小泉純一郎2001.4-2006.9

一般国民から見た21世紀の宰相達(1) 小泉首相(2001.4-2006.9

 私は小泉首相以前は政治にそれほど関心を持っ ていなかった。しかし、医師会活動を通じて医療・福祉・介護行政を中心に自然と関心が高まった。この部門をじっくり考えると、政治そのもの、国内国際問題 など日本がかかえる内憂外患全体のことが見えてきて多方面に関心を持つようになった。

 

 小泉首相はこの徒然にも24回登場しているが、小泉首相の就任は21世紀の始まりとほぼ同じ2001年である。それ以降、野田首相まで6人の首相が交代した。
 この徒然に上記の首相達が頻繁に登場しているので、Wikipediaと、先に書籍としての発行を止めたことで話題になったブリタニカ国際年鑑を参照して各首相の足跡を抄述してみた。それと併せて自分の徒然日記の記述を順に読み返すと面白いし、感慨深いものがある。

 この項には各首相の客観的足跡を抄述し、徒然日記は別項として記述する。

 

(1) 小泉首相(2001.4-2006.9

 

 20014月森首相の退陣による自民党総裁選に、橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香と共に出馬。小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と過激な言葉をスローガンにし、予備選、本選挙で圧勝、自民党総裁に選出された。

 以降、従来にない政治手法を展開した。以下にWikipedia、ブリタニカ国際年間を参照して足跡を抄述してみたが、改めて従来の手法にとらわれない斬新なアイデアと異常と思える実行力が浮かび上がってくる。

 

2001

426日首班指名選挙で第87代総理大臣に就任。

組閣・党人事を全て自分で決定。第1次小泉内閣に女性閣僚が5人。

構造改革なくして景気回復なし、と郵政三事業、特殊法人の民営化を打ち出す。

消費税増税を否定。

発足時の内閣支持率は、87.1%で歴代1位。

7月の参議院議員選挙で自民党大勝。

8月靖国神社参拝を公約、毎年靖国参拝。

911日米同時多発テロ発生。ブッシュ大統領を支持。テロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊を米軍らの後方支援に出動。

 

2002

2月田中外相を更迭。小泉内閣の支持率は50%台に。

9月北朝鮮を訪問、初の日朝首脳会談、日朝平壌宣言に調印。

930日小泉改造内閣が発足。金融大臣は竹中平蔵。

 

2003

3月米はイラクへ侵攻してフセイン政権を打倒。小泉は開戦支持。有事関連三法案、イラク特措法を成立。

9月自民党総裁選で再選、党人事で安倍を幹事長に起用。

11月総選挙で安定多数の確保(第2次小泉内閣発足)。

中曽根康弘元首相、宮沢喜一元首相に引退を勧告。

 

2004

5月北朝鮮を再訪問、日朝国交正常化を前進させると発表。

6月年金改革法成立。

7月選挙で自民党が改選50議席を1議席下回った。

 

2005

郵政民営化関連法案で紛糾。

88日参議院本会議で郵政民営化関連法案否決。衆議院を解散。

郵政法案に反対した全議員を非公認。「刺客」候補作戦。選挙で大勝。

921日第89代内閣総理大臣就任。

1014日郵政民営化関連法案成立。

10月第3次小泉改造内閣発足。後期高齢者医療制度を創設。

 

2006

■4診療報酬マイナス3.16%

920日安倍晋三が総裁に。

921日総裁任期満了し退任。戦後3位の長期政権。

 

2008

925日政界引退表明。

 

 小泉政権の5年余で日本の社会は随分変わった。従来の価値観が通用しがたい社会になり、人間関係も変わってしまった。医療費抑制策のもとで度重なる診療報酬のマイナス改定が進み地域医療は崩壊した。

 その後の政権は社会の立て直しのために修正が 迫られいずれも苦境に立ったが、それも小泉政権の後遺症と思う。小泉氏は政権交代のあと「消費税は民主党にあげてもらえばいい。それと共に民主党は分裂す る。再び政権交代が起こるだろう」とマスコミに予言的に語ったことがある。的中するかもしれない。

 

 

 

 

2002/4/16(火)プーチン氏と小泉氏

 ロシアのプーチン大統領は就任2年を迎え,内政上でも,国内経済の面でも問題点を抱え,外交上でもアメリカ寄りを痛烈に批判されているが,未だに支持率が70%以上を保っている。小泉氏の磊落振りからみると何故だろうかと思う。

 

 エリツイン氏から後継者指名を受けるまでは無名であった。国民の人気という点では実行できなかった夢をばらまき続けたエリツイン氏よりは遙かに低い。しかし,支持率は高い。これは「ロシアには奇跡は起こりえない」と就任時挨拶で切り出し、堅実さを初めから全面に打ち出した姿勢によるところが大きいとされる。ロシア国民は忍耐強く、夢に惑わされていない。

 日本はどうか、歴代の首相の多くは就任時の魅力は、瞬く間に消えていく。

 

 

2002/4/17(水)AKT-TV「小泉さん これじゃ一得二方損」

 AKT-TV生放送番組に出演、今回の医療法改正案について解説した。(画像提供:全国保険医団体連合会)

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 今日は、政府が進めている医療制度改革のことを中心に、医療費の話をしたいと思います。

 小泉首相は行政改革に「米百俵」を初めとしたキャッチフレーズをつけて提起しています。確かにキャッチフレーズをつけると全体のイメージが解りやすくなりますから、良い印象を与えます。 医療法の改革のキャッチフレーズは「三方一両損」でした。

「三方一両損」て、どんな話でしょうか。

「三方一両損」は江戸時代の作り話で、三両なくした人,拾った人が互いに意地を張って受け取らず、仲裁に入った大岡越前の守が自分も1両を出して,2両ずつ分けたという話です。要するに3人とも1両ずつ損をしたということです。私は個人的にはこんな解決法は好きではありませんが。

 これを医療改革に見立てて、国民、医療機関、国が、各々負担をして危機を乗り切ろ

うと言うものでした。

  私たちは医師として日本の医療を守るために言いたいことはいっぱいあるのですが、時代がらある程度は止むを得ないと、それなりに納得していたのですが、明らかになってきた改革案は「三方一両損」といえるものでは無く,「一得二方損」と言うべきものでした。

具体的にはどんなふうに変わるのでしょうか

 細かいお話は出来ませんが、大体、次のようになる予定です。

今年の4/1から

 老人窓口負担引き上げ。 4/1以降入院した方が6ヶ月以上入院すれば15%自己負担  で610万円もの負担に

 診療報酬は2.7%値下げ(実際は5-30%ほど収入が減る所もあって,4月以降,医師はみんな青くなっています!!) 

今年10月から(予定)

 ◇70歳以上の窓口負担1割に(病気によってはいまの2-6倍に) (所得によっては2割に)

◎2003/4(予定) 健康保険料引き上げ

サラリーマン窓口負担3割に(1割増でなく1.5倍に)

◇3歳未満2割に

 要するに国民の負担を増額し、医療機関の収益を減らすというもので、国は全く損をしないのです。これを私は一得二方損と言っています。

それだけ、国が困っていると言うことでしょうか?

