医療評価体験記
(受診数日前から最終日まで)



2005/3/11(金)

あと数日!!
 日本医療評価機構受審の是非を検討する準備委員会の時から今日までの約2年間、私は受審委員会委員長として関わってきたが、その受審がついに来週の17-19日(木-土)に迫っている。長い道のりであったが遂にここまで来てしまったという感じで、昨日あたりから焦りは消え、今は淡々とした気持でいる。

実際には、受審当日に私が主に対応する領域は2・4・8領域ととてつもなく広く、病院の広範な機能部分に及ぶだけに私自身の準備も未だ不十分である。時間が如何にあっても足りないほどであるが、その間に東京出張もあるし、いつもの如く厳しい状況であるが何故か今の気持ちは不思議なほど淡々としている。

 昨日の領域4・5に関して関係職員による読み合わせの会があった。出席者の発言の中に後ろ向きの発言は一切きかれず、病院をより良くしていこうという前向きの姿勢が強く読みとれたことは大きい。この医療評価機構の受審の意義が現場の各スタッフに理解され、当院にとって欠くことの出来ない過程の一つと認識されたためだと思う。
   委員長として私が取ってきた運営過程、マネージメントに対する叱責等の厳しい発言も飛び出す事も十分に有り得ることと半ば覚悟していただけに心底ホッとした。正直言って、いまそんな心境である。

 自分たちの出来ることはまず出来た、と言うのが実感。勿論、客観的にみればまだまだ準備不足、対策不足は明らかであろうが、そんな事なんてすべて相対的なものだし、完璧になんて出来ないことは始めから分かっていること。与えられた時間の中でやるべき事はやったという満足感がある。
 数ヶ月前までは思うように事が進行せず、自らも一日の業務終了間際、パソコンの電源を落とす直前に、空腹状態と闘いながらも気を奮い立たせ5-10分ほどでも、と資料を準備し、Q&Aを細切れ状態に作ってきた。何日間も手を一切つけられなかったことも希でなかったし、委員会としての進捗状態も決してはかばかしくない時期があった。
 その頃は、日が一日暮れる毎に、言いようのない無力感と焦りを感じていた。


2005/3/12(土)

職員の反応の変化
 思えば、受審を具体的に決めた昨年春頃は、受審の意義は委員会の委員達はそれなりに理解していたものの、病院全体としては「笛ふけど踊らず」どころか、受審そのものにアンチな意見の方がより多かったと言い得る。

 早朝、病棟回診に行くと疲れ果てた深夜勤務の看護師さん方からは「何でそんなもの受けるのか?」「何故こんなに人手が足りなくて多忙なこんな時期に受審なのか・・」との苦情が多数聞かれた。こんな時の表情はいつもより一層ふくれてムスッと険悪に見える。徹夜明けの看護師さんの気持はよく理解出来るし、私にとっては看護師さんは恐い存在であるから大事に大事に、ソフトに説明し、対応した。
 医局では暇そうに見える医師ほど「どうせ受けたってウチの病院はハード面で問題があるから認定なんて無理ですよ・・・」と実にクールな反応であった。そんなとき「先生方が取得した認定医資格と同じようなものですよ。この時代、当たり前の資格の一つなのです」と答えてきた。
 アンチであってもクールな意見であっても無いよりはずっと良い。「そんなこと私にとってどうでも良いこと」との無関心層が一番困る。だから、意見を言ってくれた人達には感謝している。

 しかし、恐らく、今は全職員のうち誰しももうその様な考えは持っていないだろうと思う。なぜならば、この受審準備過程での環境の改善、システム変更の影響は全員に及んでおり、自分がどんな考えを持っていようと、例え無関心であってもこの変化に対応していかなければ業務が出来ないからである。しかし、表現はしてくれなくとも、この受審の過程のなかで病院自体が確実に良い方向に変わりつつあることを全職員が実感してくれているだろう、と思うのは委員長としての身贔屓な考えであろうか。

 外注の清掃関係の方々からも、製薬会社の方々からすらも「何か、最近、とても病院が変わりましたね・・・」などとの言われることもある。こんな時は実に嬉しくなるが、これは受審に伴う大きな成果である。


2005/3/13(日)

