賛美と苦言と
その壱 仕事編
1.はじめに
医局報創刊号に何人かの方が大曲中通病院と自身との関わりなどを回想している。いずれも興味深く読ませて頂いた。私が明和会の一員になってから4年目になったが、この間、大曲中通病院の診療応援に冬季に3回赴任し、週一回の外来診療応援も既に3年になる。したがって、明和会の医師集団の中で大曲中通病院の医療に比較的濃厚に関わっている一人と言ってよいだろう。
明和会の一員である限り、何らかの形で大曲中通病院との関係は続くだろう。納得の行く範囲で協力は惜しまない積もりであるが、それだけに現場のスタッフ、明和会、県連、医師委員会に望むこと、注文したいことがある。大曲の医局の当直日誌には業務上の記録の他、当直医が日々抱いている感想などを好き勝手に記述している。私も気儘なことを書かせて頂いている。先の赴任の際、3年分通読してみたところ改善して欲しい諸点についての記述、不満が徐々に多くなっていた。医局報第2号として適切さを欠く(?)、とも考えたが医局日誌に記載した内容を中心に雑感を述べることとした。
2.研修医の評価がとても高かった大曲中通病院
私が長く学ぶ機会を得た秋大第3内科は、従来から研修医を介して中通病院と密接な関係にある。中通病院で研修を終了し教室に戻って来た若手医師達は総じて大曲中通病院に対し好意的であった。その背景は優れた先輩医師に対する敬意の念があるように見受けられた。中通病院で研修したグループを中心に、半ば私的に大曲中通病院の内科外来の診療応援も行われた。労働条件、報酬の点では明らかに他院より不利であったが、背景に良い動機づけがあったためか初期は円滑に運営されていた。研修医をこれほど引き付けているのは何なのか、と興味は持ったが、当時、この地域への私らの関心は、専ら大森町立病院や仙北組合総合病院の診療応援であった。この私的な診療応援はやがて火が消えるように縮小し、燃え尽きた.応援医に対するこまやかな配慮が乏しかったためと考える.
3.明和合への就職、カルチャーショック、エッ大曲へも赴任??
85年6月、縁あって明和会に就職した。理由は、怠惰な自分にはむしろ多忙な病院の方が向いているだろうと考えたこと、何となく自分の医療観に近い医療をやっている様に聞こえていた、からである。民医連については全く知識はなく、後日、大曲中通病院に赴任せざるを得なくなるであろうことなどは誰も教えてくれなかった。決定的に情報不足の状態で中通病院内科医師として赴任した。全く知らされなかったという医師がその後もいたが、明和会では採用前に労働内容の全貌を示さない傾向があるらしい。
中通病院医師団から受けた最初の印象は、結束があるようでもあるが、何か排他的で、やや陰欝なムードが漂う、ほかの病院とはいささか異なる集団だということであった。(注:最近になってかなり印象が違って来ているが当時は本気でそう感じた。私の方にも問題はあったとは思うが、悪しからず)。
更に、結論が出るわけでもない目的不明の会議がやたら多い、ほとんど読まれていないような印刷物が多数飛び交う、医局会の話題にもついていけない、などなどカルチャージョックを受けた。
"石の上にも3年"と言われる様に、自ら求めて採用された以上、最低3年は頑張るのが礼儀であろう。早く慣れるためには病院の沿革などを知り、自分の立場を知るのが手っ取り早い。そのため中通病院の30年の歩み、県連の各種の資料、民医連資料などを手当り次第読んでみた。その結果、全国民医連、秋田県連、明和会、中通病院の関係や医療活動などがおぽろげながら解り始めた。
蛇足ながら、県連の資料には医療展望、院所間医師配置などの展望をまとめた興味深い文章が多数ある。しかし、現実との差が著しいうえ実現の方向を模索しているようにも感じ取れないので、作文することが主目的なのかと勘繰ったりした。