 いいえ、小泉さんや政府は、医療費が国の財政を圧迫していると言っていますが,国民総生産の中に占める医療費の割合を外国と比べてみますと,先進国の中で18番目です。それでいながら平均寿命や健康寿命が世界一な訳ですから、少ない医療費で最大の効果を上げていることになります。  だから医療関係者の労働環境は大変なのです。  一方,日本の政治家は経済面ではすごく楽をして国を治めていることになります。

 私は,いつかはもう少し余裕を持って診療出来る日が来るだろうと期待していたのですが,はかない夢に終わりそうです

今後どうすればいいのでしょう。

 医師会は医療を預かる医師の団体という責任がありますから,医療環境を悪くしないために積極的に政府に働きかけをしていきます。

 国民のみなさん方は政府の言うなりになるのではなく,将来どういう医療を受けたいのかを自分で考え,選挙とかを通じて意思表示することだと思います。

高額納税者には医師が沢山入っていますよね。

 確かに、高額納税者の中に多くの医療関係者が入っています が、儲けすぎているなどと考えてはいけません。一人の患者さんを診察した際の収入はほぼ決まっていてそれほど多いものではありません。従って、収入が多い と言うことはそれだけ多くの患者さん方を診療し、地域住民の健康を守っているということになります。

 更に、税金を沢山納めて、その面でも貢献しているわけで、私からみればすごい方々だと思いますが、羨ましいなんては一切思いません。医師の健康や生活のことを考えれば,むしろお気の毒に思えます。何とか楽にしてあげたいくらいです。

追記(200251日)

 先進国と言われる各国では医療費や福祉の費用を捻出するため にかなりの努力を強いられています。日本の政治家は,この点で楽なはずですし,目立った民族紛争もなく,隣国との小競り合いもなく,楽に国を治めているこ とになります。だから,国会で金銭がらみのくだらない論争を繰り広げている余裕があるのでしょう。

 今後のことですが,私は患者さんの健康を預かっているという責任と自覚がありますから,医療環境を良くするために医師会を通じて積極的に政府に働きかけをしていきます。みなさん方は,政府の言うなりにならず,将来どういう医療を受けたいのかを自分で考え,発言し,選挙とかを通じてしっかりと意思表示して欲しいと思います。

 

 

2002/5/26(日)今,インドがあつい。小泉さん何してる

 今,インドが暑く,燃える様だという。ある州では連日49Cにも達し死者が続出している。政府は日中は外に出ないようにと指示していると言うが,死者の大部分は住宅など持たない野宿生活者らしい。この状態で野菜,魚,肉等の食料品は流通の問題もあって産地から消費地に届くまでに50-80%破棄せざるを得ず,食料難も追い打ちをかけているという。

 

 一方,インドとパキスタンの間も熱くなっている。両国は98年に相次いで核実験し事実上の核保有国となったが,戦争前夜的状況にあり,核の使用もあり得ないことでないだけにきわめて憂慮すべき事態だ。両国の内憂外患,とても実感出来ない問題だが,うまく冷めて行ってくれればいいと願う。日本として何か手伝うことは無いのだろうか。

 

 

 

2002/6/23(日)セミナー「小泉改革本当のところはどうなんだ」はよう解らなかったが副産物があった

 一昨日、日本医師会会館で開催された日総研セミナー「小泉改革本当のところはどうなんだ」は講師として大学の経済学部教授3名による講演が行われた。高度な内容であり正直の所良く解らなかった。

 

 ただ言えることはいずれの講師も小泉改革は方法論として不十分、方向性も誤っていると指摘していた。多分、学者達の意見は正しいのかもしてないが、彼らは政府に対してきちんと提言しているのだろうか?専門領域の出版物や講演会等だけで主張していてもしょうがない。

 

 東大教授の神野氏は経済的に危機を脱したスウェーデンをモデルとして紹介したが、その資料の中に思わぬ副産物があった。ド ロシー・ロー・ノルトの詩「こども」である。高度に発展したスウェーデンの福祉、高齢者対策などの背景には、小さいときからの教育がしっかりと根付いてい るのだ、とこの詩の提示を通じて講師は言いたかったようである。

 

 

 

 

2002/6/24(月)小泉総理の表情から感じること 支持率って何だ?

 最近、総理の表情がさえない。若干の明るさを失った印象を除くと郵政大臣、厚生大臣の頃、最初に総裁選挙に挑戦した頃と基本的には変化はないのだが、時折見せる笑顔にさえ、「笑い」が見えず単に顔の筋肉運動に過ぎない。概して無表情である。

 

 これは支持率低迷とかの問題ではなく彼固有の性格によるものだと思う。更に、首相としてのコメントの底の薄さが気になって ならない。良い例が国債の国際的評価の下落に際してのコメント。どこかよその国のことを聞かれたようなイメージ。一つ一つの事象に心が付いて行っていない 感じである。私は前から彼の表情に些かの病的イメージを受けてきた。だからこそ破壊者としての彼の行動に期待していた。

 

 政治的な実績はあるのだから、支持率低下等気にせず、思うところを邁進して欲しい。彼の支持率は最初から幻であった。ふがいない田中外相を更迭した後の急速な支持率の低迷は世論の底の薄さであり、高支持率など最初から無い方が良かったのだ。

 

 政策立案に対し最近特に妥協が目立ってきたが、唯一邁進しているのが医療福祉分野である。医師会は理屈は述べられても政治的影響力は小さいから抵抗勢力としてさえ見られていない。だから最もやりやすい分野と言うことになる。

 

 それにしてもマスコミ各社から時折でてくる支持率って何だ? が、弱い野党にとっては時に敵になり、時に援軍となる。だから、本質を見誤らせる危険を持つ、安易な、嫌な数値だ。

 

 

 

 2002/8/3(土)病院評価機構セミナー vs小泉、vs厚労省に矛先を変えてみては? 

 7/24に盛岡市で開催された日本医療評価機能機構が主催する小セミナーに参加した。

 

 機構側の趣旨は「最近、患者の医療に対する関心や要求が高まった。質の良い医療を提供には、医療機関の自助努力と共に第三者評価を導入するのが望ましい。だから、各病院はわが評価機構の認定を取って欲しい。取れば将来 研修教育指定病院の要件も満たすし、また、診療報酬上でも有利になりますよ」・・と言うものであった。

 

 確かに、「良質の医療を追求してきた」と、自己満足的発言が見られる当院ではその証としてこの機構の評価を受けるべきと思う。ただし、250-300万円の費用と、約1.5年ほどの準備期間が必要と考えられるし、認定されない可能性の方が高い様な気がする。

 

 評価機構は病院医療はかくあるべし、というノウハウを十分に持っている。また、病院医療の諸問題、特に我が国の医療行政の 問題点に関しても十二分に把握している。従って、末端の医療機関の評価や助言のみを対象に活動していては片手落ちであり、日本の医療行政そのものを評価し て政府や厚労省に迫ってみてはどうかと思う。

 

 この後段について質問と追加発言したが、簡単にいなされ、問題にもされなかった。そんな意識は皆無なようであった

 

 

 