本当に患者の立場の医療を展開してきたのか?
 私は日本医療評価機構のコンセプト全てを是とするものではないが、「患者の立場に立つ視点で医療がなされ、その視点で病院が運営されるべし・・・」は評価機構が求める主たる視点である。この点に対する徹底した姿勢に対しては感動すら覚えてしまう。

 古い話であるが、私がこの病院に就職した年の秋、5月に就職して数ヶ月が経過して私はなかなかなじめない環境で自己のアイデンティティを喪失しかかっていた時期でもあるが、この際、何でも見ておこうという気持で他に予定していた重要な会をキャンセルし「秋田県民医連学術集談会」に出席した。詳細は忘れたが「秋田県の今後の医療のために明和会の医療活動は如何にあるべきか」と言う名のようなパネルディスカッションが行われた。私は一番後ろの離れた席でポツンと聴いていたが、そこで展開された熱気ある発表、フロアからの活発な意見を交えての討論は私に大きなショックを与えた。

 この集団の異様な熱気は何なのだ??秋田県の医療を自分たちがリードして良い医療をうち立てようと言う、この気概は何なのだ??宗教団体なのか?とさえ思ったほどである。秋田に住んで13年、別の医療機関で過ごしてきた私にとって、中通病院は何か他とは違った視点で医療を行っているらしいと言う噂はあったが、よくストをやる病院だとの印象をもっている位で詳細は知らなかったし、私の周辺の医師仲間では中通病院自体も医療もそれほど高い評価ではなかった、からである。

 確かに働いてみて分かったことではあるが、当時の中通病院は、私が経験した2,3の大規模病院に比較して、より患者の立場に立つ医療をやっていたと思う。特に看護、福祉関連では感心させられることも多くあった。
 しかし、他から何の知識も先入観も無しにポット入ってきた私の立場から見ると、排他的で、自己満足陶酔型集団に感じられた、というのが正直な感想であった。これは批判ではなく、私の抱いた正直な感想である。
 時代や医療環境も職員の考え方も変わって、いつぞや私自身も環境に埋没してしまったから、私も同じ穴の狢である。
 
 2年ほど前、医療評価機構についての検討を開始した。初めて資料を手にしたとき、私が思いだしたのはかつての熱気を感じたあの場面である。病院は、われわれは、何か重要なことを忘れて多忙さの中に埋没してしまっているのではないか?
 
 それに気づかされ、受審を真剣に考えるべきと決心した時でもある。
 


2005/3/14(月)
 
受審の過程で掴んだ確信は大きい
 当院が50年かけてやってきた医療、最近こそ相対的に目立たなくなったが、われわれにはこれほど誇れる力、歴史があるのだから、受審を機会に、これらを整理し直し、再度軌道に乗せることができれば、例えハード面で大きな問題を抱えてはいても、当院は必ず認定されるだろう、との都合よく解釈し、都合良く確信して、私は一発認定を夢みて委員会を運営してきた。

 受審委員会では各委員が分担して一年間かけて着々と準備を進めてきた。受審に関する病院集会も開催した。しかし、受審準備のための専従者もいない状況で、関係者全てが多忙な日常業務のなかでの作業であったから、進捗状態は計画よりも大幅に遅れていた。秋口には準備状況の遅れを憂慮する、心配とも非難ともとれるような有り難い声が方々から上がり、その結果、専従の事務職員が一人付き、その頃から加速度的に準備状態が進展した。

 この進み具合の変化は私から見ても驚くばかりであった。特に年が明けてからはの進捗は、目を見張ったものである。各方面のマニュアル類も次々とでき、受審準備室にあふれんばかり揃ってきた。院内の掲示も変わってきた。業務内容も変わってきた。ハード面も可能な範囲で改善した。懸案のオーダー簿関連すらも出来上がった・・・。
 このような整理、改善、改革、改良は平時には先ず不可能なものばかりである。これが3月に向け次々と出来てきた。

 秋口以降は、私の委員長としての存在など無きに等しいほどの、全病院あげての取り組みの成果である。50年の歴史の中でこれだけのパワーを集中したことがはたしてあったのだろうか!!
私どもはこの受審を通じて再び大きな財産を獲得した。これは認定の有無と関連させずとも何物にも代え難い、最高に評価すべき成果である。

