初期臨床医に送る(2007.3.23)
 無事初期研修を終了した7名の皆さん、大変おめでとうございます。医師免許証取得に引き続く2回目の資格取得となりますが、これで晴れて臨床医の道を進むために必要な資格を得たことになります。この証書はその意味でとても重要な書類ですので大切にしてください。

 このうち5名の方々はそれぞれ次の研修先を求めて巣立っていくことになりますが、この2年間の研修を通じて自分の臨床医としての適正,進むべき道について分かったことと思います。この2年間の研修で培った力を基に、次の研修先で自分の持てる力を一層伸ばされるよう期待しています。また、残って研修を続ける2名の先生は当院の持てる能力をより沢山吸収して欲しいと思っております。

 私は若い医師の方々との触れ合いを楽しみにしていましたが、研修2期生の方々との接点はマッチング以降は殆ど無く、とても残念に思っておりました。研修医と私とが持ちうる接点は毎朝の救急カンファレンスなのですが、先生達が入ってきた当初、4月のカンファレンスの場では私が入り込む余地がない程大勢のスタッフがひしめいておりましたので、私は遠慮していたのです。昨秋、カンファレンスがやや下火になっているとの情報が入ってきてから再度出始めました。それでやっと先生方の性格や個性、技能などが分かってきたばかりです。実に個性豊かな方々だと感じていましたが、直ぐにお別れの時期が来たことに一抹の寂しさを感じています。

 みなさん方と私は世代が異なります。折角の機会ですので私がみなさん方と同じ頃に何を考えながら仕事をしていたか思いだしてみました。それについてお話ししてみます。

 卒後2年目の頃、私は臨床医として働ける喜びと共に、二つの点で畏怖の念に駆られていました。

 一つは学資を殆ど納入せずに税金で卒業したことです。私は親から50万円だけ貰って岩手の片田舎から新潟大学に進んだのですが、大学には入学時の納付金と初回の授業料を含めて2万円なにがししか納めませんでした。納めることは必ずしも不可能ではなかったのですが、授業料免除の手続きを6年間し続けました。学生の時には何とも感じていなかったのですが、社会に出てからは国民の税金をによって卒業させて貰った事の意義を感じて愕然としました。その後今日まで、社会に対して感謝の気持ちを忘れたことはありません。

 二つめは同じ人間同士でありながら患者と医師として向き合うことに対する畏怖の念でした。当時は十分な研修などなく、行き当たりばったり先輩医師に声をかけてはその場その場を凌いでいました。そのような状態にあることに恐れというか、怖さを感じました。その恐れを乗り切って行くために二つのことを実行することしかありませんでした。一つは患者に対しては常に誠実に対応すること、もう一つは弛み無い研鑽を自分に賦課するということ、それしかないと考えたことです。それでも解決できずに、私は2年で宮古病院勤務を終了し、秋大で勉強することにしたわけです。この二つの事は自分のモットーとして今まで「愚直に」続けてきましたし、今後も「愚直に」続けて行くでしょう。



医師として2年過ごした先生方は実際にはいろいろな壁に当たったことでしょう。自分のこと、人間関係のこと、病院のこと、研修医制度のこと、医療制度のことなど、いろいろあってともすれば自分を見失う様なこともあったかも知れません。 

 そのような際にプライベートなことは別にして、自分が如何なるアクションをしてきたか、についても考えていただきたいと思います。みなさん方7人は実に個性が豊かな方々だと私も感じています。いろいろ不都合な点も、不満に思った点もなかったわけではないでしょうが、それに対する感想は水面下から多少聞こえてくるものの、きちんとした形で対応を求めたことは少なかったのではなかったのでしょうか?

 私自身も中通病院で働くようになってから大きな流れに流されながらも常に問題提起はし続けて来ました。その大部分は否定されて、聞き入れられたのは10に一つ程度、あるいはそれ以下かも知れません。私自身に考えがあるように、相手もそれなりの立場と考えがあることだから聞き入れられなかったという結果はそれほど問題にはしません。私の提言は文章として方々に残っています。提言は単に発言するだけでなく、記録として残しておくことは責任だと考えています。残さなければグチと同じであり、風邪の時の一過性の発熱と大差ありません。

 私が具体的なアクションしたことについて一つだけ話してみます。大学の頃ですが、急性白血病の臨床を通じて感じた壁は化学療法が発展するにつれて再発が多くなると言う現実でした。患者も医師も苦労してやっと寛解状態に達したのに多くは1-2年の間に再発し、この時、大部分の患者は化学療法に抵抗性となり厳しい療養生活を過ごしながら例外なく死の転機を迎えます。同じ事を何年も悩み続けても何も解決しなかったことから白血病の臨床には化学療法とは全く異なる機序の治療法である骨髄移植の導入は必須であると考え、私は2年間かけて秋田大学に骨髄移植の準備を整えました。私がやらなくとも何れは誰かが導入しただろうとは思いますが、私自身が周囲を説得し、先鞭を付けたことを今でも小さな誇りに思っています。今、白血病の臨床は私自身が想定した以上の成果を挙げています。何事にも壁がありますが、それを打破していくために何らかのアクションを自分からしてみる、これは大事なことと思っています。

 2004年に発足した新臨床研修制度は今3年目を終わろうとしています。
 2年の研修を終了した医師は、大学で更なる臨床研修を積み研究生活を指向するのも良いでしょう、更に高レベルの専門研修を求めて病院を替わるのも、より一層地域に密着した医療機関に移るのも良いでしょう、若い医師達の将来の道の選択はいろいろあります。それぞれベストと思われる道に進んで自らの資質を一層伸ばして欲しいものです。

 その際、診察室に訪れる患者、自分が担当している患者に最善を尽くすのは医師として当然ですが、みなさん方にはそれだけで満足するような「小医」のレベルで止まっていて欲しくない、と思います。患者、医療関係者が置かれている厳しい医療環境についても、疾病の背景因子についても研修を通じて何かを感じ取ったはずです。その状況の改善に向けて現場から発言する「中医」の一人に是非なって欲しいと思います。小医的発想だけでは医療環境は一層悪化していくでしょう。患者も医療関係者も夢を失う、そんな環境にはなって欲しくないと思います。

 若干長い話になりました。無事、研修期間を終了し、本日修了証を受けられた先生方の今後の発展を、心から願いながらお話しました。
 私からみなさん方にお礼も申し上げたいと思います。2年間、本当に有り難う御座いました。




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