2002/9/17(火)小泉首相訪朝、安堵と混迷の予感

 首相の訪朝の結果、拉致被害者を含めて8人の死亡が明らかになった。子供や兄弟が拉致された家族にとって厳しい結末となった。

 

 会談で金総書記は遺憾と謝罪を表明したと言うが、犯行は一部の特殊機関によるものとし詳細は闇のまま残された。首相は国家犯罪に抗議した上で日朝平壌宣言に署名したと言う。

 今回の首相訪朝は外務省が約1年前から準備したという。北朝鮮は国際社会との協調路線を目指し始めたように見えるが、本質 から変わったのだろうか。現体制を維持するための駆け引きの方法論上の変化かも知れない。だとすれば小泉政権はむしろ大きな課題を背負うこととなった。

 

 それでも、今回の動きは高く評価すべきと私は思う。動きがなければ進展も退歩もない。問題は今後である。懸案事項がありす ぎるし、日本人の感覚では理解できない論旨を展開して来る国である。詳細の詰めの段階で再び決裂する事態は十分に考えられる。過去に何度かあったではない か。しかし国は熱意を持って前向きに対応し、情報は公開して欲しい。

 

 時をほぼ同じくしてイラクが国連の査察を無条件で受け入れると表明した。

 安堵と混迷の予感と感じた日であった。

 

 

 

 

2002/9/20小泉首相の決断を支持する。慎重に二国間の諸問題を解決し国交正常化を

 この度の小泉首相の北朝鮮訪問によって二国間の激しいせめぎ合いを繰り返してきた拉致問題は急展開を迎えた。

 北朝鮮は拉致であったことを初めて認め、全員の名前と生死についての資料を提示した。8人もの方が既に死亡、との思いがけない結果を聞かされ絶句した首相は当事者の家族の深い悲しみ、国民の心情、与野党からの激しい反発が走馬燈の如く頭をよぎったに違いない。会談中止も当然考えたと思うが、結果的に前向きに対応していく姿勢を選択した。

 

 私は首相の決断を高く評価する。拉致問題は最大の懸案であったが、これこそ国家間の問題の犠牲者である。首相が席を立った ら二国間の関係は今以上に悪化し、国民の北朝鮮に対する怒りと憎しみの気持ちだけが一人歩きし、かなりの年月正常化はあり得なくなる。その結果、同様の犠 牲者が今後も繰り返される可能性がある。拉致も不審船も、ミサイル問題・・も、である。時にはもっと忌まわしい事態にも発展する

可能性すら否定できない。

 

 驚くべき事実が次々と明らかにされたが、冷静に受け止めるべきだ。それらの検証と評価は慎重に進めるべきだが、二国間の今 後のあり方とは一線を画して考えるべきである。体制、国家の立場でものを考えれば常に犠牲になるのは一般の国民だ。日本国民のために、北朝鮮の国民のため に、アジアの人々のために首相の決断を評価したい。

 

 拉致によって思いがけない生き方を強いられた全ての方々、特に、若くして命を失った方々無念を思い、そのご家族の心情を思うととても辛い。言葉がでない。

 

 国とは何か、人間社会とは何なのか、人とは何なのだろうか、・・・と思いをはせるこの頃である。

 

 

 

2002/10/19(土)小泉首相のアイデア?「規制改革特区」は面白い、が、医療にはなじまない。

 

 723日に政府の諮問 機関の総合規制改革会議の中間取りまとめが公表された。我が国では確かに法による規制が多方面に渡ってネットワークのごとく張り巡らされ、それが経済活動 が停滞している一因だとの考え方は事実だろう。そのために、特定の地域に限って規制を解除し、新たな規範で事業等を推進させ活性化を図るという「規制改革 特区」の構想は注目していいと考える。

 

 ただ、その「特区」の規制の選定基準の項には「生命・身体,健康、公序良俗、消費者保護等に関する規制であるという理由に よって対象外とすべきではない」と書かれており、これは大変なことである。要するに、経済的活性を図るためには「健康や命」を守るために行われていた規制 も外しても構わない・・との考えである。

 

 政府の呼びかけに応じて全国から提出された数100件にものぼる案件を見ると,医療と何らかの関連のありそうな提案が86件もあり驚く。具体的に挙げられているのは「医師以外の医療従事者への医療行為の拡大」「株式会社の病院経営の容認」など、日本の医療レベルを維持するために行われ大いに役に立っている根本的な規制の解除である。

 

 落ち込みつつある我が国の経済を活性化するためといえども、国民の「生命・身体,健康」を犠牲にするような経済活性化の考 え方は容認出来ない。「生命・身体,健康」等は憲法が補償している国民の基本的人権に関わることであり,これが二重の規範を持つということは理解も容認も 絶対にできない問題である。

 

 規制緩和によって更に改善が期待出来るものであるならば,それなりの手続きを経て全国一律に施行すべきである。そのためには拙速はさけるべきであり、回り道もやむを得ない。

 

 

 

2003/3/3(月)小泉総理、ついに医療に株式会社を参入(自由診療部分限定)させた

 小泉総理は「聖域なき構造改革」として多方面の改革の断行宣言したが、強力な反対にあって、一向に実施されていない。ただし、例外的に医療保険制度だけは「構造改革」「規制緩和」の標的にされ続けている。

 

 その改革の柱は 患者及び国民の負担増,診療報酬のマイナス改訂と給付率の引き下げ,医療への株式会社算入,混合診療の導入等で、財政対策と市場原理の考え方に終止し国民の命や健康を守るという政治家の使命を放棄している。

 

 政治家は狭い範囲でものを考えてはやっていけないのは当然であり経済も大事である。医療よりも大事かもしれない。しかし、 問題にすべきは、小泉総理の改革の理念は、「生命・身体・健康、公序良俗、消費者保護等に関する規制であるという理由で対象外にすべきでなく・・」(構造 改革特区提案募集要項)の文言に象徴されている方向性である。要するに、経済活性化のためなら人の命・身体・健康を犠牲にしても構わないという考え方であり、医療人として到底賛同できるものではない。

  

 医師会を始め各団体が首相の医療制度改革には反対しているが、国民運動にまで至らず盛り上がりを欠く。国民は、先を読めな い政治情勢や経済運営のもとで、自らの生活と、我が国の将来に大きな不安を抱きながら日々の暮らしているにもかかわらず、何故か余りにも大人しい。特に、 医療や福祉の分野に関しては尚更感じてしまう。身に火の粉が降りかかって来て初めて事の重大さを認識する。国民の大部分は健康人なんだから当然なのか?

