アキレス腱断裂を経験したという話はよく聞く。スポーツマンか、逆にあるいは滅多に運動をやらない方々がたまたま何か、例えば子供の運動会の父兄のレースとか、で受傷することが多いようである。私にとってはどちらも合致しない。腱を自力で切るほど筋力があるわけで無し、アキレス腱断裂などは私にとって全くの無縁だと思っていたが、何故か、ついにやってしまった。しかも、もう何年も続けてきた、それほどレベルの高くないテニスで、である。
家内の影響で始めたテニス
私はテニスは殆どやったことはなかったが、家内は大学時代テニス部に所属していた。彼女はさすがに子育ての間は殆どラケットを握っていなかったが、それも一段落した昭和52年ころ、秋田大学病理学教室で勉強する機会を得た。昼休みとかに同じ研究室員と球を打ち始めたのを機会にまた興が乗ったらしい。当時私も大学の内科教室で学んでいたが、何かの機会に交ぜていただき、それを機会に暫くは家内から指導を受けた。系統的な運動は何もしてこなかったが、私もテニスの魅力に取り憑かれた。大学在籍中は内科教室の仲間と朝テニスを楽しみ、これは中通病院赴任後もしばらく続いていたがメンバーが県内各地の医療機関に赴任して消滅、一時は中通病院テニスクラブに所属したが、ここ10年ほどは旧知の間柄である福島内科医院の福島夫妻と日曜の昼にいわゆるファミリーテニスを楽しんできた。
福島夫妻はランニングやクラブに通うなどして徐々に実力を付けてきており、ここ1-2年は、私どもペアが時に負けるようにもなってきていた。
2003年10月19日午後4時半、前触れもなく切れた
昨年の10月19日はすがすがしく晴れ上がり、絶好のテニス日和であった。午後1時、いつもの如く私どもは15分ほど遅れて着いたが福島夫妻は既に練習をしていたが、スライスでの返球を練習していた。また何か作戦を考えてきたのかと、それほど気にもとめていなかったが、その日はわれわれ夫婦は共にミスが多くて劣勢に立たされ、セットカウント1-2、ペアの家内との雰囲気も厳しくなりつつあった。
17時の終了時間も間近に迫っており、せめてタイで終わらせたい、と必死にボールを追いかけていた。
その時、スライスによる返球が私のやや手前へ落とされ、ダッシュ・・・、その瞬間
「ブツッ」と言う音が聞こえ、右足に突然力が入らなくなり倒れそうになった。不自然に転ぶよりは、と自分の方から右側の方にそのまま倒れてしまった。
この瞬間、「アキレス腱を切った」と悟ったが、最初に自分の頭の中に過ぎったのは受傷のことよりも真先に、病院内外の業務のことであった。手術、入院となれば連日の午前外来、病棟での40人ほどの受け持ち患者はどうなる??いま代われるような余裕は医局には無いし、日本医師会関連の東京出張、仙台出張、講演も数件の予定されているし、と言うことであった。そういえば今日は午後6時から私の下手なヴァイオリンにピアノを弾いてくれる方も来る予定になっていた! 何となる?
痛みは殆どない。若干の違和感があるだけである。横になったまま右足を動かしてみた。何と、通常のように動かせる!! 次いで両膝をついた状態に迄起きあがり、立ってみた。ちょっとバランスを取るのが難しかったが、立てるし、ソロソロとならどうにか歩ける。痛くもない!!
