私にとっての医報の意義
私は約15年前に縁あって中通病院に赴任した。
赴任当初は、外来・入院を問わず、従来あまり経験することのなかった分野の患者さんを診ることになり、新鮮な感動を覚えながら診療した。
しかし、自分の得意とする分野以外の患者さんを診る際に、独りよがりの診療をしたり、数をこなすことが主眼となって漫然と患者を診てしまう可能性があった。
そのため、診療では以下の3項目を自分に負荷し、表現の場としては医報を有効に用いることとした。
1) 積極的に学会、研究会に出席し、自分の医療の軌道修正を行う.
2) 自験例をぺ-パーに残し、他の先生方の批判を受ける。
3) 自分の医療限界を知り、より良質の医療を提供するために多くの医師と連携する。
また、実に多くの業務が回ってきた。明和会の組織、活動状況を理解する目的もあって可能な限り対応してきた。結果的に、院内の診療業務の他、法人内外の各院所の診療応援、民医連関連の出張や診療応援など、私が従事した業務の種類や回数は実に多い.しかし、組織にとっては私も「便利な駒」の一つでしかなかった。業務そのものは従事する意義はあったし、十分、役目は果たしたと考えているので、駒と見なされても良い。しかし、必要なことは表現しておかなければ全てを是と認める「便利な駒」になる。そのような評価をされるのは本意ではない。
結果的に医報には沢山の文章を掲載した。書きたいことはまだまだリストアップしてあるが、1990年後半から市医師会、県医師会の業務が増え、医報に投稿する機会が減ってしまったのが残念でならない。
(2002年1月22日記)