 

 一方、マスコミは医師と国民が対立関係になるようにし向けているから、誰しもが医師とか医師会にある種の悪しき印象・感覚はいだいている。それゆえ、医師会が頑張れば頑張るほど、何故か冷めてくるようだ。

 

 

 

2003/10/4(土)小泉第二次内閣 安倍晋三氏幹事長抜擢と坂口氏留任

 自民党総裁に再選された小泉首相は党3役人事で幹事長に安倍官房副長官を決めた。

 幹事長に抜擢された安倍氏は北朝鮮での拉致問題などで国民の中での人気が高い方である。自民党内でも当選回数重視による年功序列が大きく崩れることになる。

 

 安倍氏は49歳で、田中角栄、小沢一郎に次ぐ若さで歴代幹事長36人中3番目、当選3回は岸氏と同じ、閣僚未経験者は福田赳夫以来。 祖父の岸信介、父の安倍晋太郎に続く三代続いての就任となる。彼の持つキャリアを点数化し評価すれば異例の抜擢であることは明らか。

 従って、10月解散11月総選挙を強く意識し、若さと人気で国民の注目を集めるための小泉氏特有の目玉人事である事は明らか。確かに山崎前幹事長の雰囲気はTV映りも悪いし、その点では絶対的に優位である。

 

 本当はこんな因子で政治が語られてはならないのだ。しかし、現代の政治は真の能力と言うより一般大衆の人気投票で決まると言っていい。本来政治とはそんなものなのだ。国民の多くはTVから情報を得ているから、もしかして自民党大勝もあり得る事になる。彼の実力は未知数とはいえ、もしこの選挙で自民党が大勝すれば、血筋の良さと相まって彼の党内における立場は一気に特別なものになろう。当選回数によって年功序列的な党内の人事は一新する可能性がある。

 坂口厚労大臣留任も留任した。これは朗報である。

 今までの厚生大臣は短期で変えられていたし変えられても厚生行政には何ら影響を与えないようなポストであった。今回は業績を買われての留任と見たい。彼は三重県立大医学部卒、昭和44年三重県赤十字血液センター所長、4712月衆議院議員当選以来のキャリアを有する。1212月以降厚生大臣、厚労大臣。年金改革、医療改革が最も大きな課題であることは明らかだが雇用対策なと懸案事項は数多い。公明党からの閣僚と言うこともあって小泉改革に物申すことのできる数少ない人材だと思う。彼の留任は歓迎したい。

 

 

 

 

2003/10/23(木)自民党長老に立候補辞退勧告  小泉さんやったね

 いよいよ総選挙。小泉さんは再選の余勢で長期政権の基礎を固めようとしている。

 足かせの一つが藤井総裁問題。すんなり辞任せず石原大臣の辞任要請を蹴っ飛ばし、予想外の展開に解任という大太刀を振るっ たのも良い。いい加減なところで妥協してはせっかくの勢いが頓挫する。官僚との癒着のイメージを払拭するためにも断固たる態度で臨んで欲しい。若干のけが 人が出るかもしれないが自浄作用のために耐えるべし。

 もうひとつは自民党の長老議員の去就。党の定年を超えている宮沢(85)、中曽根(86)の2人。 総理経験者というので特例??、小泉さんもその程度か??,と思ったが本日夕方のラジオニュースで自ら出向いて立候補辞退勧告をしたという。これはすごい ことだ、さすがである。結果的に宮沢氏は後輩に道を譲るとして引退、中曽根氏は居座りの意向。両極端の結果が出てこれからの展開が面白い。

 中曽根氏の処理には総理の指導力が更に問われる。首相は公認はしないと言うが,私はそれでは中途半端,離党を迫るべきと思 う。その上で中曽根氏がどうするかは自由。小泉さんは身近に悪人的人物を育て挙げ,あるいはワザとつくり出し,機を見てばっさり裁断する。それでイメージ アップを図る策略に長けている。たいしたモンだ。

 東洋では指導者の交代がなかなかうまく行かない例が多い。欧米では古い人はあっさりと引退するから次々と若い指導者がでて くる。年寄りが頑張りすぎて、若い人が出て来にくい自民党・・・,だけではない,聖路加国際病院をはじめとして医療界もひどいモンだ,・・・の体質をどう 変えるのか、ここでも小泉首相の英断が注目される。

 今日の小泉首相の行動は日本の文化を変える嚆矢になるかもしれない。

 長老を敬うべきは人間としての礼節の一つだ。しかし,真に敬われるような長老はあらゆる地位を辞退しても輝き続けるのでは ないか。その自信がないから社会的地位にしがみつくのではないか。あるいはお金か?? 中曽根さん,日野原さん,定年退職後の公務員達・・・。引退して社 会活動にはボランティアで参加すればいいのに。彼らの本音を聞いてみたいものだ。

 

 

 

2003/11/ 6(木)徳川吉宗  vs  小泉純一郎(1

 八代将軍吉宗は徳川の経済危機を救った名将軍と言われている。小泉氏はどうかな?

 紀州家の三男坊であった吉宗は、二人の兄が相次いで死亡したた めに、思いがけず紀州徳川家の藩主となったが,当時紀州藩は経済的には完全に破綻状態にあったらしい。長子なら大切に扱われたのであろうが、三男坊は相対 的に見れば冷や飯食いの人生しか約束されていない。そんな扱いを通じて生活感覚が育成されたらしく、吉宗は危機感を持ってこの藩財政打破に乗り出した。

 吉宗の打ち出したのは徹底した緊縮財政。自らにも贅沢をいさめ、質素そのものの生活を藩内に徹底した。5年間に及ぶ努力の末,藩内には経済的な余裕が徐々に生まれ始めてきた。吉宗の政策の正しさが実証されたわけである。

 あれこれあったらしいが,この辺のことは私は知らない。やがて 吉宗は第八代将軍に就任する。当時は元禄文化隆盛時代で、放漫財政のツケがきて、完全に幕府も財政破綻直前の状態であった。将軍吉宗は、この危機を乗り切 るべく紀州藩主時代にやったのと同様の緊縮政策を施行した。改革の中で最も大変だったのは放漫財政の元凶である大奥の刷新であった。これまで誰も手をつけ られなかった領域に彼は大鉈を振るった。当然女どもの激しい抵抗にあったが、吉宗は断固としてこれをやり遂げた。

 時は平成。派閥も持たず政治家として相対的には冷や飯食いの人 生で終わるかな??と思われた小泉純一郎は小渕、森と能力的にみてあまり相応しくない二人の首相が開けた大穴を繕う役目として、思いがけないほどの国民的 人気を得て首相に就任した。冷や飯時代を通じて生活感覚,政治感覚が育成されたらしく、日本の経済的状態に関しての危機感は極めて大きく,日本の経済政策 に大鉈を振るい始めた。「改革無くして展望無し」、「三方一両損」、「国民には痛みに耐えていただく」・・・は彼のキャッチフレーズ。大きな政策は持って いるか否かは読めないところもあるが,とにかく経済的には国民に我慢を強いる締め付け。しかも,弱者いじめの傾向が見え隠れする。改革の中で最も大変だっ たのは放漫財政の元凶である自民党そのものの刷新であった。これまで誰も手をつけられなかった領域に対して大鉈を振るい始めた。議員の定年制をめぐっては 老練の政治家を中心に激しい抵抗にあったが、小泉は断固としてこれをやり遂げた。

 なんか似てませんかこの二人。(続く)

 

 

