中通総合病院内科 福田光之
1 支援内容、条件などは? 県連、本部の対応は問題
1993年2月25日、県連間支援として盛岡市の川久保病院に行ってきた。1月の支援医から内容は一通り聞いたが、2月支援が私に決まった後も県連、本部からは説明や出張旅費の支給もなく、盛岡駅からタクシーで病院まで行くよう医局秘書から指示があったのみであった。
昼前のJRにて発ち、午後の内科病棟の総回診に参加した。夜は病院の行事があるとかで早めに終了したので18:30発のJRにて帰秋した。短時間であったが、不快な扱いや印象は全くなかった。帰路も川久保病院からもタクシーチケット1枚のみ渡されただけであった。
今回の支援条件は全て自腹か?、と思ったが、後に本部の担当職員から説明があった。県連間で旅費や日当その他の諸条件は決まっていたが、県連・法人・病院間の連絡不徹底で私にまで伝達されなかったらしい。いつものパターンである。県連からは、支援する病院の概要、支援の必要性や意義などの説明や資料の提供があってしかるべきだし、本部からは出張についての諸条件の説明や出張命令があってしかるべきと思う。両者とも明らかに機能不全か業務怠慢である。後に支援報告を提出するよう県連から求められたが、事前の対応を欠くにもかかわらず、報告書の提出を求めてくるあたりは実にしっかりしていて、面白い。
今回の支援内容は診療の応援ではなく、内科総回診に参加し必要なアドバイスをすることであった。1月一3月の3ケ月間、毎週木曜日の午後、宮城県連からは月2回で計6回、青森、秋田県連からは各々月1回で計3回の予定であった。2月は大曲中通病院からの派遣を予定していたらしいが私に回ってきた。結局、東葛病院支援〔1991年2月)の際に二度と繰り返して欲しくないとの立場から指摘した、県連や本部の問題点(中通病院医報)が、今回もそのまま再現されたと言えるだろう。
2 支援内容および印象など
医局事務担当者から山形民医連の支援医を紹介された後、内科病棟で総回診前の患者カンファレンスから合流した。カンファレンスは医師、看護婦、MSW、PT、OTが同席して行われていた。主治医から問題患者の病状が提示されるだけでなく、社会的立場、ADL拡大の可能性、退院後のケアの状況なども含めて討論されており、とても好ましく思えた。総回診は内科医2名、山形県連からの支援医、私、病棟婦長の5名で行われ、主治医とディスカッションしつつ若干のアドバイスを行った。内科医の一人は昨秋、ブロック青年医師交流集会(鳴子温泉〕で共にパネリストを努めたこともあり気軽に討論できた。
内科の入院患者は2つの病棟で50数人で、疾患別に見ると胃腸系疾患、慢性肝疾患、糖尿病、脳卒中後遺症、呼吸器感染症、心臓疾患が中心であり、膠原病、血液疾患などはいなかった。患者を年令別に見るとやはり高齢者中心で、40歳以下の患者は10-20%程度に思えた。周辺の大病院、開業医から紹介された、引き取り手のない社会的人院患者も多数いた。ナースセンターは所狭しと医療材料が積まれ、ポスターや図表が天井にも張られ、乱雑な印象を受けた。一方、病室は必ずしも広いとは言えないが、ベット間は中通病院の病室よりも余裕があり、患者の身の回りはよく整理されているので清潔な印象を受けた。特に印象深かったのは病室が静かなことであり、その理由の一つは患者各自がTVを所有していないためと考えられた。TVは一定の場所で観るようになっているという。MRSA患者は一人しかいないというのには驚いた。ナースセンター流しの脇には看護婦全員の分と思われる色とりどりのコップが吊されていたことと関係があるのかもしれない。
内科医二人は卒後4年目の同級生という。患者の病状を安易に流すことなく真摯に診察している姿勢には感心した。また、消化器、循環器系を中心に知識、手技共に担当の水準にある印象を持った。"指導医(?)”と言われるオーベンが数多くいる中通総合病院での研修様式が果たして優れているのか、疑問を持った次第である。結局は個人の資質に追うところが大きいのであろう。
1993.3.11記