 蛇足ながら、本日、日本医師会で開催された病院問題検討委員会の委員長は、昨年のいま頃まで日本医療評価機構の理事長で日大医学部教授の大道氏である。情報交換会では隣席だったこともあり受審についても若干話題にしたが、いまエントリーが2600病院ほどでどんどん増えているとのこと。今月の訪問診査は特に集中しており80病院もあり、機構の方もやりくりが大変とのこと。これほど審査が多数であることが吉と出るか、凶と出るか、私は吉と読んだ。われわれには追い風が吹いている。自信を持って受審しよう。

 本日、3月15日18:00からCastles Hotelで大道氏による「日本医療評価」についての講演会がある。ゆったりとした気持ちで聴きに行くつもりである。楽しみでもある。


2005/3/15(火)

サーべーヤーは良い医療を求めるボランティア達だ
 私自身、初期には医療評価機構自体に納得し難いものを感じていた。

 その一つは第三者機関と言っても純正な中立機関ではではなく、1995年に厚生省や医師会、病院会、医療関係団体等の肝いりで出来た組織だと言うこと。機構の立ち上げ時には厚労省から数億円という多額の金が提供されているし、当初は診療報酬にはリンクさせない等言いながら実際には、緩和医療の面などでは認定必須項目の一つとなっているではないか。

 第二には日本医師会の前会長である坪井氏が理事長におさまるなど実に不透明な組織である。従って、この機構に属し、訪問診査で医療機関をチェックして回るサーベイヤーと言われる方々にも芋蔓式に必ずしも良い印象を持っていなかった。それが、昨春まで抱いていた正直な感想である。

 それでも、当院は将来の為にも、対社会的な意味でも、共に働く職員達のアイデンティティ確立のためにも避けるべきでない、早急に受審すべき、との方針を固めてから機構について少しずつ学んで行ったが、次第に私の考え方は変わっていった。500余に及ぶ設問を読み、自分が受け持った領域を中心にQA式に検討していく過程で、機構が真に求めているのは何なのか、が徐々に見えてきた。

 得た結論として、機構は決して大上段に構えた立場から医療機関の問題点をあげつらうのではなく、学術的な立場を基本にした視点で、より、中立的にその医療を評価し、その結果で問題になった箇所の改善指導をする。そのことこそ主たる仕事であり、受審した医療機関の医療の質を向上させ、住民や患者からの信頼の確立を得るように手伝ってくれる組織なのだ、と言うことである。

 要するに、日常われわれが診療を通じて求めていることと同じ事を、別な立場から見てくれ、評価してくれる、有り難い組織なのだ。だから、考えようによっては中通総合病院と機構の視点は同じ、と思う。従って、サーベイヤーの方々も、患者の立場に立った良い医療を求めていこうという方々で、時間や労力を惜しまずに行動してくれる貴重なボランティアで、極言すればわれわれと同じ医療仲間なのだ、と思えるようになった。
 それが昨年の夏頃からで私自身の変身が恥ずかしくもなる。ろくに勉強もせずにある種のレッテルを貼ってしまう、これは良くないことだ、と自省した。

 そう考えるに至ってからは肩の荷がスーッと下りた。だから、若干の紆余曲折はあったが、苦しい時間のやりくりの中、そうストレスに感じずに今日まで私は準備を進められて来たのだと思う。


2005/3/16(水)

 
いよいよだね、受審を楽しもう
 3月17日午後からいよいよサーベイヤーを迎えての受審開始である。
 各部署で準備・作成した書面審査用の資料が本日夕方に面接の主たる会場となる6階の会議室に集められた。壁面3面に置かれたテーブルの上に所狭しと、かつ整然とファイル化されて並べられた。実に壮観である。この一年、全職員を上げて取り組んできた成果である。

 昨日、われわれの受審を指導してくださった方から励ましのメールも届いた。読むものを、特に、受審準備に勤しんできた者を感動させるに足る名文である。この最終段階ギリギリまで、力強く励ましていただき、私どもが心豊かな気持ちで受審出来るようになるよう事細かくご指導戴いたことを、どんな言葉を並べても到底感謝しきれない。
 総師長は看護師達の集まりで今朝このメールを読み上げたが、途中で感きわまって涙声に変わったとのことである。このエピソードに私どもの気持ちの全てが集約されていると思う。

