鳩を飼う。
小学4年春、普段付き合いが乏しかった母方のある親戚の家を訪れた。その家では数10羽の鳩を飼っており、私は初めて伝書鳩を身近で見た。羽色だけでも白、栗色、灰色、モザイクなど、色々な種類がいることも驚きであったが、活発で、優雅な身のこなし、飼い主を恐れるどころか、むしろ親しみの表情で近寄ってくる鳩達に私はいたく感心し、心を動かされた。
親を説得し、その親戚より2羽の幼鳩をもらって飼い始めた。鳩小屋はとりあえず半畳ほどの小さいのを父と一緒に作った。数ケ月後には2羽共立派に成長し、数10キロ程度の距離なら確実に帰ってくるようになった。
鳩を熱心に飼っている人は他人から鳩バカと呼ばれる。鳩に熱中するのは元々孤独で暗い性格の人が多いように感じているが、鳩の魅力にのめり込み、
時間を忘れて世話に没頭するようになり、ますますネクラになるからである。
私も例に漏れず鳩バカと呼ばれ鳩のことばかり考えて暮らしていた時期がある。
新書版のガイド”鳩の飼い方”は隅から隅まで何度も読みボロボロになったが、
今までこの本ほど利用尽くしたと言える本はない。また、良い鳩がいるらしいと聞けば
仲間と一緒に自転車で数時間かけてまでも見に行ったし、鳩を媒介に方々に知人も出来た時期である。
4ケのたまご
普通鳩は2ケの産卵する。発情期を迎えたが私の鳩だけがなかなか卵を産まない。やっと産まれたが卵は何故か4ケであった。不思議には思ったが初めてのことなので私も期待したし、21日間鳩達は熱心に抱卵したが、遂に孵化することはなかった。要するに、2羽は雌同志だったのである。閉鎖された環境のなかでは雌同志でも、恰も雌雄のごとくに生殖行動を行ない、勿論無精卵ではあるが各々が2ケづつ産卵することも知った。鳩の雌雄の鑑別は通常骨盤の形を触って行なう。幼鳩の場合には特徴が乏しいために、手慣れた人でも誤ることも少なくない。
直ちに2羽の雄鳩を購入し4羽になった。
翌年には3畳間ほどの、自分も中に入って世話できる程度の鳩舎を自作し、休みの度にああでもない、こうでもないと改良したり増築したりした。私は木工や大工仕事が好きでかなりのものまで自作できると自負しているが、この頃からの経験が大きい。
野良猫に襲われて全滅。猫を惨殺。
ある夜夢うつつのなか、何となく鳩舎が騒がしい気がした。翌朝、様子がいつもと違うので急いで行ってみると、金網の一部が破られ何物かに4羽共殺され床に転がっていた。一羽は若干食べられていたが、ほかの3羽は背や頚に傷があるだけであった。野良猫によると予想されたが、生きるために、あるいは空腹を癒すために殺すのならともかく、無用な殺戮までしたことに強い怒りを感じ茫然自失、鳩が不憫で涙が留まらなかった。
そのうちにむらむらと復讐心と殺意が沸いてきた。あえて鳩の死体をそのままにし、再度猫が進入した際には逃げられないよう鳩舎に細工をし再侵入をまった。案の定、翌朝一匹の大きい、猫が鳩舎に入っていた。我家の飼い猫の1、5倍はあり、いかにも凶暴そうな猫で多少気後れしたが、意を決しヤスでつき鳩舎の壁に固定し、数時間たって弱ったところを取り押さえ、炭俵で素巻にし、重石を付けて川に流した。その間のことを詳しく書くには忍びないが、始めは激しく抵抗したものの途中からは死を覚悟したためかそれほどは抵抗せずに私を始終恨みがましく見続けていた猫の視線は今でも到底忘れられない。、この猫の惨殺は私の心の傷になっているが、このエピソードを通じて自分が激し易く、しつこい性格で、かつ残虐な一面を持っているかを理解した。今に至るまでいろいろな事象のなかで、何とか短気を起こさずに自制し得て来たが、この時の反省が今まで役に立ってきたから、と思っている。今は、この猫や犠牲になった鳩達に感謝の気持ちを抱いている。
野良猫程度には進入されないよう鳩舎を改良し再度鳩を飼ったが、徐々に増え10数羽となり、私の小遣いのほぼすべてが鳩と餌の購入費用に消えた。
中学は事情があって盛岡の私立に進んだ。そこは高校までエスカレーター式に進学できる学校であったが、結局校風が嫌で中退した。地元の中学に移った1年間を除き高校卒業までの5年間は鳩の餌代を捻出する方策の一つとしてバスの定期券代金をうかす必要があったため、冬期間を除き往復30Km