しかし、その後、不公平な配分のもと、毎年3ヶ月ほど単身赴任をせざるを得ない立場になっただけに、面白いなどと云ってられなかったのである。研修医、一部の内科系斜長、時おりの一般外科長による短期ローテートで診療体制が何とか維持されている厳しい状況のもとでは、私も近々赴任せざるを得ないだろうことは理解した。どうせ赴任するなら早い方が良かろうと、初年度は自分からローテートに組んでもらい85年12月から3ヶ月間単身赴任し、その時初めて病院を見た。
なお、同様の考えで港北診療所や出張診にも早目にエントリーしてみた。今も検診などを含めると週のうち3ー4単位分は病院を離れるので中通病院での仕事が充実せず、病棟のスタッフや患者さんにも迷惑をかけている。
4.大曲中通病院で学んだこと
私にはこの規模の病院勤務の経験はないので、自分の臨床力で果たして通用するものかと気後れも若干あった。中通病院に赴任当初、担っている広範な医療活動にも感心したが、大曲中通病院の医療活動からは質的に異なった多くの面でインパクトを受け、学ぶことも多かった。
例を一つだけ挙げる。内科の総回診時に一時中座した科長の代理をして回診を続けたときのことである。患者を前に、主治医である研修医と病態や使用中の薬物についてのディスカッションは出来たものの、現実に目の前に横たわっている寝た切り状態の患者の「今後の治療方針」「ケアをどこまでどの様にすれば良いのか」「患者のゴールはどの辺に置くべきか」「自宅に帰した場合の往診とか訪問看護など」、という点では、研修医から質問をされても言葉が出ず絶句した。この様な状態の患者をそれほど診たことがなかったからである。この情ない体験を一つ吐露すれば充分であろう。
此の時、私が学んできたことは、恵まれた環境にある、あるいは疾患によって治療する側に都合よく振り分けられた一部の患者群と、充分整った医療環境のなかでしか通用しないような脆いものであること、プライマリーケアの分野では年後1-2年目の研修医よりも役立たない、と言う力不足を実感した。この貴重な体験は私にプライマリーケアを学ぶエネルギーを与えてくれた。お陰で今では少しは進歩したと思っている。患者をover-allに診ることは言葉の上でこそやさしいが実践は難しく、一朝一夕にして出来るわけでは無い。大曲中通病院の開設以来の一貫した医療姿勢の成果だろう、敬意を表したい。
内科部門は広い分野に渡って一定以上のレベルにあることにも驚いたが、強いて挙げれば画像診断や臨床検査成績に特徴が表われ難い疾患群に関しては若干ながら弱さを感じることもあった。その分野では私の経験がいささか役にたつ様であった。その意味と、内科医の労働の緩和のために、週1回外来の応援を続けているが、私にとってまだまだ学ぶものが大きい。
5.職員同志の雰囲気について
中通病院における職員同志の関係はまだよくわからないが、かなり微妙なバランスのもとに維持されている様に感じられる。だから互いに言うべきことも言わない、遠慮し合った関係が出来ているのではないかとも思える。身近な特長として廊下などでも挨拶を交す習慣が乏しい集団である。特に医師の間では著しい。この陰気さも明和会の特徴なのかと思ったが、大曲ではそうではないようで安堵した。電話一つでも中通病院はかなり無作法な対応が少なくないが、大曲では言葉づかいは良いとは言えないが表現は丁寧である。声だけで向こうに誰が出ているのかわかる様な小さな集団なので当然でもある。
この小集団の雰囲気は業務上で良い面として反映されている。医師同志、あるいはco-medical間で無用な気づかいなども殆となく、検査や処置も迅速に行われているのには驚嘆した。時間外などでは直接訪れてお願いすることは当然の礼儀だが、一緒に検査や処置をしていても雰囲気がとても良い。夕方遅くpre-shock状態で搬送され、私が受けもった中年女性の患者の場合、複数の医師が急患室で診てる間に何処から聞き付けてきたのか、生理検査、検体検査、レントゲン技師も顔を出し、1時間ほどの間に必要な検査が行われ、感染を伴った閉塞性黄疸、敗血症shockと判明したばかりか、体外ドレナージをも完了し、バイタルを安定させ得たことを一例として挙げておく。大規模病院の中で体験したことのない迅速な運びに驚くと共に、中規模病院の強みを実感させて頂いた。
