「エイプリルフールでした」、と笑いたい
肺がんを濃厚に疑われた日々の心境
(1)新検案事項発生 2008/3/31(月)
この徒然の日付上では明日であるが、実際アップされるのは4月1日朝、エイプリルフールである。エイプリルフールは例年であれば意識することもなく、笑い飛ばす気楽な風習なのだが、今年はちょっと深刻な(?)懸案をかかえてしまった。
結果的に「エイプリルフールでした」、と笑えれば最高にハッピーだから、今朝の記述にはちょうど良い。
現在、私は「肺ガンを否定できない胸部異常陰影」をかかえて経過観察中の身である。2月下旬に職員健診を受けたが、3月18日に庶務課発の封筒が机上に載っていた。「健診で肺レントゲン像に異常影があるので先行してお知らせします」とあり、「肺ガンを否定できない陰影あり」という項目にチェックが入っていた。
その時の心境は「何か、血管でも変に写ったのではないか?」とあまり気にもとめなかった。健診は小さなフィルムだし、当該部位に昨年8月に異常陰影など一切なかったからである。
診療介助の、若くもない看護師が強く勧めるものだから、胸部3方向を再検査してみた。何と!!! 予想に反して炎症性とも腫瘍性ともとれる異常陰影がしっかり写っていた。自己判断は甘くなるので、呼吸器科長にすべて下駄を預けた。科長はCTと採血をオーダーしてくれたが、採血検査項目にはしっかりと3種類の肺ガンの腫瘍マーカーが含まれていた。
翌日のCTは造影剤使用で行われた。陰影の部位から見て造影剤は必須でないが、あえて使用したと言うことは意味深である。放射線科的のCTの診断結果は「○cm x ○cmの陰影があり、陰影の特徴から肺ガン疑い濃厚」であった。診断医と面談したが、内容は厳しく楽観は出来ない内容であった。
やはりそうか、肺ガンとすれば手術になるだろうが、この陰影では予後は悪そう、今年一年持つか??と多少ガックリしたが、いつか来るであろうことがたまたま肺に、しかも私の予定よりちょっと早く来ただけ、と事実を淡々と受け入れることである。
採血結果は異常が無かった。翌日、呼吸器科科長の判断で2週間ほど様子を見ることとなった。
・ ・・と言うことで、いま粛々と2回目の判定を待っているところである。
本日夜から東京出張である。帰秋翌日の4月3日午後、経過観察のCT検査を受けることになっている。「あれはエイプリルフールでした、お騒がせして済みませんでした・・」、と大声で笑い合いたいものである。真実や如何に。
(2)ホントなら何とするか 2008/4/1(火)
肺の異常陰影は2週間ほど様子を見ることとなった。僅か半年間でこれだけの陰影を形成したことも判断の一要因となっているようだが、根拠を深くは聞いていない。私にとっては2週間静かな時間を貰ったようなモノである。
4月3日夕方に経過観察のCTを撮ることになっている。この時どちらの結果になるのか分からないが、実際、様子を見るとの判定に正直ホッとした。が、それもあと数日である。
私自身、いろいろ心配しているのか?と言うとそうでない。悪性か否か、もう体内では決まっていることだから、どちらでも良い。家内の病気が判明した時の驚きの方が大きかった。私自身、家内より長く生き延びる設定は殆どしてこなかったからである。勿論、論理性はない。幸い、家内の経過はとても良いようでとても嬉しい。今回、私の陰影が悪性であったとしても、これはずっといつか来ることと覚悟してきたことでもある。