ほどを自転車で通学した。雨はともかく、向かい風の強い日はじつに辛かったが、この通学はひ弱だった私の身体を丈夫にし、忍耐力を養うのに大いに役立った。叉、時折の鳩の訓練のためにも丁度良かった。当時北上川には盛岡までの間には橋がなかったため、渡し船にて対岸にわたり国道4号線を北上したが、7;00に家を出ても学校に着くのは8;30ころであった。夏の渇水期には船が対岸までいけず途中から仮設した丸太の一本橋を自転車を担いでわたる必要があったが、足を踏み外してずぶぬれで状態で登校したこともある。昨年2週間ほど診療応援に行った川久保病院はこの通学路の途中にある。
純系鳩との出会い
中学に入って間もなく、何かの機会にベルギーアントワープ系の比較的良い雌鳩が手に入った。これに見合う相手として人伝てに南部系の雄鳩を手に入れたが、これが本文の主題の鳩である。4才ほどで既に若くはない鳩であったが、岩沼ー盛岡間200Kmレースでは良い成績を何度かあげた鳩である。体格は立派で、嘴の上の肉球は厚く、大きく、顔つきは理知的で表情は優しく、私にもすぐに馴れた。時に寂しげな表情で球舎の隅から遠くを眺めている姿が印象的でもあった。一番感心したのはいつも毅然とした姿勢、態度であったことで、他の鳩がときに弛緩した、だらしない姿勢をとっているときでさえ一羽毅然と構えていた。私は完全にこの鳩の虜になった。
発情期にアントワープ系雌と交配を試みたが、雌がその気になっているのに何故かなかなかうまくまとまらなかった。が、そのうちに仲の良い番になり、子供も2度程育て挙げた。
一目散に去った鳩
いかにレース鳩で帰巣本能が優れていると言えども購入してから8ケ月もたち、配偶者もでき、子供も育てると通常は新しい鳩舎に居着くはずである。ある朝一抹の不安はあったが、ほかの鳩の運動の際におそるおそる放してみた。鳩は私の期待に100%反して、全く迷った様子もなく、上空を一度も旋回せずに、一目散に飛び去ってしまった。私は大きなショックを受けた。恐らく私のところに来て以来じっとこの放たれる瞬間を待っていたのであろう。購入の時に仲介してくれた人はすでに引っ越してしまい、前の飼い主の連絡先は解からず諦めるしかなかった。毎日毎日帰って来ていないか、奇跡は起こらないか、と期待しつつ暇さえあれば口をあんぐりと開けてアホのごとく空ばかり見て過ごした時期である。
やがて時間が私の傷を癒してくれた。
奇跡は起こった、2ケ月後に
ある夕方、窓の外に鳩の影が見えた。我家の鳩はすべて鳩舎のにいるはずであり、不思議に思い外にでてみた。驚いたことに2ケ月前失踪した例の鳩が鳩舎の屋根におり、入り口をあけてやったところすぐに鳩舎に入った。見ると嘴の上にある白い肉球が茶色に汚れていた。鳩は子育ての際半消化物を吐き出して子鳩に餌を与えるので肉球はこの期間は必ず汚れる。産卵、抱卵、子育てに最小限2ケ月はかかるから、おそらくは元の鳩舎にも配偶者がいて帰りを待っていたとしか考えられない。その配偶者との間で子育てしてきたのであろう。それならば何故帰ってきたのか、じつに不思議なことである。この間に配偶者との間で子供を育てながらどのような会話が交わされたのか、興味がもたれるところである。新しい鳩舎にも配偶者が出来たことに前の配偶者が理解を示し、断腸の思いで帰してくれたのではないか、と私は勝手に理解した。
鳩の帰巣行動は地磁気の変化を利用するものとされているが、その学習、判断は旋回しながら行なうとされている。一度も我家の上空を旋回することなく去っていった鳩が、2ケ月もたってから帰ってこれたことも驚きであり、さすがにレース鳩の能力はたいしたものと感心した。これ以降、もう放しても飛び去るようなこともなく、完全に我家の集団の中に溶け込み、やがてリーダー的存在になった。
私のもとで育ったこの鳩の子供たちは幸いにも相応な値がついて各所に引き取られていったので私も助かった。
興味深い鳩の行動などについて2、3。
鳩と言えども一羽毎に性格や行動洋式が異なりとても面白い。この南部系の鳩はじつに物見高い性質をもち、私が鳩舎の修理や掃除などをやっているときには小首をかしげながら興味深そうな表情をして
