内科 福田光之
大曲中通病院に赴任時にはヴァイオリンやチェロの練習に理療室を使わせて頂いた。 更に恒例の年末大交流集会には1985、1987の2度に渡リ、楽器を片手に余興にも参加させて頂き、良い思い出になった。
Odoardiの作?のヴァイオリンを購入する
最近、機会あって一丁のヴァイオリンを手に入れた. 楽器の内部のレッテルにはOdoardiの作とあり、製作年はよくは読みとれないが17**とある。 文献でも同名のヴァイオリン製作者は確かに存在し、1746一1786の生涯とある。 もし、この楽器が本物だとすると、少なくとも200年前に作られた楽器ということになり、 また、この作者が受けている評価から見ても悪くない楽器と言えるようである。極めて軽く、 すり減って大きくなった糸巻き穴には何度も補修した痕もあり、指板や、中の力木も取り替えられている。 かなりの年月使用されていた楽器であることは疑いない。真贋については自分で考えてもどうしよう もないので信じているが、実際によく鳴る楽器で気に入っている。今までどの様な演奏家に用いられて いたのだろうか、等と考えると興味は尽きない。ただ、気掛りなのは全体に強度が不足している様に 思われることで、楽器としての寿命が終焉に近いような気がしてならない。私のところでゆっくりと休ませてやりたい気もする。
ヴァイオリンは感性を刺激する
ヴァイオリンは不思議な楽器である。2〜300年前の楽器がもてはやされ、それを凌駕する楽器がなかなか表われないのも理解しがたく、面白い現象でもある。ヴァイオリンの音は口で表現し得ないほど美しく、多種多様な音を持っている。即ち、明るく暖かな音も、透明で冷ややかな音も出せる。また、崇高で充実した音、甘美で陶酔的な音、熱く燃える情熱的な音、悲しげ、かつ悩ましげな音も出すことも可能である。要するに我々の持つ感性に直接訴えかける音色を持っている。私は弦楽器の良い音に接すると鳥肌が立ち、身体がゾクゾクするのを覚える。弦楽器の入らない音楽にはどちらかと言うと興味を感じない。
ヴァイオリン、ヴィオラやチェロを自ら奏すのも好きであるが、交流集会で示した如く技術的には未だ未だ下手である。しかし、やる気は衰えておらず、未年はあの曲を来年はこの曲と希望に燃えている。
ヴァイオリンの魅力に取り付かれる
私は田舎育ちであるが、祖父が収集していたSPレコードなどで小学生の頃から西洋音楽には親しんでいた。ヴァイオリン、チェロは本とかテレビで見てはいたが、実物を見たのは中学2年の時であった。N響の地方公演で、遠くの席から見たのが初めてであった。ラジオ、テレビ、レコードで聴いていたのとは全く次元の違う、何とも言われない音色や響きに対しゾクゾクしてどうしようもなかった.中学は盛岡の私立に進んだが、友人の家に50万円ほどのヴァイオリン(当時3食付きの下宿代が1ヶ月5千円程度)があると聞いて押しかけ、恐る恐る手に取ってみせてもらったのはそれから間もなくのことであったが、何とも言われぬ不思議な形とバランス、木工細工としての素晴らしさ、色調、などあらゆる点で魅了された。何とかやってみたいと思ったが当時はそう簡単に希望が叶えられる環境ではなかった。
鈴木ヴァイオリン購入
新潟大学に入学したとき全く未経験者でも指導するというので医学部管弦楽団に入部した。3万5千円で楽器を買い(これは私の4ヶ月分の生活費に相当し、当時学費の一部を負担してくれていた兄嫁との問に未だに大きなしこりとして残っている)、初めの6ヶ月は講義と寝る時問以外の大部分を練習にあて、何とか音が出せるようになった半年後には定期演奏会で第2ヴァイオリンの未席にて演奏に参加し、以後、6年間在籍した。3年目位からはヴァィオリンからヴィオラに回り、一応トップ奏者として過ごしたが今から思えぱ冷汗ものである。合奏の苦しみや喜びは経験者にしか判らないと思うが、実に気分が良いものである。しかし、この問チェロにも興味が生じてきたが当時は楽器を手に入れられるはずもなく、その時点では諦めた。医者になってからの約1O年は時問的余裕無く、主にレコード、FMなどで聴くのが主となり、楽器は時々思い出したようにケースから出す程度であった。しかし、やはり、聴くだけでは満足できず中通病院に移る数年ほど前から練習を再開した。しかし、基礎が不十分で付け焼き刃のように脆かった私の技術は大半が失なわれ、そう簡単には戻ってこない。