2003/11/7(金)徳川吉宗  vs  小泉(2

 戦国時代の動乱が終了し天下太平となったこの時代、武士は消費 者となり商人は栄えた。武士階級の生活は次第に華美になり、商人は益々繁栄し町人文化が中心となり武士の生活様式も次第に町人化していった。要するに幕府 自体は破産直前であったが民衆は比較的豊に暮らしていたことになる。吉宗は武士階級に対して生活を戒めるようおふれを出したが一旦華美、贅沢になったもの を元には戻すことは困難,効果は殆ど上がらなかった。それならばと、町民生活全てをマルメてレベルを下げれば何とかなるはずと考えて、全て華美を禁じて統 制一色にした。一般市民は節約を命じられ全ての楽しみを奪われ,灰色の市民生活になった。人々は物を買うことを躊躇い、結果として都市生活の活力が完全に 失なわれ恐るべき不景気が到来した。

 時は昭和から平成、平和が維持され,市民生活も豊になり天下太 平となったこの時代、国民は全員中流階級と自認し、消費を楽しむようになた。大量消費,大量廃棄が当たり前となり国の経済活動は栄え、日本はバブル経済に 突入、大手企業はアメリカのビルを買いあさり,美術品を集めた。経済界中心の文化が栄え,国民の生活も次第に華美になっていった。こんな経済はいつまでも 続くはずはない,やがてバブル経済も終息を迎えた。企業の業績は軒並み低下,特に金融界は大混乱。国の税収入は大幅に減少した。さらに,高齢化、その他の 要因で支出が増加,国自体は破産直前であったが、それでも民衆自体は比較的豊に暮らしていたことになる。民はやすきに流れると言われるように,一旦華美、 贅沢になったものを元には戻すことは困難である。これが不景気と言われる日本の生活なのか??と思われる現象は都会に出ていくと方々に見られる。歴代の総 理、政府関係者は国民の離反による選挙の大敗を恐れ、笑顔を振りまきつつ国債を発行し続け、国民生活と国の経済は大きな解離状態になる。

 ここで登場の小泉さん,国の支出を抑制する為に大鉈を振るう。 その矛先が消費一方で利潤を生まないとでも考えているのだろうか,社会保障の分野を主たる標的にしているから大変である,医療費の多くはマルメになり,働 いただけの見返りもない。患者・医療関係者共に環境はすっかり灰色になってしまった。

 なんか似てますね,この時代。(続く)

 

 

2003/11/8(土)徳川吉宗  vs  小泉(了) 今日は選挙日です。投票に行きましょう

 吉宗は自分の考えを強力に全面に打ち出し、自分の政治を行なっ た。効果が上がらないと見るや武士だけでなく、庶民の生活さえ押さえ込んでこの世を良くしょうと壮大なことを考えた。その他にもいろいろな政策を打ち出し た。目的を持って考え、実践したことは大きく評価されるべきで、まれに見る名君であったと言える。しかし、武士達の弛みきった精神を立ち治させるには確か に役立ったが、その経済政策は社会全体からみれば失敗である。貿易が行われておらず外貨獲得が無かった江戸時代の経済運営では、倹約を重ねて行けばいつか は豊かになると言うことはあり得ず、ますます貧乏になっていく。例えば、収入のない家庭で倹約につとめ、爪に灯をともすような生活をしていても結果は見え ている。多少破綻の時期が延びるだけ。収入がある上での倹約なら何とかなるのだが・・。

 吉宗と同じ発想で展開されている政策が医療・福祉政策分野であ る。「このままでは医療費によって財政が破綻する」と、小泉首相が言っているが医療費亡国論は詭弁である。医療費の総枠はずっと抑えられ、結果的に医療機 関の経営は著しく悪化している。病医院では従業員の給料を上げることもできないし、設備投資にすら出来ない。全国の医療機関で将来のために投資を控えた ら、殆どの医療メーカーが倒産するだろう。医療費の厳しい締め付けは、病医院で働く医師、看護婦、コメディカルの人々の活力を落としてしまう。また、そん な状態では真っ先に被害を被るのは病人である。対価に見合うだけの適当な医療費が支払われれば、医療人により高めの給料を支払われるし、優秀な人材も集 まって来る。さらに設備投資にまわす資金ができればさらに社会に還元されていく。私どもの病院でも秋闘が始まっている。個々の医療機関が出来る対応には限 界がある。生き抜くために自分の足を食べたタコは活力が低下して餌を採れず、疲弊し、やがて襲われて自らが餌になる道を辿るのだ。

 これが経済の本来あるべき姿なのである。経済は停滞させてはな らないのだ。外貨が得難くなってきた今の日本、そのために需要の宝庫である医療・福祉分野は経済の建て直しのために積極的に利用すべき分野なのだ。ところ が現実には、低医療費政策によって、この経済循環の輪が断ち切られ、病医院をはじめ医療関連産業が瀕死の状況にならんとしている。

 今日の選挙は興味津々である。結果や如何に。

 

 

2005/8/26(金)ついに選挙(1)小泉首相は政治の在り方にも一石を投じた

 ついに選挙になった。首相が予告をしていたと言え、参議院で否決されても本当に解散にまでは至らないだろう、と大部分の議員も国民も思っていたようだ。「まさか!!」を実行する、さすが小泉流である。法案が通らなかったら解散というのは、彼にしてみれば予定の行動。だから、反対する議員は小泉氏には首相のみが抜ける伝家の宝刀があることを軽視してはならなかったのだ。だから、半信半疑であった各議員大も慌てである。

 それにしても、衆議院議員というのは大変なものだね。明日のこ とは解らない。しかも、今回は党内で盤石の地位を築いてきた超ベテランであっても、反対票を投じた議員は公認しないという、大鉈を振るった。これは凄いこ とである。それ以上に評価すべきは反対票議員の選挙区には対立候補を擁立すると言う手段。こんなことは歴史上初めてのことでなかろうか。世が世であれば次 期首相候補になっていたかも知れないベテランも離党した。離党した候補者なんか当選してももう恐くはない。確かに、郵政を問う特別な選挙なのだから選挙民 には意思表示出来る環境を整えなくてはならない。だから、論理的にも正しい手法なのだろう。

 大きな派閥を持たない首相にとって最大の拠り所は国民からの支持である。支持と言うより半ば人気投票。「ナニ!!!  、選挙が人気投票? 国政選挙がそんなことであっては困る!!!  」、 と多くの真面目なヒトは顔をしかめるだろう。しかし、選挙とは本来そんなもの。だから、首相が最終的には民営化の賛意であっても人気投票であっても良い、 民意を問うのは当然。郵政民営化の詳細は知らなくとも改革の雰囲気、新しい手法を使う、過去にとらわれない変人首相として必ず賛成が得られる、と首相は読 んでいる。だから解散したのだ。

 

 

2008/9/26(金)突前、小泉氏引退宣言 見事だが標的を失った感じだ

 自分の進退に関してウジウジと口に出すものではない。小泉元首相の引退宣言は見事、さすがである。小泉構造改革内閣の骨太の方針に一定の距離を置いた麻生新内閣発足直後、解散総選挙直前、と言う発表のタイミングも彼らしさがあって絶妙だ。

 説明抜きで「自民党をぶっつぶす」「改革と成長」「抵抗勢力」等のエキセントリックな標語を掲げ、経済財政の構造改革を次々と進めた。公共事業費は01-06年度で3割ほども、明らかに減った、とのことである。

