秋大医学部第三内科同窓会会誌第7号2008年1月)

            

 愚直に続けた「愚」の一部を率直に反省

中通総合病院院長 福田光之

 第三内科同窓会のみなさま、こんにちは。

 1973年5月から1985年5月迄の13年間の長きにわたって第一内科員、第三内科員としてお世話になりながら、2005年秋までの約20年間、第三内科の皆様方と殆ど接点を持つことなく過ごしてきました。大変ご無沙汰申し上げましたこと、大変に失礼なことをしたことをお詫び申し上げます。

 始めはこんな事になろうと思っていなかったのですが、中通病院に移った年の秋の第三内科同窓会の日は、病院の母体である法人組織関連の学術集談会があって同窓会に出席できませんでした。2年目には偶然にも郷里の親戚の弔事があって出られませんでした。その後は、何となく出る切っ掛けを失ってしまい、結果として20年間同窓会その他の会合に一度も出席しませんでした。何度か病院とか医師会の用事で大学を訪れることはあったのですが、第三内科の医局等の領域には恐れ多くて立ち寄った事は一度もありません。

 この間も、不遜なメンバーとして除名されることもなく,同窓会の幹事からはいつも会のご連絡を戴いており、感謝すると共に内心ではすごく恐縮しておりました。

 私には同じ行動をひたすら続けるという、妙な癖と言うか性格があります。他の人から見ればバカにしか見えない様な愚たる事をひたすら愚直に続けています。
 例を幾つか挙げ、一言だけ言い訳をいたします。

■職場ではエレベーターには乗らない(短気で来るまで待てない)
■いつも爪楊枝を噛む(歯並びが悪く、常に掃除が必要)
■靴を履かない。素足にスリッパ(頭寒足熱は逆効果)
■日中も窓、カーテンを閉じ、暗闇の中で過ごす(ホントは根暗なのです)
■外に出たら防音ヘッドフォン(嫌音権主張中)
■通年、早寝、2時起床、惰眠をむさぼらない(いつか永眠するから)
■40代は二食、50代以降は一日一食(空腹が心地良いし、何でも美味い)
■白衣は着ない。職場では通年半袖Yシャツ(袖が邪魔)
■夏場はバイク通勤(一人ならこれで十分)
■日々の記録、ミニ随想を書く(アリバイ作りと憂さ晴らし)
■冠婚葬祭、各種集会の招待はソフトに断る(顰蹙を買ってます)
■などなど・・・

 物事を淡々と続ける事にあまりストレスを感じない私のこの性格が前向きに活きたのは、赤芽球系骨髄幹細胞の培養の検討過程でした。培養開始した時はいつか出来るさ、と気軽に培養をやっていたのですがなかなかうまくいきません。同じ事を繰り返しているだけでは時間も経費も無駄ですので、培養液の条件を微妙に変え、それらをいつでも再現できるように詳細に記録に残しながら試行錯誤し続けました。やっと赤芽球コロニーが出来たのは187番目の試行でした。常に3-4ロットを並行して培養しておりましたが、一つの培養条件の成果を見るのにロットあたり10-14日間培養しなければなりませんでしたから、条件設定を確立するまで実に大変でした。よくもまあ、愚痴りもせず淡々とやり続けたものだ、とあきれる一方、懐かしんでいます。

 今の病院の仕事の中では愚直に続けているのは人間ドックの判定でしょうか。365日ほぼ例外なく朝2時頃から毎朝1-2例、淡々と処理し続け、今朝の処理が3585人目でした。ホントに同じことを淡々と繰り返せるものだと、一人で呆れています。 

 上記の二例は業務上で成果に結びついていますが、先に挙げた事項は続けていても何も良い結果などもたらされるわけではありません。今では続けること自体が目的になってしまい、もう簡単には中断できそうにはありません。

 多分、三内科の会合にも出ることはないだろう、と思っておりましたが、運命のいたずらなのでしょう、平成17年9月に院長を拝命することになり、事情が一変しました。私的な好みや都合で行動出来なくなったと言う事情もありましたが、思いがけず同窓会の有志の方々に院長就任の祝賀会・激励会を催していただきました。会を企画してくださった方々、出席いただきました方々にこの場を借りて改めて感謝申し上げます。

 その後はがらりと発想を変えて、同窓会や忘年会等にご招待いただく度に万難を排して出席させていただくようにしておりますが、病院、医師会等の行事と重なることが多く、実際にはなかなか実現できておりません。

 不遜な同窓会員でありながら、今回同窓会誌にも投稿の機会を頂きました。今回は私のバカさ加減を提示しながら、お詫びと感謝の気持ちをお伝えすることと致しました。

                       

 (2007/11/30記)  


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