実際、この間何も変わっていないし何も変えていない。良い結果ならば最高である。悪しき結果と出ても、恐らく短い時間であろうが安息の時間は得られるだろう。この時間はどれだけの長さになるか分からないが何者にも代え難い貴重な時間として、この中に楽しみを見いだしたい。これは定年を早くを迎えたいという願望と共に、長らく夢に描いていたことでもある。違いは残された時間の長さと質の差だけだ。
しかし、悪しき結果と出ると時期的にはちょっとまずい。私の周辺の関係者の方々に多大な迷惑をかけそうである。
家族達はそれなりに受け入れてくれるだろう。
病院の方は医師としては、体調次第であろう。しかし、この厳しい医療情勢の中、致死的疾病をかかえながら院長職の遂行は到底ムリである。
県医師会は4月1日からは新体制のスタートである。今期も本日から副会長として二期目のスタートを切ったが、同様に機能的にも空席にしておく余裕はない。幸い、6月に代議員会がある。会長、第一副会長には相談済みである。
などなど、静かに徒然と考えている。「エイプリルフールでした。お騒がせして済みません」、と笑えれば、それは、最高である。
(3)微笑程度で持ち越しに 2008/4/3(水)
本日夕方経過観察のCTを受けた。
私がモニターで画像を見た範囲では異常陰影は殆ど不変、あるいは若干大きくなったかな?という印象でちょっとガッカリしたが、私の読影力なんて知れたもので判断力はない。詳細は専門医の判断に委ねた。
放射線科医は陰影の微妙な変化を読み取り、今回の判断は要経過観察であった。後は呼吸器科長の判定待ちであるが明日以降になりそうである。場合によっては気管支鏡とか、CT透視下肺生検など受けることになるかも知れないが、それはそれで良し、である。
少なくとも直ちに黒の判定ということにはなりそうではない。さりとて白でもない。微妙なグレイゾーンにあると言うこと。「あれはエイプリルフールでした」、と大声で笑いたかったのであるが、微笑程度で済ませよう。グレイが白に向かうか、黒に向かうか今後も定期的に観察することになる。
悪しき結果が出なかったのは幸いであった。従って、垣間見た夢もお預けになった。すべて今まで通りである。私のエイプリルフールの話題としては尻切れトンボになったが、こういう結論で終了。
ところで、諸外国ではエイプリルフールとしていろいろ手の込んだ企画がなされているようである。
このうちの一つだろうが、英国のBBC放送(?)でペンギンが空を飛んだというニュースが放映されたと紹介されていた。見事なコンピューターグラフィック作品で映像は実に自然である。子供達はこの作品を見てペンギンも空を自由に飛べる鳥だと誤解してしまうのではないか、と心配さえしてしまった。
もう一つ、フランスの大統領は3月末に身長を10cm伸ばす手術を受けた、という。これはフランス特有のエスプリなのだろうが、こちらの方は相手が短気なサルコジ氏である。若干物議を醸し出すかも知れない。
(4)未だ灰色のまま 2008/4/24(木)
3月下旬から肺の陰影の経過観察中である。
4月上旬の2回目のCT判断は要経過観察であった。私は気管支鏡とか、CT透視下肺生検などを覚悟していたが、これで一旦は開放された。だから、まだ相変わらず黒でも白でもないグレイゾーンのままであるが、気持の上では若干ながら白の方向に向いたかな?と言ったところである。
呼吸器科科長は次のCTは5月末頃と言う。私もそれで良いと思うが、私の周辺では些か焦っているようである。家内はすっかり黒と決め込んで看護・介護のために職を変えようとアクションを起こし始めているが、当の私はちょっと早いのでは・・と思っている。
