さに驚く
成田空港を発って約8時間、何時下を見ても海面ばかり。エンジン音は単調に何事もなかったが如く飛行した。陸地が見えてきたときは何となくほっとしたものである。実際には何かがあれば海上であろうと陸地であろうと大差ないのだが心理的には全く別ものである。
早朝だったと思うが無事に霧濃いアンカレッジに到達した。広大な空港である。インディアンの顔が垂直尾翼に描かれたアラスカ航空の飛行機が数機、日本航空と鶴のマークの飛行機も数機見える。
アメリカのアラスカ州の人口の半分の約20万人がアンカレッジに住んでいると言う。面積は日本の約4倍もあるから、想像できない低人口密度である。
飛行機は給油と整備のために60-90分ほどかかるというので全員下ろされる。空港外に出ることは許されないからそぞろ歩いて時間をつぶす。空港はとても寒く、閑散としていた。海産物、民芸品を中心とした売店が並ぶがあまり売れているような雰囲気はない。国際線ターミナルの客の大部分はこれからまもなくまた数時間も飛ばなければならないから買う気にもならないのだ。
今はアメリカに行くのにほとんど直行便となった。それだけ飛行機の航続距離が伸びたということ。ヨーロッパには今はシベリア上空を飛んでノンストップで行くから約12時間であるが、この当時はまだ西側の飛行機はシベリア上空を飛べず、アンカレッジで給油して北極上空を飛んでいくのが普通で、約17時間もかかっていた。アンカレッジ空港には日本人専用の免税店もあった様な記憶がある。日本人観光客が殆ど立ち寄らなくなった今、あの免税店などはどうなっているのだろう。また。アンカレッジ空港の国際線はターミナルなど、まだあるのだろうか。時代の流れはそこの文化を根底から変えることにもなる。厳しいものである。
(12/11)
アンカレッジからバンクーバーへ、更にモントリオール
アンカレッジからは運行クルーが全員交代となった。8時間ほど閉鎖空間を共有したという仲間意識からか些か寂しさを感じたものである。アンカレッジから同じ飛行機で約5-6時間南下しバンクーバーへ。この間、窓からはずっとロッキー山脈の峰峰を見ることが出来た。何時間も全く途切れること無く山岳地帯が続き、日本上空では絶対に味わうことも予想すらも出来ない巨大なスケールで圧倒された。
バンクーバーは太平洋に面した沿岸の都市である。ここの地名は当時日本人指揮者の秋山氏が常任をつとめていた交響楽団の名称を通じて知っていた程度で、全く知識はなかった。ここの空港ではどこもかしこもメープルマークで溢れ、かつエリザベス女王の肖像が至る所に掲示されていて違和感を持ったが、カナダに着いたのだと実感した。
ここで2時間ほど過ごしたが、最初の両替の時に「to
Canadian dollars,please」らしいことを言って差し出したら係員がニヤッと笑って「Oh!! Two Dollars
only??」と言って2ドルだけよこした。勿論、その後に全額をよこしたが、実にウイットに溢れていた。概して窓口担当者はジョークが好きらしく、不慣れな私等はその度にただちには意味が分からず一瞬、一瞬フリーズしたが、笑顔を伴っているために不安な感じは全く抱かなかった。
メープルマークのAir
Canada
のBowing727機にてモントリオールに向かった。モントリオールには北アメリカ大陸を横断することになるが、さすがにロッキー山脈を越えるとき機は大揺れに揺れた。
(12/18)
バンクーバーからモントリオールへ 山岳と湖沼の広大な米国大陸
バンク-バー国際空港を発って十分に高度を確保した機は間もなくロッキー山脈にさしかかる。ここから1500Kmほど山岳地帯の上空を飛ぶ。窓から見える山々は壮大ですごく険しそうに見える。最初は驚きもしたが、約2時間半同じような景色の上を飛んでいると感覚は麻痺してくるが、この広大さこのスケールの大きさは何なのだ!!
と別の驚きが沸いてくる。
秋田から伊丹あるいは関西空港に向かうと美しい日本アルプスの山並みが見えるがスケール感が全然違う。ロッキー山脈には美しさではなく険しさそのものを感じてしまう、これでもバンク-バーからの飛行ルートはロッキー山脈としては幅が狭く、山々も低いとのこと。サンフランシスコ、ロサンジェルスからアメリカ大陸を横断するときのスケールは更に更に大きいのだと言うから驚く。
機はその日の気流が良くなかったためだろう激しく揺れた。天井の荷物収納庫の扉が今にも開き荷物が頭上に落ちてくるのではないか?と心配になるほどで小刻みにあるいはおおきな揺れに翻弄されながら飛んだ。自身の寿命も若干縮んだ様な気がしたが、本当に旅客機は丈夫に出来ているものだと感心したが、こんなところを連日飛べば機としての寿命も短縮するのではないだろうか、とも感じたほどであった。
2時間も飛ぶとさすがに山岳地帯は徐々に平坦な地形に変わっていき、揺れもそれにつれて小さくなっていく。地形が平坦になっても一面荒野である。とても人が住めるような状況ではない。鉄道や道路などの形跡は全く見られない。恐らく人は一人も住んでいないのだろうと思う。やがて広大な平坦地になるが、今度は徐々に大小の湖沼が眼下に広がる。湖沼は海の一部かと思えるほどのスケールのものから様々であった。カナダは広大な国土を持っているが、人が住めるところと言えば、その割には広くはない。大部分が氷雪地帯、山岳、森林、湖沼によって占められ、自然豊かと言うか厳しい国土なのだと感じ入った次第である。
(12/25)
2006年 |