鈴木チェロを、更にドイツ製のチェロを購入
4年ほど前、ロストロポービチの演奏するドヴォルザークとサンサーンスのチェロ協奏曲がレーザーディクスで発売になっていたことを知リ、その映像を参考にすればチェロも何とかなるのではないかと考え楽器を購入、連日1-2時間、休日には時に7〜8時間も楽器と格闘し続け、腱しょう炎で何度か中断はしたものの何とか音を出せるようになった。その頃から昔の伸間で室内楽グループをつくり1〜2/月ほど合奏を楽しんでいるが、ここでは下手ながらチェロで参加している。
家では3人の子供達がそれぞれピアノ、チェロ、ヴァイオりンを習っているが自らの動機付けが乏しいまま、無理やりやらされているという意識なので今一つ進歩しない。それでも私よりは巧くなっていて時々合奏することもあるが何となく無理して付き含ってくれているよっに思える。
そこで気嫌ね無く、文句を言わずに何時でも私に付き合ってくれる相手を求め、ヤマハミュージックコンピューターに伴奏譜をインプットして合わせてみたりしている。それなリに役立っているが残念ながらインプットが困難であることとシンセサイザー音に対する不満とがあり現在中断している。最近、自動演奏ピアノが市販されており伴奏者として興味を感じ、何時か雇って?みようと思っている。
(その後、知り合いの京都の楽器商が選んでくれたドイツ製のチェロを購入した.これが良く鳴る楽器で、京都のホテルでは嬉しくて一晩抱いて寝た.)
オーディオでは満足できない弦の音色
最近オーティオの発達は目覚ましく、良い演奏のソフトも手に入りやすくなっている.私も弦楽器の音をそれらしく再生する装置を求め続けたが、まだ十分な満足を得ていない。デジタルの時代になりアナログに比べれぱ多くの点で改善され、より気軽に良い音で楽しめるようになったが、弦の微妙な音色の再生に関してはむしろ後退したように思われ、ヴァイオリンがあたかも金属で出来ているような音がする。スピーカーを通した音楽ではいかに名演奏、名録音と評価されているソフトでもそれほど満足したという経験はない。まだヴァイオリンの微妙な音色の総てを電気信号に変えられないからであろう。一方、秋田の青少年オーケストラや素人のアンサンブルでも時折鳥肌が立つ様な良い'弦の音が味わえる。だから、私にとってはどんな演奏会であっても基本的にはレコードなどより価値は高いし、このことが楽器を自分でならす意欲のルーツなのだろうと思う。
有名楽団の来日公演には満足できなかった
ウイーンフィル、ベルリンフィルなど、世界的に一流とされているオーケストラの来日公演にもかなり出かけ、それなりに楽しめたが、不思議なことにいつも期待したほどの満足は得られなかった。数100年の芸術と歴史の洗礼を受け存続し、評価されているオーケストラがこんな程度では有り得ないと感じた。恐らく、私の期待が大きすぎることに加え、演奏会場の音響が良くないからであろうと考え、ウイーンフィルをウイーンフェラインザールで聴けばきっと満足できるのではないかと期待し、ウイーンにも出かけてみた。'結果的には満足出来るすばらしい10日間を過ごした。考えてみると、演奏会場で我々が楽しむ音の70%以上は会場内の反響音だというのでホール自体も楽器の一つと捉えるべきである。従って、各会場毎に音色があリ、歴史のあるオーケストラはそのホームグラウンドのホールの音響の中で演奏法や表現法が追及され維持されてい'るので、音源としてのオーケストラのみが来日し演奏しても持てる真価が十分に発揮出未ないのは当然である。こう考えるようになってからは東京や大阪公演にわざわざ出かけるということはなくなった。ヨーロッパが遠くにあるのが残念でならない.
おわりに
私にとって音楽は単に楽しむだけではなく追求する対象であった。現在までにかなりの時間を費やしたがそれに見合う以上の数々の体験を私に与えてくれた。また私の物事に向かっていく気力のバロメーターにもなるようだ。いつまでも目標を掲げて挑戦し続けたいとは思っているがこの気力を持っているうちは仕事の面でも少しづつながら進歩していくものと期待している
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