私自身の日常は何も変わっていないし変えていないが、身辺はちょうど良い機会だから整理し始めている。まず、蒐集しているガラクタ類、木片、古い電子機器、データ、書籍、書類・文献などを処分し始めた。若干思い出のあるMacのColour classic2も処分した。もともと実用性が殆どないものまでため込む性格なので処分しても実害は生じない。白黒はどうであれ、更に整理し続ける。病院の書棚はかなり隙間が出てきた。
家の外装がかなり痛んできたのでこの機会にリフォームをすることとした。今工事が進んでいる。
気にされている方もおられるので、予定を若干速めて連休明けにレントゲンとか検査してみようと思っている。連休前に分かったからと行って次ぎの対応が直ぐ出来るわけでない。それに、白黒が分かっていないだけで、事実はもう決まっているのだから慌ててもしょうがない。何か努力すれば黒が白に変わる、と言うわけでもない。のんびり行こう。淡々と判定を待つだけである。
(5)どうやら白のようだが、妙なうつ的状態になる 2008/4/28(月)
3月下旬から肺の陰影の経過観察中である。
4月上旬の2回目のCT判断は要経過観察で、若干ながら白の方向に向いたかな?と言ったところであった。
3回目のCT検査は5月末頃に予定していたが、心配して下さる方々のアドバイスもあり連休明けにレ線とかの検査してみようと思っていた。
本日、外来終了後、呼吸器科長が訪室し胸部単純レ線だけでも撮りましょう、と言ってくれた。予想外の申し出であったがちょうど良い、即実行である。早速撮影した。この結果で黒か白の方向がより明らかになるだろう。黒の判定でもやむを得ないと思ってはいたが、現像を待つ5分間ほどはやや緊張した。
フィルムに未だ陰影がしっかりと残っていたが、自らのひいき目で見て僅かに淡くなっている。一ヶ月前のフィルムと比較してみても同様の印象でホッとした。呼吸器科長の判定も「軽快」であった。それでも大事を取って連休後に3回目のCTを撮影する事となった。
これで恐らくはガンは否定的になった、と思う。未だしばらくは生きられそうだ。ならこの陰影は何なのだ?と言う疑問は残るが、徐々に軽快しているようだからそれは大きな問題ではない。
で、その後自分の状態がどうなったかというと、嬉しくてルンルンかと言うと全く逆であり、虚脱感というか、緊張感の喪失か、しばらく仕事に取りかかる気持にならなかった。
2つの会議終了後、緊張感無くだらだらと定期処方とかの残務を処理し、冷える中のバイクで帰宅した。身体の隅々まで冷えてけだるさは消失したが、何となくうつ的状態で夕食もそこそこにして床に入った。
この一ヶ月あまり、半信半疑ながら自分としては黒の判定が出たときのことも念頭にして先のことを考えていたから、知らず知らす緊張していたのであろう。確かに充実した一ヶ月半だった。それが一気に緩んだ、ということだろうが、予想外の不思議な感覚を味わった。
(6)CTでも白のようだが・・ 2008/5/8(木)
本日3回目のCTを受けた。
放射線科医師の評価では「やや淡く・・」、呼吸器内科科長・呼吸器外科科長の評価は「経過観察・・」とのことであった。
私としての結論は「やや一歩白に近づいている様だが、結論はまだ持ち越し、というところである。正直なところ、先日の単純レ線での結果から、もう少し大幅に白に向いているだろう、と推定して受けただけに、方向としては悪くない方向にあるとは言うものの、期待は若干裏切られた。うれしさ半分、些かガッカリというという感じである。
しかし、3月19日の初回のCT時には、悪性疾患である可能性はかなり高い、と判断し、密かに身辺の整理をし始めたが、その時点のことを考えれば贅沢な、喜ぶべき状態といえよう。安堵7割、というところかな?