 受審委員会の長として、関係した全ての方々に、全職員に対して、陰日向無く感謝の気持ちを伝えたいから、特定の部署を上げることは出来ないが、私は総師長の、その感涙の背景を充分とは言えないまでもまず理解出来るつもりでいる。

 3月17日午後14:00過ぎに7人のサーベイヤーが病院に到着される。どの様な方々が当院を担当されるのだろうか、当然一面識もないし、情報もない。だからこそ、楽しみである。サーベイヤーの方々は鬼でもなければ蛇でもない。患者の立場に立つ、安全で良い医療を求めたい、日本の病院医療のレベルを上げたい、・・・と思っておられるはずである。その方々のお話を今日から3日間じっくりとお聞きしたい。多分、「この部分はこうすればもっと良くなりますよ」と、そう言う視点で評価していただけると思う。

 われわれの方でサーベイヤーの質問に上手く真意を短時間で伝えることが出来るのか、自分の分担する分野も含めて些か自信を欠くが、もうここまで来ればジタバタしても始まらない。背伸びせず堂々と受けよう。

 蛇足ながら、この受審が終了した後、われわれの方にサーベイヤーを評価し機構に報告する機会が与えられている。これはサーベイヤーにとっても大変なことである。機構の方でこの様な機会まで用意して評価を行っている。この在り方は、侮れない、評価すべき姿である。
     



2005/3/17(木)

初日  準備万端で楽しみな二日目の面接
 本日午後からいよいよサーベイヤーを迎えて受審が始まった。

 私は殆ど緊張感ゼロ、寧ろ心ワクワク何か心が踊るものがある。靴下、テニスシューズを履き、白衣を着て、ついでに髭も剃って一応格好も付けた。
 勿論、細かいことを言えば穴は沢山ある。自分としても欠損はあるが、やることはまず全てやった、と言う満足感がある。いや、それ以上に全職員上げてやり尽くした、職員はこの受審を通じて一体化した、と言う実感、満足感、そちらの方がはるかに、はるかに大きい。

 この受審の作業を通じて、普段は対話も少ない部署の職員とも面談した。若干オーバーなことを言えば、私は初めて院内の仕組み、職員の業務などを理解したと言っていい。副院長になってから2年以上にもなるが、普段は管理者ではなく雑務係庶務係としての業務が中心で、それなりに院長を補佐出来ているとは思ってきたが、全体を見回して考える機会など殆ど持つことが出来なかった。本来ならこんな管理者なんて、私自身の定義から言えば失格なのであるが、受審を通じて一歩副院長らしくなったと、自賛する。
 誰もそう言ってくれないから自分で言うんだが、こんな状態なのが寂しいね。

 今回の受審を通じていろいろなマニュアル、資料を作成したが、受審を機会に従来からやってきたこと、本来やるべきであったが機会が無くて、あるいはコンセンサスが得られずにいたことを一歩進め、集大成したに過ぎない。だからこそ、こんなに素晴らしい資料集、マニュアル類が短期間に用意出来たのだ。これぞ中通総合病院の底力である。職員はこれを機会に自信を取り戻して欲しい。自信を持って欲しい。もっと自賛して欲しい。

 評価機構の判定基準に未だ届かないところもあるだろうが、それは今後改善していけばいいのだ。それを知るために、その改善をするために受審したのだという、本来の目的を忘れてはいけない。認定は、その結果として必ず得られるはずだ。

 本日の面談で最大の懸案となりうる箇所はやはり組織図であろう。多分厳しい応酬があろう。しかし、私に機会が回ってきたならば、問題点もないわけではないが、患者中心の良い医療を行うのに最良の組織図であることを主張する積もりでいる。一人一カルテしかり、大部屋制の医局などみんなこのためにあるのだ。むしろ、他の医療機関のピラミッド構成の機構図の方ががおかしいのだ、とまで主張したい。

 本日、私は朝から夕方まで広いセクションに渡ってずっと面接、説明を担うことになっている。全項目、上手く答えることなんて始めから考えてもいない。些か不安要素無いわけではない。それでも楽しみである。3月18日朝9時、いよいよである。
                   



2005/3/18(金)