??本当にアキレス腱が切れたのか??と思い直したが、ともあれ、今シーズンのテニスは後一ヶ月を残したまま、残念ながらこれを機に終了とした。幸い、右手指の一部に擦過傷が出来た程度で、他には問題がなかった。
家内の運転で市内に戻りつつ、病院の救急外来に連絡したところ午後5時からは整形外科医も担当だという。カルテを出して貰うよう依頼し、病院に向かった。その間、右足をさすってみたりつねってみたり、動かしてみたり、アキレス腱部分をつねってみたり、押してみたり、それほど痛くもなく。アキレス腱断裂ってこんなものなのか??もしかしたら、いわゆる肉離れなどでないのか、ペアの家内も「ブツン」と音が聞こえたと言うし、やはり断裂なんだろうな・・・と落胆と一抹の希望とが錯綜する中、病院に到着した。
整形外科の女医さん、爽やかな笑顔で一言「完全離断ですね!」
病院裏口から救急外来までは50m以上あるが、ソロソロと歩いて行けた。「本当にアキレスかな??」最期まで期待と不安。待つこと10数分、ちょっと小太りの整形外科の女医さん、一見しての判断「完全離断ですね」「手術をお勧めします」「手術室のやりくりが出来れば明日手術しましょう」と爽やかに、にこやかに次々と宣告してくる。私の心配には、「入院するまでもないでしょう、外来手術でも可能です。普通の人なら休むでしょうけど、先生なら手術とかするわけでないでしょうから、松葉杖、車椅子で仕事が出来ますよ」、となかなか良いことを言ってくださる。
業務のことを第一に考え、回復までの期間が少しでも短縮出来るなら、周囲に迷惑かけないで済むなら、とその一言で小躍りして明日手術を受けることにした。足関節を伸展位にし、添え木をつけ、包帯で固定していただいた。
この間僅か20分、右足には荷重をかけないようにとのことで松葉杖を借り、3点歩行でよろよろと車に戻り帰宅。初めての松葉杖歩行は実に不自由で、アキレス面が切れた状態で自力で歩くよりもずっと難しい。
家に着く頃は心の整理も覚悟も出来た。痛みもなかったから心配しながら待っていた息子とヤマハ講師のピアニストをまじえて2時間程度下手なアンサンブルを楽しんだ。これでまず懸案の一つをクリア出来た。
翌朝は通常通り、回診、外来
若干固定された装具が邪魔で眠りが浅かったが、痛みは殆どない。5;00タクシーで出勤。来院してみると机上にメモがあり、本日午後手術と決まっていた。もうここまで来ると「まな板の鯉」に成りきる方が絶対に楽である。
6;30病棟回診。回診するより私の方が見られているという感じ。元気な患者さんは興味深々。内容的にはいつもの如く淡々と処理。9;00から通常に外来。10:00担当医のM医師より電話、採血や装具の説明を受け採血する。13;30外来終了時に装具業者が来て罹患足の型どり。術後一週間後からはギプスではなく着脱可能なプラスチック製の装具を付けるらしい。どんなものか解らないけど、痒い時は外して掻けるんではなかろうか。型どりは15分ほどで終了。75000円ほどの請求書を残して去っていった。保健が利くのだそうだが一時的には全額負担だという。
アキレス腱縫合手術
14;00頃整形外科外来で担当医の問診、「通常はご家族の同意も必要なんですが、来ておられない様ですし・・・、局所麻酔なので良いとしましょうか・・」。そういえば家内は手術について何も言っていなかった・・・。
そのまま手術場に移動。看護師さんが車いすで送ってくれたが、慣れない松葉杖よりは実に快適。術衣に換え、手術台にうつぶせになる。モニター類装着、チームの看護師さんが下肢の消毒を疼痛を与えないように丁寧に、丹念にしてくれる。若い女性にこんなに身体をさわられたのは初めて。何となくいい気分。次いで静脈確保、仙骨ブロック、局所麻酔・・・・と続く。仙骨ブロックも初体験だが間もなく腰から下肢にかけて暖かくなった。一つ一つの操作の時に声をかけてくれるので全く見えないが、今どの程度の進行かが予想がついて安心感に繋がる。局麻で手術するときはチームの皆さん,気遣いが大変ですね、と思った次第である。
術中の疼痛は全くなし、何となく違和感あるのみ。いつもの寝不足のためか途中眠くなってトロトロと微睡んでしまった。看護師さんから大丈夫ですかと声をかけられたほどである。「手術受けながら寝込むヒトなんていませんよ、意識がなくなったのかと思いました・・」と笑われた。M医師が最後にデジカメの画像を見せてくれた。アキレス腱はしっかりと結ばれている。
術後は通常通り会議その他、疼痛がおそってきた
16:00再び看護師さんに送られて車椅子で自室に戻る。気分は悪くなく疼痛もない。そのまま長副会議、マッチング会議へ。
でもやはりそう甘くはなかった。会議終了時前後から中等度のジクジクとした疼痛が襲ってきた。もう机に向かっても集中力なし、昨夜契約した迎えの車を要請して帰宅。夕食に向かったが疼痛のために食欲も湧かずあっさりしたもののみ摂って20:00頃やや早いがベットに横になる。
処方された抗生物質、鎮痛剤を服用した。NSAIDSに分類される鎮痛剤の服用は私にとっては初体験。だが,あんまり効果が無いナー・・と思いつつ微睡む。あっちを向いたり、こっちを向いたり。ネコがいつものやさしい表情しているのが救い。痛みを我慢しながらトロトロしていたが,いつぞや眠りに入っていった。
(続く)