 高支持率を背景に強引に「道路公団・郵政」の民営化、規制緩和も推し進め、実質経済成長率は年2%程度に回復した。しかし、結果として所得や地域間の格差拡大なども生み、雇用は低迷、国民の生活は苦しくなったほか、医師不足など社会保障分野の歪みも拡大し、退いてまだ2年しか経っていないが、今や全国で「医療崩壊」が大問題になっている。

 医療福祉分野における発言、方針は「三方一両損」「株式会社の参入」「混合診療解禁」「三位一体改革」「聖域無き規制緩和」・・等を挙げた。

 首相の改革の理念は、構造改革特区の募集要項に記載された、 「生命・身体・健康に関するから、と言う理由で対象外にすべきではない」という文言に象徴・集約されている。経済活性化のためなら人の命・身体・健康を犠 牲にしても構わないと言う考え方で、今までこれほどまで明言した政治家はいない。通常なら更迭・失脚の対象となる。これを言わせたのは論理性よりもムード を重んじ、政策でなく人気で投票する国民でもある。何故か、今でも絶大な人気である。

 彼が掲げた弱者軽視の方針は医療人として到底容認できないものであった。

 私共医師会は首相在任当時から今でも一貫して首相の方針に反対を唱えてきた。私の文章にも「小泉首相」「小泉元首相」と頻繁に出てくるが、それだけ今でも存在感が大きく、糾弾の対象として格好だったからである。それが突然の引退宣言である。

 敵前逃亡的イメージもある。逃げられた、と言う感じで気が抜けてしまった。

 ところで、政治家や官僚達の仕事の成果は数年後に、あるいはそれ以上経てから評価が決まる。その際、自分の仕事に関してどのように責任を負うのだろうか。過誤という考え方は無いのだろうか。

 

2008/10/27(月)急に「円が強く」なった(2) 意外、小泉首相の功績でないか?

 私は経済関連には疎く、興味も乏しいが、聞きたくなくとも耳に入ってくるし、見たくなくとも目に入ってくる。今朝の5:00amNHKラジオのニュースも株価の低迷に関してであった。

 これらのニュースについて考えると、今欧米の金融界が陥って いるサブプライムローン破綻を契機に生じているこの金融崩壊状態、各国で行っている公的資金の投入は、規模と深刻さには当然違いがあるが、かつてバブル経 済後に金融機関が不良債権を抱えて機能低下を生じた際の日本の金融界の「失われた10年」と称される状況に似ているような気がする。

 

 多額の不良債権を抱えたことによる金融界の機能低迷が景気の低下に直結していると判断し、小泉首相が約14兆円もの公的資金を投入した当時、私はその意味はよく理解できなかったが、その結果として日本の経済は流動、回転し始め、国としては景気持ち直したとされる。

 この景気高揚策の結果、国は間接的ではあるが税収として既に12-13兆円程は回収したことになっているのだそうだ。この不良債権処理はそれまで問題点として上がってきてはいたものの、森政権は何も強権を発揮出来なかった。小泉首相は02年の内閣改造で竹中氏を経財相と金融相を兼務させたことで事態を急転させた。

 不良債権処理が直接経済を好転させたか、については異論もあ るようであるがこれを契機に我が国の停滞した経済は好転に転じたのは明らかとされている。もし、小泉・竹中ラインが思い切った手を打っていなかったとした ら、日本の経済はどうなっていたか、と思う。又、今回の金融危機でどうなっていたのだろうか。私には予想すら出来ない。

 今のところ、我が国の金融界は諸外国のそれに比して経営状態は良いようである。

 サブプライム関連の投資が少なかったことが幸いしていたようだ。しかし、諸外国に有している他の債券や株式の値下がりで、何れは日本の大手銀行も徐々に苦しくなってくると予想されている。大手はそれぞれ対策を模索しているのだ、と言う。

 よく分からないがどんな手があるのだろうか?

 小泉首相の足跡は、どうしても医療崩壊等のネガティブな面が表面に目立ってしまうが、大きな意味での国の方向を変えたと言う業績は、後に歴史が証明してくれるのかもしれない。

 

2009/8/21(金)「自民党をぶっ壊す!!」のスローガンを現実にしつつある小泉元首相

 721日衆議院がついに解散した。第45回衆議院議員選挙は約一ヶ月時間を置き、先日818日公示された。

 18日の新 聞各紙の社説は世論調査の結果を中心に政権交代を話題の中心に据えて論を張っている。その論調は,解散前後は政権交代があるか否か,恐らくあり得るだろう という論調であったが、最近は政権交代が当然であるような、もう決まったが如くの雰囲気になってきている。朝日は民主が300議席以上、自民は半減か・・とまで具体的に挙げて報道している。

 マスコミの関心は、自民党でなく民主党に移っている.自民はもう影が薄くなっている。

 各政党の代表者も既に政権交代そのものから、総選挙後の政治,民主党による采配についての関心が高めている。

 

 つい先日の党首討論会では麻生総理への質問はなく、鳩山代表に質問が集中したという。

 民主党の目玉はいろいろある。しかしながら、どう見ても金のばらまきである。財源はどうするのかが、今になってもよく見えない。徹底した倹約によって財源を生み出すとしているが、312千円もの子供手当支給、高速道路の無料化などに要する費用を見ると果たして実現できるのか,私も未だ納得できていない。

 2005年、296席の議席を獲得し大きく議席を伸ばした小泉元首相は今回は立候補していないが,応援演説の際に「政権交代になる可能性が高い。自民は一時野党になるのも悪くない・・」と述べたとされる。元首相をつとめた重鎮の言葉等は到底思えない、半ば諦めムードの無責任な発言だと思う。

 2002年首相になる際に「自民党をぶっこわす」と驚くようなキャッチフレーズを掲げて登場し、絶大な支持を集めたが、3年で公約通り郵政民営化を成し遂げた。たいした実行力である。しかし、今回の政権交代の方向性のルーツは小泉政権時代の政策の歪み、則ち、競争原理を優先にした社会の混乱、社会不安、国民の不満を背景にしている。阿倍、福田、麻生総理達の責任ではない。

 小泉元首相は就任から7年かけて「自民党をぶっこわす」というスローガンを現実のものにしそうである。たいした実行力である。

 ただ、自民党が壊れるのはかまわないが、それは結果であって、その根本は誤った政策の強行によることを小泉元首相は何と考えているのか。それに対する反省の弁は聞かれない。

 

2009/10/16(金)政権交代(9)公約通り「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(1

 721日衆議院がついに解散したが、その時点では自民はもう影が薄くなっていた。

 830日の総選挙では予想通り自民党が大敗し、国民の選択によって戦後の政治で初めて政権交代となった。

 

 組織としての自民党は確かに体質的に古くなって、誰が首相になっても大差のないいわゆる自民党的政治の形が出来てしまった。国民生活は経済の低迷を背景に徐々に変化しつつあったのだが、古い体質の自民党はその空気を読めたなかったのであろう。