また大曲赴任中には同時期に赴任している医師といろいろ話す機会も出来る。中通病院で3年ほど同じ医局で過ごしているある科長と今冬一緒になったが、初めて会話らしい会話を交した。これなどは大曲赴任によってもたらされた大きな副産物である。また、医局日誌からは普段触れることのない各医師の個性、考え方をうかがい知ることが出来てとても面白い。
6.病院の構造、利用法には問題点が多数
建物が医療活動の内容の割りに小さいことは明らかであるが、この点は直ぐには如何ともしかねるだろう。しかし、工夫次第で機能性が改善する余地はまだまだあると思われるが、この3年間では進展を感じることが出来ない。それ以上に問題なのは、物理的に狭すぎ、もう発展が望めないという意味の発言が時に聞かれることである。職員の和が良いこととは裏腹に、馴れ合い的で刺激が乏しい環境が、向上心を欠く原因にもなっている様に思える。
不必要に騒ぎ立てるくらいの、しかも実行力にとむ人材を送り込む必要があろう。また管理部も現場の声を積極的に取り上げる姿勢に欠けていないか考えて欲しいと思う。
玄関の構造は電対策のためと考えられるが、いかにも不細工で、裏口から出入りしている感覚である。これは中通病院も似たようなものなので必ずしも電対策でないのかも知れない。床の材質は鏡面仕様で全く雪国に適していない。吸湿マットなどで解決出来るものでなく、転倒の危険が高い。エレベーターの前で転倒した人を何人かみた。病院は不自由な患者も訪れることを考えれば、清掃には不利かも知れないが多少濡れても滑らない材質に替えるべきであろう。有史以前から豪雪地帯であるはずなのに、大曲の街並や住宅の構造にも大雪を意識したような特徴がうかがわれないのは実に不思議である。
病院の内外装の配色も陰気である。特に明るくあるべきはずのトイレや階段の配色はひどい。色調を選択した芸術家(?)の意図は何処にあったのだろうか、と疑問でならない。 外壁は既に薄ぎたなく汚れている。外来処置室は実に乱雑であった。休日や夜間はここで時間外の来院患者を診察するが、まるで物置きでの診察であった。程度の差はあれ中通病院急患室も同様であり、出張診では物置き以下のところでの診察もある。(追;その後若干手を加えたので、処置室は現在かなり奇麗になつた)。風呂は一度利用したが不潔な感じで二度と近づく気もしない。住宅の風呂は沸きあがるのに2時間もかかり、風呂を沸かすためには、冷えて殺伐とした部屋で無為な時間を過ごさねばならず苦痛であった。風呂に関する感想は独身寮の薬剤師、放射線技師の方々と完全に意見が一致した。解剖室はあまりの乱雑さのためコメントしたくない。病棟のナースセンターは医師が仕事を落ち着いて出来る場所ではなかった。スペース不足に主因があること明らかではあるが、机、棚その他の備品も二昔前のものと思えるほどひどい。内部の発想欠除のためか、あるいは引き締めによる物資不足なのか判らないが、どちらにせよ今の大曲中通病院の置かれている立場を象徴しているように思える。ナースセンターは医師にとっても患者についてじっくり考える重要な場所でもある。早急に改善を望みたい。カーテ"ックスなどのオーダーシステムが2つの病棟で大きく異なっていたのは珍奇であり実にストレスであった。
医局および周辺も一考を要する。壁は中空構造なので医局にもろに隣の談話室の雑音が飛びこむ。医局は狭いうえに利用者の整頓も良いとはいえず、乱雑で落ち着かない。例え個人的に与えられたスペースであっても共通のスペースである、常識程度には片付けるべきであろう。図書室は一時整頓されてたが、再び物置きに変貌しつつあり残念である。当直室は医局から離して静かな場所にあるべきであろう。隣の談話室の照明のほか、話声、TVそのほかの音の影響をまともに受ける。夜遅く病院に呼ばれたり、居残って仕事をしている方々の苦労を考えると、例え酒を飲みながら話しあっている声で当直医が寝つけないでいてもなかなか注意できるものでない。医局と当直室は使用目的が全く異なる部屋である。各人の意識がどうであれ、一定の環境が保持されるような構造が必要である。