二日目     細かな指摘を受ける
 本日はルーティン業務は早めに処理し終日評価機構受審で過ごした。

 9:05-11:10合同面接調査(領域1・2・3),11:10-12:00合同面接調査(領域4),14:30-15:40療養病棟ケアプロセス訪問(領域8),15:40-17:30領域別部署訪問、とハードな一日であった。それ以上に、決してお若く見えないサーべーヤーの方々は審査終了後に、夜遅くまで検討をし続けると言うことであるから、私などより更に更にハードであっただろう、と思う。サーベイヤーの方々の熱意には頭が下がる思いである。

 予想もしなかったひねった質問も時にはあったが、私の立場から見て領域1-4は思ったよりもスムーズに対応出来たと思った。サーべーヤーの方々はよく詳細に書類を見ていると感心させられる場面も何度かあった。

 思いがけなかったのは、私の主たる業務場所である療養病棟での厳しい指摘であった。 
 サーベイヤーの医師、看護師のお二人はそれぞれリハビリテーションや身体拘束関連でそれなりの業績がある方の様で、病棟では特にリハビリテーション、栄養関連、拘束関連の方面で厳しい指摘があった。
 指摘されたことは全て私にとって納得出来る事柄であった。
 
 何故に厳しい指摘を受けたのか、の答えは簡単である。要するに主治医である私の高齢者医療に対する取り組みの在り方や姿勢に起因している。私は高齢者の方々には多くを求めず、基本的にはあるがままの延長線上で静かな余生を送って欲しいと願っているのであるが、サーべーヤーの方々はこの道のプロだけにかなり違う姿勢で臨むべきだとのお考えの様である。ある面では脱帽である。

 まさか、療養病棟の件で保留にはならないとはおもうが・・・最終日の講評が楽しみである。



2005/3/19(土)

三日目     講評、良い感触を得たが・・
 本日もルーティン業務は早めに処理し評価機構受審に集中。

 前日残した療養病棟のケアプロセス2回目は9:00過ぎから1時間半で終了、これで一段落と思ったら病棟医の部分を12:40過ぎからもう一度追加審査するとの連絡がありガックリ来た。実際は簡単に終了したのだが、この療養病棟部分は学術的に見ればサーべーヤーの方の専門分野であり、私はそれほど詳しいとは言えないだけに私が感じたプレッシャーは半端ではなかった。よもや療養病棟(領域8)関連で保留なんてあるまいにと思いつつも若干の不安が過ぎったことは確かである。

 いずれにせよ午後のケアプロセスで一連の受審は終了。講評は何故か30分繰り上がって会議室に入りきれないほどの職員の出席のもと、16:00から行われ、主たる領域別に総論的に良い点、改善して欲しい点が簡単に述べられたが、全体的に見て評価は私が予想していた以上に高かった。具体的な問題点指摘は1件のみであったが、この点はあとで些か問題にはなるかも知れない。

 これで、まず全行程終了した。受審が終了したとしても総括があるし残務処理もある。 この蓄積した資料、職員のエネルギーを今後に生かさなければならない。しかし、一時的に解放である。その点、終了直後に東京出張があるので、良い機会ととらえて秋田を離れて半日程度だけどノンビリしたい。

 この受審を通じて感じたのは情報不足である。私どもも外来のプライバシー確保の件、医師の治療指示書の転記の件、等々多くの点で右往左往した。
 改装等はコストもかかるし、指示簿等はシステムの変更しなければならない。出来るだけ軽い対策で済ませたい、と言う心理が働くのは当たり前であって、私共も最後まで迷い続けた点である。
 恐らく、県内の医療機関も今後次々と受審するだろうと思う。その際、苦労すればするほど掴むものも大きいだろうが、われわれが経験した様な周り道は無駄である。そのために、私どもが蓄積したノウハウ、資料は受審委員会や長副会議の了承を得て、積極的に提供したい、と思う。

 医療評価機構の受審の過程や認定の結果を各医療機関毎に満足しているようでは何ににもならない。少なくとも今まではこの様な動きを感じることは出来なかった。
 この受審、認定を介して県内の医療機関のレベルが一層向上し、互いの連携がより一層深まること、県民へよりよい医療を提供出来るようになること、それこそが医療評価機構受審の成果の一つであるべきだと私は思う
 この項に関しては、全職員の協力、奮闘に心から感謝して一端終了。
ご苦労様。
    
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