 それが森首相の時に一気に不満が噴き出した。

 辞職する前の森内閣の閣僚は党の重要なメンバーで占めていたのであるが、首相の不用意な発言や行動によって、更に、国民を半ば馬鹿にしたような雰囲気で 対応し、説明していたから半ば当然でもあった。森政権の時点で国民は自民党政治に疑問を感じ始めていたというべきなのだろう、と思う。

 

 そこで華々しく登場したのは小泉氏であった。

 2002年「自民党をぶっこわす」と驚くようなキャッチフレーズを掲げて登場し、国民の期待を一気に集め、2005年には、296席の議席を獲得し大きく議席を伸ばし、3年で公約通り郵政民営化を成し遂げた。たいした実行力であった。郵政の他にも北朝鮮の電撃訪問、靖国問題など話題を振りまいた。

 

 小泉首相の基本姿勢は親自由主義的、親米国的であった、ということで、至上主 義、規制緩和を遮二無二推し進めてしまったことにある。しかも、経済を中心とした政策においては実にクールで合理的内容であったが、国民への説明は短く、 具体的でなく、キャッチフレーズ多用で国民の情念に訴えかけるものであった。

 

 確かに、2005年の総選挙においては長老の公認を認めず、郵政民営化に反対する選挙区には刺客を送り込み、かなりの変革を成し遂げた。首相の方針に従 わないものは抵抗勢力と称して対峙したが、高い国民の支持率の前には小泉首相にまともに反論すら出来がたい状況になった。

 この過程において古き良き体制で維持されてきた自民党はより若い世代の台頭を迎えたが、足並みを乱し統制が取れ難くなったように思える。政権運営後5.5年で退いたが、カリスマ指導者を欠いた自民党はその後自滅し始めた。

 

 要するに、「自民党をぶっ壊す」の公約は確実に今年8月の総選挙にむけて着実に効果を上げていった。自民党はその結果自壊した。

 

 

2009/10/21(水)政権交代(10)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(2)なぜ親米的に?

 小泉首相は就任当初はあれほど親米的だったのか?と思う。あまり記憶がない。気が付いてみたら超親米的であり、日本の歴史や文化を軽視する方向に大きく動いていた。

 政治家は、特にトップに座する政治家は随分広い見識を持っていなければつとまらないのだと思う。それでも歴史的な流れの影響をもろに受けるようである。

 世に名をなす政治家は数多くいるが、卓越した個人的な技量による業績は勿論あるのであるが、その人物が時代を作るのではな く、時代がその人物を求めて良い仕事をさせているのだ、と思う。オバマ大統領はその相応しい時代背景にぴったりとマッチしたのであって彼が別の時代に生ま れたなら別の人生を歩んでいたことだろう。

 長い東西の冷戦状態が終結したがその際に目立った存在はゴルバチョフ大統領であったと思う。任期の最期は必ずしも恵まれていなかったが、最盛期には歴史上に残る卓越した業績を残した。ベルリンの壁は取り払われ、世界は新しい時代の訪れに歓喜した。

 東西の緊張は急速に改善に向かったが、冷戦時代には日米に共通の明らかな目標があったから日米関係はむしろ親密で、米は日 本を利用しつつ対ロシア戦略を練っていれば良かったのだが、冷戦解消後は大きな目標を失ったために互いの利害関係が際立って来ることになる。その背景には 我が国の経済的急成長もあった。

 それまではそれほど発言しなかった米国が、世界の平和に寄与するために我が国に応分の働きを求めるようになり始めた。しかも、相当に強い調子であり、国連を通じて他国も同様の要求をし始め、湾岸戦争の時期には、当時は海部首相であったと思うが、我が国は100億円以上の規模の経済支援を行ったものの、国際的な評価は極めて低かったことが我が国の厳しい立場が物語っている。

 だから、その後の首相達は国際貢献の重圧から逃れられなくなっていたと言うことになろう。

 その後、我が国の経済は陰りを見せ始めていたが、小泉首相は経済の立て直しを通じて、恐らく、強い日本の再現を目論んだ、 と思われる。そのためには我が国特有の雇用制度などにとらわれていては実現性など無いと読み、新自由主義と言われる競争原理の導入による経済の活性化を考 えたのであろう。

 

 

 

2009/11/6(金)政権交代(11)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(3)当時日米共に相対的不況だった

 第45回衆議院選挙の結果、自公の政権与党が大敗し、民主党中心の政権に交代した。

 半世紀続いた55年体制が崩壊した歴史的な出来事である。先進国、自由主義国において同じ政党が政権を持ち続けることは先ず例がない異様な状況であった、と言える。

 何故こうなっていたのだろうか。

 野党が実力不足で政権担当能力を持たなかったためという考え方もあるだろうが、私は必ずしもそうは思っていない。自民党の保守的政策が日本の文化、国民の心理に良くフィットしていたからである。

 あれほどダメだった森内閣が失脚した後も自民党支持はそれほど落ちていなかった。それが、今回革命的と言っても良いほどの 検挙結果になったのは、端的に言えばあの超人気者の小泉元首相が「自民党をぶっ壊した」だけでなく日本が長い間かけて培ってきた「独特の日本的文化、日本 的人間関係、日本的就業関係までを徹底して破壊してしまった」事に起因していると考える。

 要するに今回の政権交代は小泉政権がもたらしたもので、安倍、福田、麻生には罪はないと私は思う。

 あきれるほど鈍重で超ダメ首相、内閣であった森政権、あれほどのダメさ加減が小泉首相を誕生させた。キャッチフレーズ「自 民党をぶっ壊す」は国民に熱狂的に支持されたが、国民は小泉首相が「自民党をぶっ壊した後に、うまく再構築してくれる・・」と期待したからで、当時の国民 はまだ自民党支持であったと思う。

 小泉首相は就任直後にすぐ米国に飛び、ブッシュ大統領と会談を持った。その時、恐らく日米共に相対的不況にあり、国民の不満がつのり始めていた事を互いに危機ととらえ共感し合ったに違いない。

 当時、米国はイラク攻撃で多額の軍事費を使っていて経済的余裕を失いつつあったし、日本は長い不況からなかなか抜け出せないでいた、と言う共通の悩み、困難さを抱えていた。

 ブッシュはあのグリーンスパン氏らの提言もあって、内需拡大のために国民に住宅を購入させることを目論み優遇策を講じ始め ていた。住宅の購入が盛んになると言うことは単価が大きいだけに著しい内需拡大になるからである。更に、住宅を購入すれば家具も買う、冷暖房器具も買う、 エネルギーも使う、街への通勤や買い物のスタイルも変わる・・等々の経済波及効果は著しいからである。

 しかし、数年後、この政策があだとなり世界的不況に陥ることになるなど、並みいる政治家も経済学者も誰も予想だにしていなかったということだろう。

 

 

2009/11/15(日)政権交代(14)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(4

 ブッシュも小泉首相も就任時共に経済の低迷に悩んでいた。

 経済の低迷は税収の減少に直結するから、政治と切り離しては論じられない。政治家も経済の活性化させなければやりたい政治も不可能となる。だから両者とも経済の活性化を目論んだが、米国では住宅関連証券会社の破綻、自動車ビッグスリーの一つであるGM破綻に結びつき、日本では長年培ってきた日本型雇用形態が破綻し、厳しい競争社会に変化し、重大な社会問題となった。