突飛な例で恐縮だが、歩行者と車が同じ道路を利用する限り、双方にいかにマナー遵守を強調しても対人事故は防ぎえないのと似ている。
7.禁煙運動、ついでに嫌音権について
大曲中通病院を論じる場合、禁煙運動を避けては通れない。私は個人的には煙害をそれほど苦痛に思ってはいないが、医師の立場では疾病の予防と治療の立場から、患者の喫煙には厳しく対処している。しかし、所構わず、断わりもなく喫煙し、後片ずけもしない、あるいはする気のない、一部の喫煙者の不遜な態度には嫌悪感を抱く。
大曲中通病院に入ると禁煙の成果を如実に感じることが出来る。長い職場討議を経ての成果とのことだと言うが、運動を維持している現場の方々には敬意を表したい。
ちなみに、私は無用な音に対しては煙害に比較出来ないほど敏感で、音源は破壊したくなるし、人の場合には殺意すら覚える。医局の下を通る車、換気扇、冷暖房のファン、TVなど煩くて耐え難いのが多数ある。たとえ短期間の赴任であっても静かな環境が欲しい。
8.今後の大曲に望むこと
初回の赴任のとき、角館仙北地区の医師充足の情報を示し、大曲中通病院の規模を活かした独自の医療姿勢を打ち立て住民にアピールするべきと意見を述べた。最近、医療構想が出来つつあると聞くので内容が楽しみである。若干、意見を述べさせて頂く.
・運営会議には医師を出席させる様働きかけるべき。私が出席したとき、複数の医師が同席したことは4半分にも満たない。
・管理会議には一定期間以上赴任する医師も出席出来る様にすべきであろう。
・医療構想上、新築、移転は長期的には展望するとしても、当面は現状の施設、規模を最大限に活かして何を何処までやるのかを示して欲しい。
・小児科外来はいづれ開設できるだろう。ほかにも外来診療を実現しうる科もあるのではないか。より良い医療を提供しつつ地道に患者増をはかるために明和会の医師集団をもっと利用してはいかがか。
・私が関わってから現在で4人目となったが、事務長はもっと長期に、最小限5年は滞在して能力を発揮して欲しい。
・診療応援医については問題が山積みしていると思う。60人以上の医師集団でありながら大曲にローテーションする医師は数人に集中しているのは県連の力量不足である。
・住宅環境は劣悪で辛い。赴任医用住宅を新築してはどうだろうか.
・手当てが少ないために赴任者の家計は赤字になるが、実に不公平、不合理である。
・赴任医の要求を迎え入れる側で真剣に受け止めて欲しい。現場の判断が一番力になるはずである。
9.おわりに
大曲中通病院に短期赴任という形で関わるようになってから、学んだこと、注文したいことがそれぞれ少なくない。創刊号には弦楽器に関した拙文を掲載して頂いたので今回は遠慮するつもりでいたが、原稿が集まらないと言うのでまた筆をとった。
大曲中通病院の医療について論じる時、私はやや感情的になる。初回こそ希望して赴任したが、以降は、個人的不都合をおして赴任している。今年も、来年も・・と考えると決して対岸の火事のようにindifferentになりきれないからである。長く続いている大曲中通病院の医師体制の不備を解決するためには県連、明和会、現場ともに従来の発想にとらわれない対応が必要であろう。そうでなければまず進展は期待できないと思う。何故か?、過去の歴史が証明している、同じ事を繰り返しているだけでは何も解決しない、常に綱渡り状態になる、と答えたい。
現場で日夜奮闘しているスタッフの方々にとって不快な部分も少なくないと思うがご容赦頂きたい。
90.5.31