原因はなんだろうか?体調は全く悪くない。何らかの炎症の病巣と考えたいが、それにしては病巣に変化が乏しすぎるような印象も受けるし、炎症性呼吸器疾患に伴う全身的な症状、局所的症状は一切無い。
2週間、4週間の間隔で3回CTを受けたが、変化が乏しい病巣であることがわかったので、次回は8週以上の間隔を開けてからにしよう。懸案事項の持ち越しであるが、3月中旬に異常陰影を指摘されてからの日々はそれまでより一層充実しているような満足感を伴っている。
いい意味の副反応であるが、おかげでこの緊張感を今後も持ち続ける事が出来そうである。
(7)とうとう来たか、が感想だった 2008/6/10(火)
前回のレントゲンから一ヶ月経った。明日、経過観察のレ線を撮影してみる。
3月から5月までの経過の範囲では白黒は決められずグレイゾーンのままであったが若干白の方向に動いたかな?と言うところである。黒への方向でない変化は私にとってはとても良い知らせなのだが、まだ余裕をもって安心といえる領域ではない。
ここ一ヶ月体調は決して悪くはないがベストでもなかった。若干の咳もある。だから明日のレ線の結果が待たれるところである。どちらにせよ明日になれば分かることだ。
3月下旬に肺の陰影が悪性の可能性大と判断されたときの心境を思い出す。
それほど大きなショックはなかった。私は元来、諦めがどちらかと言えば早いほうである。尤も、比較出来るほど人と比べたことはないから、他の方々のことは分からない。 60歳を迎えるまでつつがなく生きて来れたことだけでも法外の幸運であった。こんなに順調で良いのか、と常に虞の気持ちを抱いてきた。
現実的にこれから以降は今まで以上に何かが生じる可能性が大きくなる時期である、近々何かが起こるかもしれない、と漠然と思っていた。 だから、そのとき感じたのは「えっ、もう来たの!!! ちょっと早いじゃないか・・」という感覚であった。いつかは来る自分の最後のコースを斜に構えつつ少しずつ心の準備をしていたが、ついに真正面から向き合わねばならないその時期が来たか、という感じである。
しかし、幸いなことにその後まだ真正面に向かうような状況に対峙することに「待った」がかかっている。一度は覚悟しただけに今の心境は最高である。一方、その後も全く余裕のない時間を何一つ変わりなく過ごしている自分に、果たしてこのままで良いのか?と言う自省の気持ちも生じている。与えられた幸運をこんな状態で消費していて良いのだろうか?というジレンマである。しかし、そう簡単には変えられそうもない。
黒への変化の可能性は少ないのだろうが、明日のレ線が私の生き方を再度ガイドしてくれるだろう。
(8)白と決める 身軽になった 2008/6/12(木)
昨日の胸部レントゲンは異常陰影が一層縮小し、薄く、線状になっていた。
3月末から今までの経過観察の範囲では、検査の度に少しずつ陰影の改善が認められたのだから、今回は白と断定して良い、と思う。
ならば何なのだ?と言うことになる。今回主治医は一般検査の他、肺癌の腫瘍マーカー、吸入系のアレルゲン等の検査を提出してくれていた。まだ全て出たわけではないが、異常はなさそうだ。結局本態は分からないままになりそうである。
この3ヶ月間、肺の異常陰影は有形無形に私の生き方をいろいろガイドしてくれた。
視野も広がった様に感じる。いろいろな事象に一層興味を感じながら見る、考える、聴くことが出来るようになった。私の周りにも興味深いものがたくさん転がっている。もっと時間を大切にしなければならない、と言う自覚も出来た。
形に見える部分としては、物品に対する考え方が大幅に変わった。この間、大切に扱い整理して所持していた品々の一部、自宅と院長室の文献、資料、医学雑誌等は1/3程度が廃棄され、書棚等に空間が出来た。自分が管理していた私的な文書や書類なども整理し、一カ所に集め、必要なときに取り出しやすいようにしておいた。ここまで整理・処分すると身軽になって実に気分が良い。
状況は昨日の検査で変わった。しかし、陰影が教えてくれた方向性は今後も続けていこうと思う。
まだまだ処分しなければならないものは沢山ある。昭和27年の火災で焼失を免れた茶器、数10人分の来客用の膳や食器などの品々は私が受け継いで来ている。30年前に母が残していった衣類など、殆ど手つかずにしていたが、これらはその思い出を持っている私の手で処分しなければならないと思っている。
私が捨てることの出来る、捨てるべき有形無形のモノは身の回りにまだまだ多い。それを探し実行するのも楽しい。
陰影が私に教えてくれた教訓を一言でまとめれば「今までの価値観、こだわりを捨てて生きよ」、と言うことかな、と思う。