見に来るのがつねであった。動物を飼うときには不要に驚かさないことが重要であるが、鳩の場合は特に肝要とされる。だから近くに来られると驚かさないためにはスローモーションで動くしかなく、作業にならずに困ったが、鳩との重要なコミュニケーションの場なのでやむをえなかった。窓を開け放している季節には部屋の中にまで様子を見にくることもあった。同年代の友人達と縁側に座っていても飼い主をしっかり識別して寄ってくるなど、かなりの知能程度を有していたと思われ、何となく気持ちの触れ合いを感じたものである。
集団で高く飛んでいるときに、餌を与えるときに着用する白い上着を着、いつもの笛を強く吹き鳴らすと、この一羽だけ上空から私の肩ぐちにまで殆ど羽をたたんだ状態で一直線に、弾丸のように舞い降りてきた。これは鳩を見に来た人たちに見せるのに格好の特技で、とても喜ばれた。 この時と同じ飛びかたは上空で隼に襲われたときに見ることができた。隼に不慣れな鳩はさらに空高く逃げようとするが、この場合には後ろから隼に捕まってしまうことが多い。私の鳩も数羽隼の犠牲になったが、手塩にかけて育てた若い鳩が隼に襲われるのを地上からなす術もなく見ているのはじつに辛いものであった。何度か隼に襲われたことのある鳩は一気に地上近くまで急降下し屋根の隙間などに身を隠しうまく逃れるようになるが、この鳩の隼から逃れる技術は実に見事であった。
鳩は平和のシンボル
鳩は平和のシンボル、夫婦愛のシンボルと言われている。だから長崎、広島の原爆記念公園を始めとする施設などでは鳩が沢山いる風景はじつにいい。管理者にとっては頭が痛い問題かもしれないが、私は好きだ。
後者について言えば、必ずしも正しいとは言えないようである。実際に飼ってみると、鳩も結構遊び好き、かつ、浮気者であることが解かる。番の鳩はいつも寄り添って一緒にいることが多いが、産卵や子育ての時期は互いに手分けし、日中に雄が主に抱卵し、雌は夜間帯に抱卵する。この期間には自由行動している一方が、即ち、雌の場合は他の雄鳩からチョッカイをだされやすく、雄は他の雌によく言い寄っていく。抱卵や子育て中でも妙な雰囲気を感じるためか、番の片方が時々巣から出てきては配偶者や相手を威嚇するのでおおごとになることは少ないが、相手が独り者の場合には思い?が成就することもある。しかし、不思議なことにこのような関係では産卵に至ることは全くない。
鳩は原則として番は一方が欠けたりしなければ生涯を通じて仲がよく、離れることはない、、、はずであるが、これにも極くたまに例外があって、派手に夫婦喧嘩をするペアや離婚や再婚する鳩も見られる。後者の場合、雄鳩同志、雌鳩同志の闘争はかなり激しいものがあり、頭や首が裸になるほど毛を毟り取られることもあるが、いつの間にかそれなりに落ち着くようである。我家の鳩のなかにも配偶者を途中で替えた雄鳩が一羽いた。
鳩との別れ
高校3年の秋、流石に時間がなくなり十分な世話が出来なくなった。実に惜しかったが鳩を飼うのをやめる決心し、すべての鳩を知人や近所の子供達にあげてしまった。実際には毎日のように帰ってくる鳩がいて完全にはやめれなかった。先方の鳩舎になかなか慣れない理由の一つとして私の鳩舎が残っているためと考えられたので冬休みを機に鳩舎を壊してしまった。その後も毎日のように家の屋根に鳩が来て夕方まで過ごしていたが、それも徐々に少なくなり、私もやっと開放された。
私のお気に入りの南部系の雄鳩は、翌年猫に襲われて死んだという。10才近くの老鳩になっていたが若いときの雰囲気はずっと保って居た。何とか天寿をまとうさせたいと思っていただけにとても残念であった。
おわりに
種々の小鳥や鶏も飼ったことがあるが、放しても帰ってくることや、飼い主に馴れること、頭が良く何となく心が通じるように感じられることなどから、私の場合は鳩が一番気に入っている。結構手間がかかるためもう二度と飼うことはないだろうと思う。
鳩の多くいる公園などでは数多いドバトの中に時折筋のよさそうな伝書鳩が混じっている。それらはやっぱりドバトとは異なった優雅さを備えていて見てても楽しい。学会出張などでは日常からの開放感もあり、時間を忘れて鳩を眺めながら、10年近く鳩と過ごした懐かい日々を思い出す。
鳩との生活を通じてとてもいい経験をした。