 我が国が米国型の競争型に近づけることで経済を活性化しようとした小泉首相の目論見は完全に破綻しただけでなく日本独自の和を尊ぶ就労文化も短期間で破綻した。

 かつては強いドル、高い金利の米国に世界中から余剰資金が流入してきており、経済が活性化していた。消費を奨励し、世界中から物品を購入することで世界の経済の活力を維持して来た。

 また、競争社会である米国では経済活動の賦活のために、勝ち組は驚くほどの報酬を受け取る仕組みになっていた。このことの 実態として破産した企業ですらリーダー達は信じられない高額のボーナスを受け取って去っていく状況が数多く報じられたが、われわれ日本人の感覚とは完全に 異なっており、理解できないレベルであった。この様な状況の中、負け組となっている大多数の国民の士気が萎むのは当然である。結果として生じた自国の産業 の低迷は経済に直結した。

 経済活性化のためにブッシュ大統領は本来なら購入が困難な階層の国民にも住宅取得を勧奨した。この政策は多くの国民に支持 され、決して豊かでない国民もこぞってローンを組み住宅を購入したが、ここに破綻のルーツがあるようである。結果として、巨大な資金が動く住宅金融が投機 の対象になり世界中から資金が流入した。同時に住宅の価格が急上昇した。もともと余裕のない階層を相手に成り立った脆弱な金融である。支払いが滞ったのは 当然で、金融会社は資金繰りが出来なくなり破綻することになる。

 これが、私が理解している昨年秋のリーマンブラザースの破綻の背景であるが、この様な米国型の競争社会に日本の文化を強引に変えていったのが小泉首相である。

 

 

 

 

2009/11/16政権交代(15)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(5)米国型競争社会に憧れ

 ブッシュも小泉首相も就任時共に経済の低迷に悩んでいた。経済の低迷は税収の減少に直結するから、政治と切り離しては論じられない。 

 私は経済には疎いが最近は立場上勉強する機会も増えている。その中で自分なりに少しずつ理解できているし、興味もわいてきている。

 日本のバブル崩壊以降の経済の低迷は世界的に「失われた10年」と称されて世界中の経済学者の恰好の研究対象になっていた。なぜなら、格差の存在を必須条件とし、搾取と不均衡分配によって成長し続けなければいつかは成長の低迷や停止を迎えることになる資本主義、商業主義は、いわゆるG7G8と称される先進国と言われるどの国にとっても迎える可能性を秘めている。その中で唯一と言える画期的モデルが日本であることから注目されているからである。

 資本主義の中における重要な因子を挙げると、「人」「物」「金」なのだろうが、「手厚い福祉は人々を堕落させる」という思 想に立つ米国はまさしく「金」>「物」>「人」の即物的資本主義であり、一方、我が国は終身雇用制度等を背景にした「人」>「物」>「金」といった米国と は全く異なる文化を持っていたと言うべきだろう。労働者は遣われる身でありながら、反面では会社と一体関係にあって、忠誠心を持ち、人間関係も和を尊ぶ関 係にあった。結果として我が国では格差の少ない助け合いを基本に置いた独特の文化が形成された。

 資源もマンパワーも金も十分あり、激しい競争社会の中で成長を繰り返し世界一になった米国、それに肩を並べるほどまででは ないとしても、資源も金もなかった我が国が、厳しい終戦の飢餓と瓦礫の中から世界第二の経済国にまでなった背景は、優秀で勤勉な国民性と独特の雇用制度、 仲間意識が作ったと言える。結果として多くの国民が中流家庭だと自認した時期さえもあった。

 

 この独特の文化を軽視し、日本型労使関係はとろい、競争社会にすべし、とぶっ壊しにかかったのが小泉首相であった。従来の自民党政権にいろいろ問題はあったが、日本固有の文化までは破壊しなかった。小泉首相はわずか5年間の中でこれを成し遂げた。競争原理を持ち込んで経済を活性化しようとし目論んだのであろうが、実際は逆効果であった

 「自民党をぶっ壊した」小泉元首相は「日本の文化をもぶっ壊した」。

 結果として日本もすっかり格差社会になってしまった。しかも、米国は強欲主義のもとで上の方に格差が広がったが、我が国は 下の方に格差が広がってしまった。失業率は上昇し、貧困家庭が急増している。人間関係まですっかり変わってしまった。だから、政権交代は当然の帰結であ る。あの、国民の支持を集め自民党の大躍進を果たした小泉首相こそが、自民党零落の立役者となった。ホントに「自民党をぶっ壊した」。

 

 

 

 

2010/1/7(木)政権交代(24)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(5)日本の繁栄と鎖国

 日本には古くから連帯意識の豊かな社会観が醸成されて来た。恐らく、世界に二つとない素晴らしい特徴だったのかもしれない。

 この日本的な連帯感を近年まで日本人が持ち続けていた第一のルーツは鎖国にあり、歴史的に全く価値観の異なる他民族に一も 征服されたことはないからだと私は思う。異民族は固有の文化も破壊し、文化をも征服しようとするのが一般的である。我が国はどこからも毒されることなく独 自の文化を育て上げる事が出来た、と言うことである。

 私は歴史に疎いためにいろいろ論じることは出来ないが、読みかじっている文学作品とかからうかがい知る範囲では、相手方の 気持ちを大事にする独特の社会、文化があるように思う。古事記、源氏物語、枕草子、方丈記、徒然などの世界には独特の社会観があり、人間関係があり、諦観 がある。敵に塩を贈る文化である。新渡戸の名著「武士道」を読むと古き良き時代の日本的独特な連帯の文化、礼儀、抑制の文化を改めて知ることが出来る。こ れらの独特の文化、考え方は鎖国によってほぼ純粋に培養されていた、と言いうるだろう。

 

 一方、欧米社会は基本的には階級社会であり、個人主義であり、厳しい競争社会で、敗者はばっさりと切り捨てられる冷たい社会である。欧米ではほぼ共通して宗教は「キリスト教」であるが私には「キリステ教」に思えてならない。

 日本に欧米型の異文化が一気に入ってきたのは終戦後である。この時、それまでの価値観が否定され欧米の考え方が一気に導入された。当時、感受性豊かな年代にあった人々は相当にショックを受けたと言うことである。

 しかし、当時の食うや食わずの生活の中では生きるためにまず必要であったことは住民間の連帯で、同じような環境の中で互い に寄り添い、助け合って苦境を乗り越えなければ生れなかったために、欧米型の生活を羨みながらも欧米型の社会様式、論理は浸透しなかった。これが、我が国 が一気に欧米型の文化にならなかった第二の因子であろう。

 一気に欧米化しなかったことは日本の社会にとってとても良かったと思う。国土も狭く、資源もない我が国が戦後に見事な復興を遂げたが、繁栄の背景には欧米の文化にはない独特の生活観、社会意識、連帯感があったためである。

 小泉首相は自民党だけでなく、この独特の日本文化をも破壊してしまった。勿論、小泉首相だけの問題では無いが、彼の任期中に、日本の社会は一気に包容力を失ってしまった。


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